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【貴重証言】グリコ・森永事件から40年 元捜査幹部が明かした「逮捕のチャンス」

NEWSポストセブン 2024年8月3日 12時15分

 1984年3月18日午後9時すぎ、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長宅に2人組の男が押し入り、入浴中の江崎勝久社長(当時42)を裸のまま連れ出し、3人目の男が運転する車で暗闇に消え去った。日本の犯罪史上かつてない異様な展開をみせた「グリコ・森永事件」の始まりだった。当時、兵庫県警捜査一課次席だった開発徹也氏(91)がその夜を振り返る。

「西宮署から県警本部に一報が入った。通常の凶悪犯罪では私が現場に行きますが、この時は『これは(上長の)課長を行かせないかん』と外にいた課長を呼び出し、課長と調査官がすぐ現場に行きました。緊急配備、捜査本部設置も早かった。ただ、最初は怨恨か金か、狙われたのが個人か会社か、目的はわからなかった」

 日付が変わった19日午前1時15分、江崎グリコ取締役宅に電話があり、指定の電話ボックスから最初の脅迫状が見つかった。

“人質はあづかった 現金10億円 と 金100kg を よおい しろ“

「これほんまかいな、と思うた。どうやって運んで、どうするつもりなのか。10億円となると相当な量。だが、犯人が言うてきとるんやから、身代金目的の誘拐に間違いないと」(開発氏、以下同)

 拉致から3日後、江崎社長は監禁されていた水防倉庫から自力で脱出した。

「当時、あの近辺で他の事件があり、報道か捜査のヘリが飛んでいた。犯人たちが捜されていると勘違いして逃げたのではと推察されている。それで社長は脱出できた」

 安堵もつかの間、翌4月、脅迫状や脅迫電話、放火、報道機関への挑戦状送付など衝撃的な“劇場型犯罪”の幕が開けた。

犯人は用心深く警察より一歩先へ

 犯人は「かい人21面相」を名乗り、青酸ソーダ入りのグリコ製品を置いたとの挑戦状を報道機関に送り付け、国民を巻き込み始めた。その後、脅迫の標的は丸大食品、森永製菓、ハウス食品工業などに拡大。実際に青酸入り菓子がばらまかれた。

「逮捕のチャンスは何度かあったが、犯人は用心深く慎重で、警察より一歩先に逃げた。それでも西宮市のコンビニの防犯カメラがとらえた『ビデオの男』の映像で犯人が捕まるとみて、大阪府警の次席と『これでなんとかいけそうやな』と喜んだくらい。映像が公開されると、『どこどこの誰に似ていますけど』と電話がかかってきて、反響はすごかった」

 グリコ、丸大食品、ハウス食品との取引では(地図参照)、警察が犯人に近づくも逃走されてしまった。「キツネ目の男」が現われた京都と滋賀の現場では大阪府警捜査員が職務質問をかけたいと捜査本部に伝えたが、許可が下りず、姿を見失った。滋賀県では捜査を知らなかった同県警パトカーの巡査3人が不審車に職質しようとしたが逃走される。翌1985年、滋賀県警本部長の自殺後、犯人は終結宣言し、姿を消した。

 2000年2月、一連の事件すべての時効が成立した。関わった捜査員数は延べ130万人以上、捜査対象になった人物は約12万5000人。開発氏が静かに語る。

「捜査員はみな命懸けでやっとる。後からはなんとでも言えるけど、その時にどう決断するかが難しい。事件は時効になったが、事件は終わっていないと今も考える元捜査員は多いでしょう」

取材・文/上田千春

※週刊ポスト2024年8月9日号

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