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【パリ五輪柔道「待て」の合図後も絞め技で失神、一本負け】「国際審判員の技術レベル」と「男子の試合を女性審判員がジャッジすることの是非」レジェンド国際審判員の見解

NEWSポストセブン 2024年7月29日 19時15分

 熱戦が続くパリ五輪の柔道競技。初日に日本人選手第1号となる金メダルを女子48kg級で角田夏美(31)が獲得、2日目には男子66kg級で阿部一二三(26)が五輪連覇を果たし、“柔道ニッポン”の強さを示したが、そうした中で大騒動となったのが男子60kg級に出場した永山竜樹(28)を巡る審判の判定だった。

 永山は準々決勝で2023年世界王者のフランシスコ・ガルリゴス(スペイン)と対戦。残り時間1分ほどの場面でガルリゴスが片手絞めを繰り出すも、膠着状態が続いたためエリザベス・ゴンザレス主審が「待て」を宣告。しかしガルリゴスは「待て」の後も数秒間にわたって絞め技を継続したため永山は失神し(ガルリゴスは「待て」が聞こえなかったと説明)、両者の体が離れたあともしばらく起き上がれない状態となり、ゴンザレス主審はガルリゴスの「一本勝ち」を宣告した。判定を不服とした永山は握手を拒否して数分間畳を降りず、日本チームも猛抗議したものの受け入れられなかった(永山は敗者復活戦を勝ち上がって銅メダルを獲得)。この判定は世界的に物議を醸し、ゴンザレス主審に対してネット上で批判が巻き起こった。

 五輪では2000年のシドニー大会男子100kg超級の決勝(篠原信一対ドゥイエ)でも「疑惑の判定」が問題になった(*)。国際大会の判定と審判のレベルについて、長年にわたって国際審判員を務めた正木照夫氏に、『審判はつらいよ』の著者・鵜飼克郎氏が聞いた(文中敬称略)。

【*注/ドゥイエが繰り出した内股を篠原がかわし、内股すかしでドゥイエの背中を畳につけたものの、判定はドゥイエの有効。そのまま試合は終了し、篠原は銀メダルに終わった。試合後、全日本柔道連盟が国際柔道連盟(IJF)に抗議書を送付。IJFは「両者とも技は完全ではなかった」として、ドゥイエ有効の判定を誤審と認めた。これがきっかけとなって「ビデオ判定」が導入される】

 * * *

 五輪や世界選手権をはじめとする柔道の国際試合で審判を務めるには、全日本柔道連盟(全柔連)のライセンスとは別に「国際審判員」の資格が必要となる。

 1947年生まれの正木は拓殖大学在学中の1969年に全日本学生柔道選手権(無差別級)で優勝、大学卒業後に和歌山県の高校教諭となってからも全日本選手権に10度出場。出場選手中最年長の32歳で出場した1979年の同選手権では、大会3連覇を狙う22歳の山下泰裕(1984年ロス五輪金メダル)と大熱戦を繰り広げた。

 1984年、競技実績を買われた37歳の正木は全柔連から声をかけられて審判員となり、それから6年後の1990年、全柔連の推薦を受けて国際ライセンスの試験を受験した。国ごとにレベルは違うとはいえ、すでに自国で一定のキャリアを積んだ者だけが集まるため、座学のようなものはなく、いきなり実際の試合会場、それもシンガポールで開催されていた国際大会が試験の舞台だった。

 受験者は10日間にわたって審判を務め、審査官が点数をつける。これでまず30人の受験者が約半数に絞られた。

「残った者は英語の講習を受けました。といってもやはりペーパーテストでなく、柔道着を着ての実技です。まずは受験者の目の前で(地元の)シンガポール選手の技を見て、“この技は何ですか?”と質問される。私が“背負い投げです”と答えると“OK”となるわけです。

 見るだけではありません。“ミスター・マサキ、ウチマタをやってください”と指名されるのです。私の得意技なのでスパッと決めてみせると、周りから“オー、ワンダフル!”の声が上がる(笑)。八段の私にこんなバカげた試験はないとも思いましたが、それでも指定された技がわからなかった者もいて、合格したのは10人ほどでした」

 国際審判員といっても、競技用語は「一本」「技あり」「待て」といった日本語の単語だけなので、「語学力は不要だった」と語る。試合中に選手に指示をする際に英語を使うこともわずかにあるが、正木は片言の英語で20年間にわたって国際審判員を務めた。

国際試合では「言語と国籍の壁」がある

 正木が主審を務めた国際大会で、判定をめぐって意見が分かれたことがある。一方の選手が関節技で対戦相手に体を預けたため、「危険な技」として正木は試合を止めた。すると副審の一人が手を挙げたのだ(柔道のルールは度重なる変更がなされている。当時は主審と副審2人による判定だった)。

「副審の一人はフランス人、もう一人はアメリカ人だったと記憶しています。3人で“危険な技にあたるかどうか”で意見を交わしたのですが、2人とも母国語で話すので私の判定に賛成なのか反対なのかわからない(苦笑)。反則技の判断はとりわけ微妙なので、通訳を介せないのは大変でした。

 試合は生中継されていたこともあって、私も戸惑う姿を見せられません。そこで副審を制したうえで、覚悟を決めて自信を持って反則負けを宣告しました。幸いにも両副審ともに納得した表情で頷いてくれました」

 言葉の壁だけではなく、「国籍の壁」をめぐる騒動も体験した。

 1995年の福岡国際女子柔道選手権48㎏級の決勝、田村亮子(現在は谷亮子)とサボン(キューバ)のカードで正木は主審を務めた。

「大会名は“福岡国際”ですが主催は全柔連だったため、審判員はほぼ全員日本人で、決勝の副審2人も日本人でした。ところがキューバ陣営から“日本人選手が出場する試合なのに、なぜ主審が日本人なのか”と抗議を受けたのです。“五輪や世界選手権ではないので外国人の審判員を招くことが難しく、日本人の審判をローテーションから外せば審判員の数が足りない”と説明し、了解されました」

 だが、こうした指摘を踏まえて「試合に出場する選手と同じ国籍の審判は避けよう」ということになり、五輪では選手と同地域の審判まで外すようになった。

「選手や観客に“自国選手を有利にしている”という誤解を招かないためにやむ得ない措置だと思いますが、皮肉にもシドニー五輪の“世紀の誤審”のようなことを引き起こす原因にもなっている。特に男子の国際試合の審判員には、日本人に限らず“元トップ選手”が少ない現実があります。一方、女子の国際審判員は五輪のメダリストが多く、審判としての技術も高い。本来は男子の審判もそうあるべきだと思います」

 そうした事情も影響しているのだろうか、近年は女性審判が男子の試合の審判員を務めることも増えている。2021年の東京五輪では、個人種目の大トリとなった男子100㎏超級決勝の主審を天野安喜子(国際柔道連盟審判員、東京五輪では唯一の日本人審判)が担当した。だが、正木は否定的な見解を持つ。

「どんなに優秀でも女性審判が男子の試合を担当するのは反対です。審判の人員の兼ね合いもあるとはいえ、その逆(男性審判が女子の試合を担当)も賛成できない。男子選手と女子選手では力も動きも違う。男子は男子の試合、女子は女子の試合の審判をやったほうがいいと考えています」

(了)

※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成

【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一、長嶋茂雄、王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。柔道の審判員のほか、野球やサッカー、飛び込みといった五輪種目を含む8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。

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