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来日したシリア難民プロレスラーの夢「いつかアレッポでプロレス興行を開催したい」

NEWSポストセブン 2024年8月7日 11時15分

 長きにわたる内戦に苦しめられた国であり、今も様々な火種がくすぶっているシリア。国から逃れ、難民となった男性がプロレスラーになり、ヨーロッパでの活躍を経て日本にやってきた。現在九州プロレスに参戦しているジョージ・コーカス選手(31)である。シリア・プロレス・戦争について聞いた。

──子供時代のことを教えてください。そしてシリアの内戦がジョージ選手に与えた影響、いかにシリアから脱出してヨーロッパに行ったのかも含めて。

「私は1993年2月10日にシリアのアレッポで生まれました。姉がいて、普通の子供時代を過ごしましたが、両親にとってはあまり好みの息子ではなかったと思います。7歳ぐらいの時、たまたまプロレスの映像をビデオテープで見たのですが、そこで私はプロレスにゾッコンになりました。

 両親にもっとビデオテープを見せてほしいとお願いしたのですが、拒否されました。というのも、プロレスを子供が見ることは暴力を肯定することに繋がると両親は考えたのです。

 そこから時は過ぎ、12歳の時、私は学校を辞め、女性を対象としたヘアドレッサーになりました。こうしているうちに私が描いていた未来が来ました。18歳になった時、パスポートを取得し、アメリカに行こうとしたのです。なぜアメリカかといえば、プロレスはアメリカにしか存在しないと思っていたからです。

 しかし、この頃、シリアでは戦争がありました。多くの人々は、それまで描いていた人生を変えなくてはいけなくなりました。私もそうです。そんなこともありアメリカ行きは断念し、2013年初頭、20歳だった私はアレッポから離れ、ISIS(イスラム国)の支配下にある場所を避けてトルコへ行きました。

 そこからアルメニアに移動したのですが、数日後、アルメニアには仕事がないことが分かり、お金もないため、トルコのイスタンブールへ行ったのです。この時私はお金もないし、ツテもないし、言語も分からない……。そんな状態でした。

 キツい状況でしたが私はなんとか仕事を見つけ、最低限のお金は稼ぎました。そこから約2年トルコで働き、EUのビザを取ろうとしたのです。しかし、拒否されました。こんな経験を経た末、2016年初頭、私は違法ではあるもののゴムボートに乗ってトルコからギリシャに行くことを決めました。

 27日間のボートの旅でアテネに着き、その後北マケドニア、セルビア、クロアチア、スロベニア、オーストリア、そして最終的にドイツに到着し、私のプロレスラーとしてのキャリアが始まったのです」

自分の人生をかけてプロレスラーとして生きたい

──どのような理由でジョージ選手はプロレスラーになったのですか?

「プロレスラーになりたいと思ったのは、プロレスラーが醸し出すキャラクター、動きなどすべてに魅了されたからです。それだけプロレスラーはカッコいい存在です。

 多くのレスラーに私は影響を受けましたが、特に尊敬する存在はエディー・ゲレロです。彼のパフォーマンスとエンタメ性は本当に驚くべきもの。ケビン・ナッシュとハルク・ホーガンにも憧れを抱いています。

 たまたまプロレスのビデオテープを見て以来、私はプロレスをやりたいと思いましたし、自分の人生をかけてプロレスラーとして生きたいと思っています。私の夢の一つは、シリアのアレッポで初のプロレス興行を開催することです」

──いまジョージ選手は日本にいますが、日本での生活は快適ですか? 九州プロレスでどのようなことを学んでいますか?

「日本はすごく快適でいいですね、実に楽しく過ごしています。この国は本当に美しい。人々はナイスだし、礼儀正しいし、他人に対して敬意を持っている。そんな国にいる私は楽しい日々を送っていますし、食べ物もおいしい。今、私は九州プロレスで様々なことを学んでいます。ドイツに戻った時、私は日本での経験をもとに、進化したプロレスラーになっていると確信しています」

──これからジョージ選手はどのようにプロレスラーとしてステップアップしていくのでしょうか。ヨーロッパでデビューし、続いて日本に来ました。次なるプランを教えてください。

「私は常に忙しくありたい。次に行く国でも一週間に1回か2回はプロレスをしたいですね。次のプランとしては、カナダかアメリカに行きたいです」

──ジョージ選手のプロレスラーとしての強さはどこにありますか?

「私は常に他のレスラーとは違うレスラーでありたいと思っています。だからこそ、私のレスリングスタイルは珍しいのではないでしょうか。

──195cm、105kg。ジの長身とパワーを持つ選手は、なかなかいないですよね。

「私はとにかくパワーを駆使したレスリングをしたい。だからこそ私は九州プロレスというユニークな団体で様々なことを学び、そしてこの団体の試合を見てほしいと思っています」

取材・文/中川淳一郎

写真提供/九州プロレス

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