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【書評】嵐山光三郎氏が選ぶ、79年前の戦争を知るための1冊 『野火』生きるために人肉嗜食の欲望と闘う戦場の修羅を描いた戦争文学の傑作

NEWSポストセブン 2024年8月6日 16時15分

 敗戦から今夏で79年。戦争を体験した世代の高齢化に伴い、300万人以上もの犠牲者を出した、悲惨な先の大戦に関する記憶の風化が心配されている。いっぽう、世界を見わたせばウクライナやガザなど、未だ戦火は絶えず、さらに海洋覇権奪取を目論む中国、核ミサイルの実戦配備を急ぐ北朝鮮など、我が国を取り巻く状況も大きく変化してきている。

 79回目の終戦の日を前に、「あの戦争とはなんだったのか?」「あの戦争で日本人は変わったのか?」などを考えるための1冊を、『週刊ポスト』書評委員に推挙してもらった。

【書評】『野火』/大岡昇平・著/新潮文庫(1954年4月刊)
【評者】嵐山光三郎(作家)

 大岡昇平は昭和十九年(三十五歳)フィリピンに出征し、ミンドロ島に駐屯するが、その翌年俘虜となった。苛酷な体験『俘虜記』は雑誌『文學界』(昭和二十三年二月号)に発表されて評判となり、続編がつぎつぎと書かれた。国家への忠誠を捨てた兵士たちの生態と省察。それにつづく『野火』(昭和二十七年)は病気のため軍隊から捨てられた兵士の彷徨がリアルに示される。

 主人公(私)は分隊長に頬を打たれて「馬鹿やろう、中隊にゃお前みたいな肺病やみを飼っとく余裕はねえ」と叱られた。病院へ行けと命じられても病院は受け入れてくれなかった。

 レイテ島で喀血した「私」こと田村一等兵は山中の患者収容所へ送られ、軍医より「肺病なんかで来るな」と拒否された。駐屯地から五日分の食料を与えられていたが、とりあげられた。

 行き場を失った「私」はルソンのジャングルや谷や川を歩きまわる。林が切れると丘の上から野火があがった。丘の煙は牧草を焼く火だが「狼煙」はなんらかの合図であろう。

 路傍に倒れている者がいた。動けない者が、表情のない顔で坐っている。熱帯の潰瘍で片足がふくれあがっていた。ブリキの小片を足にあてている。絶望の同僚たち。八人は若いマラリア患者、下痢、脚気、熱帯潰瘍、弾創がある敗残の日本兵たちであった。

 ビュルルーと砲弾の飛ぶ音が聞こえ、マラリアの兵士は草に俯伏せて動かない。米軍砲火の前を虫けらのように逃げ惑う同胞の姿。

 死ぬまでの時間を思うままにすごすという無意味な自由。死は観念ではなく、いま、ここにある。「私」が殺した女の屍体の目が見開かれている。飢えのなかで人肉の嗜食を制止する意識とはなにか。草も山蛭も食べた。生きるため、人肉を嗜食する欲望と闘う「狂者の手記」という目で、戦場の修羅を描いた名作。

※週刊ポスト2024年8月16・23日号

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