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谷川浩司・十七世名人が語り尽くす「羽生善治と藤井聡太」 2人の天才はなぜ“相手の得意戦法”を避けないのか

NEWSポストセブン 2024年8月15日 7時15分

 羽生善治と藤井聡太──時代を隔てた2人の天才棋士の共通点と違いは何か。それを語れるのは、羽生のライバルであり、藤井の“憧れの棋士”だった谷川浩司十七世名人をおいてほかにはいまい。『いまだ成らず 羽生善治の譜』著者の鈴木忠平氏(ノンフィクションライター)が、谷川に「羽生と藤井論」を聞いた。

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 藤井が八冠制覇を達成したのが昨年10月だった。1996年の羽生七冠以来となるタイトル独占だったが、羽生の時と同様に独占状態は1年経たずに終わりを告げる。今年6月、叡王戦に敗れて失冠したのだ。相手は同い年の七段、伊藤匠だった。

「叡王戦での藤井さんは終盤戦になってAIの数値が10ぐらい下がる手をいくつか指しました。とても珍しいことです。ただ、今は(AIによる)数字で出るのでその手がミスだとわかりますが、平成の時代だったらほとんどの人は気づかないくらいのミスで、はっきり悪いという手を指したわけではなかった。伊藤さんの終盤力が藤井さんに匹敵するものだったということではないでしょうか」(谷川浩司十七世名人・以下同)

 伊藤は藤井の八冠達成と前後して台頭し、頻繁にタイトル戦に顔を出すようになった。

「とくに、AIを使っての研究が最も進んでいる戦型『角換わり腰掛け銀』で藤井さんと戦えることが伊藤さんの力を証明していると思います。この形はもう終盤の入口ぐらいまで全ての変化を網羅していないと指せないところまできています。それが理解できているのは藤井さんと永瀬(拓矢)さんと伊藤さんの3人で、他の人は少し遅れてる。

 序盤戦術というのは平成に入る前頃から整備されるようになりましたが、その頃はトップ棋士がタイトル戦で2日間かけて指して、それを他の棋士が研究した結果、1手ずつ解明されていく程度でした。それが令和に入るとAIソフトがありますので、トップ棋士が対局することなく、1人で自宅で10手も20手も進めることができる。進み方が昔とは全く違います。角換わり腰掛け銀だけ研究すればいいわけではないですし、一方で最新型というのは一旦外れると遅れをなかなか取り戻せない部分もある。今のトップ棋士はとてつもない努力をしていると想像します」

 伊藤は藤井という巨大な才能を追いかけて力を伸ばしてきた。1996年当時も羽生の七冠が3歳下の三浦弘行によって崩された後、羽生世代を中心に若手棋士が台頭した。全冠制覇者の出現は棋士たちにとって屈辱だが、同時に刺激となり、棋界全体のレベルが引き上げられていくという。

「圧倒的に強い棋士が出てくれば、他の棋士は対抗するために技術・戦術はもちろん、精神的にも試行錯誤するので、将棋界全体のレベルが上がるということは昔も今も同じです。今回、あらためて羽生さんと(1996年の棋聖戦で羽生の七冠を崩した)三浦さんの対局を見直してみたのですが、三浦さん、良い将棋を指しているなと思いました。やはり踏み込みの良さですよね。例えば、読み通りに相手が指してきた場合、普通ならしめしめと思いますが、相手が羽生さんや藤井さんだと、ひょっとして自分が何か間違えてるんじゃないかと疑心暗鬼になってしまう。自分の読みを信じることができなくなり、そうなると対局では絶対に勝てないんです。

 叡王戦の伊藤さんも第二局で1勝したのが大きかったと思います。それまで藤井さん相手に11連敗していましたが、あの1勝で『自分が今までやってきたことが間違ってなかったんだ』と読みに自信を持てるようになったのではないでしょうか。逆に藤井さんの立場で言えば、第一人者が辛いのは一番良い時を基準に考えられてしまうことなんです。羽生さんは七冠から1年ぐらいして四冠になったんですけど、『不調』と書かれるわけです。でも全タイトルの半分以上を持っているのですから決して不調ではない。もっとも、藤井さんは棋士になった時からそうであるように、タイトル戦の結果よりも盤上の追究のほうに集中しているかもしれませんが」

歩を突くだけでわかり合える

 時代の覇者として将棋界全体の革新をも促す羽生と藤井。谷川の目には実績以外にも2人に通底するものが見えるという。

「30年近く前と今とではAIの登場もありますので棋士を取り巻く状況がかなり変わってはいますが、ともに将棋の真理を追究していく姿勢は通じていると思います。羽生さんも藤井さんも相手の得意戦法を避けない。これは私の推測ですけれども、相手の得意戦法を避けたほうが現実問題として勝つ可能性は高まるのですが、自分の得意な土俵ばかりで勝負していては新しい発見がない。逆に相手の得意な戦型で指せば、自分に新しく吸収するものがあると考えているのではないでしょうか。

 同じ理由で印象に残っているのは羽生さんとの感想戦です。羽生さんといえども完璧ではないので、相手に自分の気づいていない手を指摘されることがあります。普通の棋士はそういう時、悔しそうな表情を見せるんですが、羽生さんは感心しながらすごく楽しそうにしている。また、感想戦でも派手な手が出ますし、こちらも楽しくなる。

 藤井さんも似たようなところがあって、私が立会人を務めた叡王戦第二局、珍しく序盤で角換わりの最新型から少し変化したんです。これはあまり見られなかったことで幼い頃から何度も対局している伊藤さんが相手だから何かしらの気持ちの変化があったのかなと思いました。感想戦でも2人だけの世界といいますか、笑みを浮かべながら楽しそうでした。元々声が小さいのと、10手も20手も先のことを言っているので傍で見ていても何を喋ってるかわからなかったんですが(笑)。

 将棋は2人でひとつの芸術作品を作り上げていく作業でもあるので、拮抗した実力の相手が現れることは望ましいと思いますし、やっぱり前例から離れ、中盤や終盤のねじり合いが続いて、最後に互いの玉が詰むか詰まないかの局面を時間のない中で読み切っていくのが棋士として一番充実した時間だと思います。藤井さんは伊藤さんとの対局で、それを味わえたのではないでしょうか」

 棋は対話なり──。谷川は藤井と伊藤の対局の中にその萌芽を見てとった。それは全棋士の中で最も数多く対局している羽生と谷川の間にも存在したものだった。

「阿吽の呼吸という言葉がありますが、棋士も対局を重ねていくに従ってお互いにわかり合えてきます。私と羽生さんは一番多い時には年間20局以上対局したんですけれども、お互いに必ず何か新しいことを準備して臨んでいました。7六歩、3四歩と歩を突くだけなんですけれども、そこに込められた様々な準備や思いを読み取るんです。

 対局数が100を超える頃にはもう『定跡も前例も少ない形で戦いましょう』という理解があって、タイトル戦のどこか一局は相振り飛車という形で戦うことが多かったです。お互い基本的には飛車を最初にある筋で使う居飛車党なので、飛車を振ることは少なかった。だから実戦例も少なく、他の棋士も研究していないので可能性や自由さがありました。まだAIもない時代だったので許されたことかもしれませんが」

全冠制覇は辛すぎる

 全冠独占が崩れ、棋界が動き出す中、7月末に藤井への挑戦権を懸けた王座戦挑戦者決定戦が行われ、前年度の王座戦で藤井の八冠制覇を許した31歳の永瀬が53歳の羽生との大一番を制した。

「永瀬さんは前年度のリターンマッチになります。それとは別に王位戦では渡辺(明)さんが挑戦者になっている。渡辺さん、永瀬さんはトップ棋士の中で最も藤井さんに痛い目に遭ってきた2人です。八冠が崩れて将棋界が動いたのは確かですが、タイトルを獲ったのが21歳の伊藤さんなので、30代の2人にしてみれば手強い後輩がもう1人増えたということ。

 羽生さんが七冠の頃は私が当事者だったのでわかるのですが、さすがに全冠制覇されるのは年長の棋士として辛すぎるわけです。まして1人ならその人だけを見ていればいいんですけど、年少2人に現時点で抜かれたわけですから、自分たちの時代が終わり、これからは20代前半の世代が動かしていくことにもなりかねない。相当な危機感があると思います」

 1980年代、天才の名をほしいままにしていた谷川は年下の羽生に次々とタイトルを奪われ、30代半ばで無冠となった。そこから葛藤の末に復活を遂げた。そんな経験を持つだけに藤井世代より年長の棋士たちに視線を注ぐ。そして年長者の中でも驚くべきは、50代に突入して将棋連盟会長も務める羽生が挑戦者決定戦まで勝ち進んだという事実だった。

「終盤力も若い頃と変わらないですし、いろいろな戦法に柔軟に的確に対応できている。何より驚くのは会長職を務めながらということです。今年は将棋連盟の100周年で東西の会館の建設もあるので、休みがないくらい忙しいはずです。研究に充てたい時間もあるでしょう。勝負ごとなので、先のことはわかりませんが、羽生さんはタイトル99期、来年以降、何か大きなことが起こるのではないか、そういう期待は皆さん持っていると思います」

 藤井とその世代の時代になるのか。それとも年長者が意地を見せるのか。そして衰えを知らない羽生は再びタイトル戦の舞台に立つのか。棋界の話題は尽きそうにない。

【プロフィール】
谷川浩司(たにがわ・こうじ)/1962年生まれ、兵庫県神戸市生まれ。5歳で将棋を覚える。1976年、史上2人目の中学生棋士として四段デビュー。1983年に史上最年少の21歳2か月で名人位を獲得し、1997年に十七世名人の資格を得る。著書に『藤井聡太はどこまで強くなるのか 名人への道』『還暦から始まる』(ともに講談社)などがある。

鈴木忠平(すずき・ただひら)/1977年、千葉県生まれ。ノンフィクションライター。日刊スポーツ新聞社入社後、2016年に独立し、現在フリーとして活動している。『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』など著書多数。最新著書は、『いまだ成らず 羽生善治の譜』(いずれも文藝春秋)。

※週刊ポスト2024年8月16・23日号

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