広島市の原爆ドーム前で深夜から朝にかけて拡声器を通した怒号が響き渡った。
「慰霊の場での配慮をお願いします。移動をお願いします」(広島市担当者)
「広島市長は虐殺国家のイスラエルを式典に呼んだ。こんなやつらに原爆ドームをあけわたすべきではない」(活動家)
終戦間際だった79年前の8月6日、原子爆弾が広島に投下された。毎年「原爆の日」には広島市で平和記念式典が催され、国内外の要人や遺族ら多くの参加者が集まっている。このため会場となる平和記念公園全域では、早朝から入場規制が行われていた。
しかし規制が行われる前夜から、過激派「中核派」を中心とした100人規模の市民団体が居座り、規制の時間になっても移動しなかった。周囲は深夜から朝にかけ、怒号が飛び交い、一触即発といった状況で混沌としていた。
「毎年行われる平和記念式典にあわせて、『原爆の日』に広島市ではさまざまな活動家がデモや行進を繰り広げます。特に危険なのが中核派の活動家です。昨年の8月6日に、広島市の職員に体当たりをしたという容疑で、今年の2月、県警は5人の中核派の活動家を逮捕しています。起訴され、現在も5人の身柄は拘束されています。このような経緯から、今年はさらに過激化するという見立てでした」(捜査関係者)
起訴状によると、5人は昨年の8月6日早朝、腕を組み4列縦隊の最前列で、参列者の誘導にあたっていた市職員に体当たりをした暴力行為等処罰法違反(集団的暴行)の罪に問われている。
「ヘルメットやマスクで顔を隠していましたが、カメラ映像などから身元や足取りを特定し、逮捕しました。前年のこともあり、市など関係団体はこれまでの入場規制を、従来よりも拡大し、原爆ドームを含む平和公園全体に広げました。しかし、中核派は前夜から『野営』を開始した。規制が始まる前から中にすでにいたんです。そして規制が始まった午前5時になっても移動しなかった」
中核派は事前に野営の呼びかけをSNS等でしており、もちろん警察や市もその動きを把握していた。
「公園を管理する広島市がどのように対応するか注目が集まっていた。事前に集まった情報では、中核派は去年の経緯や広島市がイスラエルを招待したことで過激化しており、『逮捕も辞さない』と息巻いていた。広島市が県警に排除要請をすれば、警察は多少の強硬手段をとれます。
しかし、これを警察上層部が回避したようです。100人規模の強制排除となれば周辺の混乱は避けられず、労力も大きいということかと思いますが……」(同)
早朝から始まった中核派との戦い
午前5時ごろ。横断幕やのぼり旗を持ち、腕を組んで壁を作る中核派の活動家らに警察と市の職員は声をかけはじめた。これと前後して、ヒートアップする中核派。
「右翼は出ていけ」「警察の手先!」「帰れコラ」「お前らに平和公園は蹂躙させない」(中核派)
市の職員が周囲をぐるぐる周りながら、移動を頼むも、活動家は聞く耳を持たない。
県警は「公園内に滞留する君たちに広島市長からの要請に基づき警告する。公園管理業務の妨害になっている。ただちに退去しなさい」などとスピーカーを通して訴えるも中核派は一顧だにしない。迷惑行為を禁じる条例に違反しているとして過料5万円になると行政側が訴えると、「路上喫煙も5万円だが、実際に払うのは1000円だ」といった謎の反論も聞かれた。いつまで経っても止まないシュプレヒコール。
「座り込み排除を許さないぞ」「警察は帰れ」「核戦争を許さないぞ」「イスラエルを式典に呼ぶな」「岸田を式典に呼ぶな」「広島長崎を繰り返すな」──あたりが徐々に明るくなり、中核派のメンバーの表情が分かるようになってきた。老若男女さまざまだが、あまり疲れているようには見えない。近隣住民が嘆息する。
「こんな大きい声で叫ばれると頭が痛くなりますね。戦争反対はもちろん正しいと思いますが、原爆ドームの前でこんなことをして、遺族がどう思うかとかに配慮できないんですかね。こんな行為を許していいんでしょうか」(中年男性)
「結果として、座り込みを予定の時間やりきることで、向こうは“勝利した”と捉えるんでしょうね。相当にイレギュラーなことが起きない限り、こうなると分かっていたとはいえ、このような対応でよいものなのかはよく検討すべきだと考えています」(前出の捜査関係者)
若い活動家の女性は「指一本触れられなかった」と拡声器で勝利宣言していた。
原爆が投下された午前8時15分。活動家らは一度騒ぐのを辞め、黙祷を終えると、原爆ドーム前から「わっしょいわっしょい」などと叫びながら、移動する活動家ら。周囲の横断歩道ではぞろぞろ歩く活動家の影響で渋滞などが生じ、なかなか行きたい方向に行けない一般市民であふれていた。