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大阪桐蔭「最強世代」以来の夏優勝を阻んだ下関国際「伝説のトリプルプレー」 ショートからマウンドに上がった仲井慎の回想

NEWSポストセブン 2024年8月8日 6時15分

 大会2日目の甲子園は、第1試合で3年連続出場の強豪・大阪桐蔭(大阪)と2年ぶりに甲子園に帰ってきた興南(沖縄)が対戦する。根尾昂(現・中日)や藤原恭大(現・千葉ロッテ)らを擁して「最強世代」と呼ばれた2018年以来、夏の全国制覇から遠ざかっている大阪桐蔭の戦績に注目が集まるなか、2022年に喫した「劇的な敗北」を当事者が振り返った。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。

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全国制覇は春夏あわせて9度を数え、高校野球に一強時代を築く大阪桐蔭ほど、勝利よりも敗北が大きく報じられる学校はない。歴代最多となる69勝を挙げている西谷浩一監督は、聖地にて14敗を喫しているが、勝つ時は豪快に、敗れる時には劇的に──そんな印象さえある。

記憶に鮮明なのは2年前(2022年)の夏、準々決勝で激突した下関国際(山口)戦だろう。

「僕らはベスト8に進出した2018年の下関国際を見て、入学して来た世代でした。入学した直後から、先輩を超えることを目標に過ごしてきました」

そう振り返るのは、下関国際で遊撃手兼投手として活躍した仲井慎だ。彼らが3年生になろうかという2022年春、センバツで優勝したのが、松尾汐恩(現・横浜DeNA)が主将を務め、2年生の前田悠伍(現・福岡ソフトバンク)が事実上のエースだった大阪桐蔭だった。

「春の日本一でしたから、チームのミーティングでも、『大阪桐蔭に勝つためには何が必要なのか』ということをずっと話していました。大阪桐蔭のような常連校に勝てなければ、ベスト4以上の景色を見ることはできない。だから春以降はずっと大阪桐蔭の動画を見て、どんな野球をやってくるのか頭に入れ、あらゆる対策を体に染みこませていました。大阪桐蔭のように打って抑えて美しく勝つという野球に対して、うちは泥臭く、形にこだわらずに点を奪っていくしかなかった。夏を迎えるうえで、どこの学校よりも練習したっていう自負はありましたね」

「相手の名前にびびることもなかった」

 とりわけ坂原秀尚監督が練習でこだわったのが、バント処理などの細かなサインプレーであり、投手と内野手の連係だった。

 あの夏の山口大会はケガを負っていたエース左腕の古賀康誠に代わって仲井が要所を投げて勝ち上がった。甲子園入りしてからは古賀が先発し、中盤になって仲井が遊撃よりマウンドにポジションを移して試合を締めくくる必勝リレーを構築。初戦(2回戦)の宮崎・富島、3回戦の島根・浜田を下して準々決勝に進出し、そこでぶつかったのが大阪桐蔭だった。

「シートノックの時に、監督さんから『いつも通り、自分たちらしく、普通にやれば勝てる』と言われて。気持ちがラクになりましたね。僕らはベスト4以上の成績を残すためにやってきた。相手の名前にびびることもなかった」

 初回に大阪桐蔭が松尾のタイムリーなどで2点を先制する。下関国際も3回、5回に1点ずつ返して同点に。3対3で迎えた6回裏の守りで古賀が1点の勝ち越しを許したところで、仲井がマウンドに向かう。ピンチを切り抜け、試合は終盤に。

 明暗を分けたのは──。その問いに対して、仲井は即答した。

「やっぱり7回裏のアレですね」

「身体が勝手に反応した」

 仲井は無死一、二塁のピンチを背負う。当然ながら大阪桐蔭の策として考えられるのは送りバントだ。一塁手が前に猛チャージして大阪桐蔭の打者・大前圭右にプレッシャーをかけるも、仲井は2ボールにしてしまう。すると西谷監督も遊撃が本業の仲井のフィールディングを警戒しながら、よりアグレッシブに仕掛けていく。投球と同時に走者を走らせつつ、打者はバットを寝かせるというバントエンドランのサインを送ったのだ。

「2ボールになってしまったことで、真ん中にボールを投げて、相手にバントをさせて、二塁走者を三塁でアウトにすることを想定していました。ところが、真ん中に投げようとしたボールが引っかかって、外角にいってしまったんです」

 そのボールを大前がバットに当てる。ちょっとしたライナー性の打球が仲井のグラブに収まり、ボールは二塁、一塁と送られた。飛び出した二塁走者、一塁走者はいずれも戻ることができず、三重殺(トリプルプレー)が成立したのだ。

「さすがにトリプルプレーの練習はしたことがありませんでしたが(笑)、投内連係はしつこくやった練習でした。ただ、自分は基本的にショートを守っていたので、投手のフィールディング練習はあまり参加していなかった。あのプレーは身体が勝手に反応した感じでした。確かに苦しい試合でしたけど、大阪桐蔭を追いかける展開を想定して日頃からケースバッティングなどに取り組んでいました。それが実った試合でした」

 7回の大ピンチのあとのビッグチャンスは9回表にやってきた。1死二、三塁から走者を一掃するタイムリーが飛び出し、逆転に成功。最後の守りは仲井が三者凡退に抑え、5対4で下関国際が準決勝に進出した。偉大な先輩を超えた瞬間だった。

「3年間積み上げてきたものを表現できた試合だったと思います」

 決勝で宮城・仙台育英に敗れたあと、仲井はU-18高校日本代表に選出された。U-18野球W杯はコロナの罹患によって辞退せざるを得なかったものの、2年前の夏、最も輝きを放った球児だった。

その仲井は今、駒澤大学に在籍(2年生)する。体重は入学から10キロ以上増え、自然と球威は増している。高校時代のように遊撃手用のグラブは手にしていない。チームは今春、東都大学野球リーグの二部に陥落してしまったものの、再び一部に昇格させることが投手専任となった仲井にとって喫緊の目標だ。その先に、プロ野球選手という大きな夢がある。

■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)

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