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【パリ五輪・男子高飛込の決勝間近】86歳にして現役指導者・審判員のレジェンドに聞く 体操競技で導入のAI映像判定が「飛込」に使われない理由

NEWSポストセブン 2024年8月10日 11時2分

 中学時代に飛込競技を始め、16歳でアジア大会に初出場。五輪にはメルボルン、ローマ、東京に出場した飛込競技界のレジェンド・馬淵かの子氏。夫の馬淵良氏、娘の馬淵よしの氏も飛込競技の五輪代表選手だった。引退後は指導者となり、審判員の資格を取得。夫とJSS宝塚スイミングスクルールを立ち上げ、寺内健など多数の五輪選手を育てた。一昨年の水泳世界選手権で日本人初の銀メダルに輝き、今回のパリ五輪でもメダル獲得が期待された高飛込の玉井陸斗選手もその一人。86歳の現在も指導者を続ける馬淵氏に、『審判はつらいよ』の著者・鵜飼克郎氏が聞いた。(前後編の後編。前編を読む。文中敬称略)

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 多くのスポーツで導入されている映像判定。「最高の飛込」を機械が決め、跳躍の高さや角度、回転スピード、水しぶきの量や音を測定すれば公平な判定ができるのではないか。採点競技の代表格ともいえる体操競技では、2023年の世界選手権(ベルギー・アントワープ大会)から、全種目でAIによる採点支援システムが導入された(審判団の意見が食い違った時と、選手からの問い合わせ時に参照する)。

 だが、現状では飛込競技で導入の動きはない。中学時代に飛込競技を始め、16歳でアジア大会に初出場。五輪にはメルボルン、ローマ、東京に出場し、引退後は指導者となり審判員資格も取得した「飛込競技界のレジェンド」馬淵かの子が言う。

「飛込の採点では“演技全体の印象”が最重視されます。コマ送り映像は演技を細分化して解析するには優れているかもしれませんが、全体の印象は審判員の目で判断するしかありません。

 ただし、10メートル高飛込の足元などは映像確認を導入してもいいと思います。先端で2度飛び上がると“危険な行為”として2点の減点となりますが、審判員席からは肉眼ではっきり確認できません。確認できないまま減点されてしまうケースもあるので、足が台から離れたらライトが点くようにしたらどうかと提案する審判員もいます。採点の概念を守る前提であれば、テクノロジーの導入は考えていいと思います」(以下同)

 フィギュアスケートなどでは「ビジュアルも採点に影響する」という噂がまことしやかに囁かれてきた。飛込でもそうした話はあるのか馬淵に訊ねたところ、「女子の試合で男性審判員が“あの子は美人だね”なんて言っているのを聞いたことがあります。採点が甘くなっているのかもしれません」と苦笑いするが、こう続けた。

「スタイルがいいと動きがシャープになりますが、背が高いと不利になる。飛込台から入水までの空間はどの選手も同じですから、空間を有効に使うには小柄なほうがいいでしょうね。私も現役時代に“もう少し背が低いほうがよかったのに”と言われましたが、身長は変えようがありません。もちろん体重が重くてもダメだし、胸やお尻が大きいと入水が難しくなる。男子選手のほうが入水姿勢はとりやすいでしょうね」

難点は選手と審判員の“点数ギャップ”

 あらゆる採点競技で技の進化が著しい。馬淵が選手として出場した1964年東京五輪の際には、体操の日本代表選手が当時の最高難度(C)を超える技を繰り出し、「ウルトラC」と命名された。それから60年が過ぎた今ではG、H、I難度まで登場している。

 当然、飛込競技でも審判員が技の進化に追いついていかなければならないが、採点の難しさはどのような点にあるのだろうか。

「技の難易率は決まっていますし、事前にどういう技で飛び込むのかも提出されます。組み合わせとしては新しくても、回転や踏み切り、空中姿勢、ひねりといった個々の要素は同じ。それぞれの姿勢の美しさを判定することに変わりはないので、採点そのものは競技経験者であれば難しくはありません。

 難しさがあるとすれば、選手と審判員の“点数ギャップ”かもしれません。私も選手時代に“なぜこの程度の点数なのか”という思いをたくさんしました。国際試合では国によって審判が辛くなったり、甘くなったりする。だからこそ公平に判定しないといけない。私が減点を0.5にしたばかりにメダルを逃したとわかると本当に気の毒に思う。だからこそ選手も納得できる採点が必要なのですが、簡単にはギャップは埋まりませんね」

 採点競技では、審判員のつけた点数をめぐって物議を醸すケースは後を絶たない。2022年冬季五輪(北京)ではスノーボード男子ハーフパイプ決勝で平野歩夢の2本目の滑走が低い点数になったことが問題になった。平野は3本目で最高点を記録して金メダルに輝いたが、インタビューで2本目の点数について問われ、「納得はいってなかったけれど、怒りが自分の中で(3本目に)うまく表現できた」と答えた。

 選手としても審判としても日本を代表する立場であった馬淵もこう本音を漏らす。

「現役時代は同じ水泳競技でも、どちらが先にゴールしたかで勝ち負けが決まる競泳の選手を羨ましく思ったものです。“タイムで順位が決まる競技は審判員のえこひいきがないのに……”と恨みました」

 それでも馬淵は、「やはり生まれ変わっても飛込競技に関わりたい」と言う。

「娘と一緒にフィギュアスケートをテレビ観戦していたんですが、娘は“もう採点競技はやりたくない”と言っていました。でも、私はやっぱり飛込をやると思います。昔はなかったですが、2人1組で演技するシンクロ種目も登場したし、20代の頃の体に戻してくれるなら今すぐにでも挑戦してみたい。失敗したら痛いし、怖いし、寒い。大変なスポーツですが、それでも飛込競技は楽しい。もちろん、引退したら審判員もやりますよ。娘からは“変わっているわねぇ”と言われてしまいましたけど(笑)」

(了。前編を読む)

※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成

【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一、長嶋茂雄、王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。飛込の審判員のほか、野球やサッカー、柔道など五輪種目を含む8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。

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