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「Adoさんの『うっせぇわ』は好きですよ」デビュー60周年・水前寺清子(78)が明かす名作誕生の裏側、そして“生涯現役”宣言

NEWSポストセブン 2024年8月22日 11時15分

“チータ”の愛称で親しまれる人気歌手・水前寺清子(78)が今年10月でデビュー60周年を迎える。歌手・女優として数々の代表作があるが、幾度も壁に直面していたという。今、初めて明かされるあの名作誕生の裏側とは──。

 水前寺清子のデビュー曲『涙を抱いた渡り鳥』が発売されたのは、東京五輪が開催された1964年10月のこと。着物にショートヘアの彼女が溌剌と歌う姿は、新しい時代の始まりを予感させた。

 あれから60年、時代は多様に移り変わったが、本人はケロッとしている。

「60年と言われても正直ピンときません。歌うことが大好きで続けてきたらいつの間にか経ってしまったという感覚です。ただ、振り返ってみると周囲に支えてくれる人がたくさんいて私は運が良かったなぁと感じます」

 デビューから4年で20枚以上のシングルを発売するなど演歌歌手として人気が定着したが、1968年発売の『三百六十五歩のマーチ』で転機を迎える。今も歌い継がれる国民的歌謡曲だが、実は当時、本人は「終わった」と絶望を感じたという。

「レコーディングスタジオに入るや否や流れていた音楽に、私は思わず『どこの運動会の歌?』とディレクターに質問したくらいです。デビュー以来、ずっと演歌を歌い続けてきたのに“どうしてマーチを?”と困惑し、『もうこれで水前寺清子は終わった』と思いました」

 歌うことを拒んだが、ディレクターの猛烈アピールに背中を押された。

「『とにかく一度だけ歌ってみてよ』と言うので歌ってみたら、一発OK。ただ私自身は違和感があり、『もう一度歌わせてください』とお願いしました。『ワン・ツー』と日本語的な発音に直したり、一部分に演歌で慣らした“コブシ”を入れてみたりしたのは、私なりの小さな抵抗でした」

『三百六十五歩のマーチ』お馴染みの名調子は、この2回目の録音によるものだった。それまでの着物姿とは様変わりしたレコードジャケットの写真も話題だった。

「なんとミニスカートを穿いたマーチングバンドのような衣装。もうレコーディングした後だし『なるようになれ!』と思っていました(笑)」

 当時の思いとは裏腹に同曲はミリオンセラーを達成。結果的に自身最大のヒット曲となり、感謝しているという。

 NHK紅白歌合戦にはデビュー翌年から22年連続で出場。その間に司会も4度務めた。近年は出場機会こそないが、紅白を通して時代の移り変わりを実感するという。

「私は演歌歌手ですから、紅白で演歌枠が縮小されるのは残念ですが、時代にマッチした音楽が流行るのは当然です。今の歌もすごくいい。Adoさんの『うっせぇわ』は好きですよ」

毎週トイレの前で

 水前寺が一躍お茶の間の人気者となったのは、女優業の成功も大きい。初の主演ドラマ『ありがとう』(TBS系、1970~1975年)は、相手役の石坂浩二、母役の山岡久乃との共演で人気を博した。

 だが、『三百六十五歩のマーチ』同様、最初はオファーを断わっていたという。この時もまた、背中を押したのは熱意ある人物だった。

「当時、歌の仕事が忙しく、とてもドラマなど引き受けられる状況ではありませんでした。そんななか歌番組でテレビ局に行くと、毎週必ず、あるご婦人がトイレの前に立って私を待ち、『チータ、ドラマやらない?』と」

 その婦人とは、のちに『渡る世間は鬼ばかり』などTBSを代表するドラマプロデューサーとなる石井ふく子だった。

「1か月ほど経ったある日、今日こそキッパリお断わりしようとトイレに向かうと、『あなたがやらないのなら、このドラマはやめます』と仰る。私はその場で『わかりました、やります!』と、つい言ってしまった」

 それでも「やってよかった」と振り返る。

「会社には叱られるし、いざ撮影が始まると公演先から夜行で帰京したり、移動中に台本を覚えたりと、大変な生活になりました。でも街を歩くと役名で呼ばれたり、共演者の方からも温かく接していただき、トイレの前で熱心に誘っていただいた石井ふく子先生には感謝してもしきれません」

 その後も時代劇、現代劇を問わず出演が続いた。2000年には『教習所物語』(TBS系)で鬼教官役を演じたが、実はこの時、彼女は“ペーパードライバー”だった。

「実生活では車を運転することがほぼなく、ペーパードライバー状態が続きました。実は70歳を過ぎた時に決意して運転免許証は返納したんです」

 精力的に活動してきたが、10年前には腰部脊柱管狭窄症で手術を受けた。

「痛みで歩行も難しくなってしまい、ステージで元気よく走り回ることができず、医師の勧めで手術を決断しました。去年も腰の圧迫骨折で皆様にご心配をおかけしましたが、そんな困難も乗り越えることができました」

 78歳の今も生涯現役として歌い続けるつもりだ。

「若い人が集まるライブハウスで歌うのはすごく刺激になります。新しいことに挑戦し、知らない世界を体験するのはとても楽しい。今後は音楽や歌を学ぶ若者のお手伝いができないかと、漠然とですが思っています」

 10月15日のデビュー記念日に合わせた新曲発表も予定しているという。

 幸せは歩いてこない、だから水前寺清子は腕を振って、足を上げて今日も歩いていく。

※週刊ポスト2024年8月30日・9月6日号

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