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【パリ2024パラ五輪】車いすテニス界のレジェンド・国枝慎吾さんがエールを送る「小田凱人選手の“穴のないプレー”に注目を!」

NEWSポストセブン 2024年8月25日 7時15分

 パラリンピックで通算4度の金メダルを獲得し、昨年に世界ランキング1位のまま現役を退いた車いすテニス界のレジェンド・国枝慎吾さん。パリ大会では国枝さんに憧れて車いすテニスを始めた小田凱人選手がメダルに挑む。自身の歩みと後輩の活躍について、『パラリンピックと日本人』(小学館新書)の著者でノンフィクションライターの稲泉連氏が思いを聞いた。

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 僕が車いすテニスという競技に出会ったのは11歳の時でした。当時はインターネットで競技を知ることもできなかったので、実際のコートでトップ選手の激しいプレーを見た時は、「うわ、こんなにすごいんだ」と驚きました。そして、自分が車いすでいることに希望を抱き、「こんなふうに生きていけばいいんだ」と感じたものです。

 以来、競技を続ける中で、僕が最も大事にしてきたのは、「障害者」というイメージを覆すプレーをすることでした。

 車いすテニスの競技性の高さを伝え、普及していく。そのためには、やはり勝たなければならない。自分が最高のプレーをして勝てば、それだけ多くの人たちに車いすテニスの魅力を知ってもらえる。そう信じながら競技を続けてきました。

 それから僕がいちばん嫌だったのは、車いすテニスを見に来た人に、「こんなものか」と思われることでした。だから、勝つだけではなく、予想を上回るレベルを見せたいと思いながらプレーしていましたね。その意味で現役時代は対戦相手と戦うだけではなく、プレーをする自分自身と戦い、周囲の目とも戦っていた、という思いがあります。パラリンピックは僕にとって、車いすテニスのそんな競技力の高さを伝える絶好の舞台であり続けてきたんですね。

 僕が初めてパラリンピックに出場した2004年のアテネ大会の頃は、パラスポーツと言えば新聞の社会面で扱われるものでした。それが、今ではスポーツ面で競技の結果が報道されるようになった。この20年でパラスポーツの認知度が上がり、社会に浸透したことを嬉しく思います。僕自身は東京大会で金メダルを獲得し、念願だったウィンブルドン選手権でも勝利したことで、「やりきった」という思いがありました。今は、かつて僕が先輩たちのプレーを見て競技を始めたように、新しい世代が車いすテニスの世界で活躍し始めていることが嬉しいですね。

全てのショットが強力

 今回のパリ大会には、17歳で全仏オープンを制覇し、今年の全豪オープンでも優勝した小田凱人選手が出場します。18歳という年齢でありながら、技術的にはすでに穴を見つけるのが難しいほどの選手です。全てのショットが強力だし、「この勝負にかける」というメンタリティ、観る者を魅了するエンターテイナーとしての力が飛び抜けています。彼はきっと車いすテニスの魅力を、僕が発信できなかったレベルで伝えてくれるでしょう。今大会はぜひ彼の活躍に注目してほしいです。

 健常者も障害者もスポーツは同じように楽しめる──それはパラスポーツの持つ大きなメッセージ性です。パラリンピックは東京での大会を経て、様々な競技の注目度が上がりました。僕も現地でナビゲートするので、新たな世代の活躍を一緒に応援しましょう!

●小田凱人(おだ・ときと) 車いすテニス
9歳の時に骨肉腫を発症し、昨年引退した国枝慎吾さんに憧れて車いすテニスを始める。2023年、17歳で全仏オープンに史上最年少優勝。ウィンブルドン選手権、全豪オープンとすでに四大大会で3勝をあげている。

【プロフィール】
国枝慎吾(くにえだ・しんご)/1984年、千葉県生まれ。車いすテニス界の数々の記録を樹立。2023年には国民栄誉賞を受賞。ユニクロ所属。

取材・文/稲泉連(いないずみ・れん)
1979年、東京都生まれ。2005年、『ぼくもいくさに征くのだけれど-竹内浩三の詩と死-』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『豊田章男が愛したテストドライバー』『日本人宇宙飛行士』『サーカスの子』など。1964年の東京パラリンピックについて取材した『パラリンピックと日本人 アナザー1964』が好評発売中。

※週刊ポスト2024年8月30日・9月6日号

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