Infoseek 楽天

【暴発したらジ・エンド】末期がんの現役議員でプロレスラーが電流爆破マッチに挑む「人は何のために生きているのか」を見せたい

NEWSポストセブン 2024年8月23日 16時15分

 人知を超えた闘病生活で、末期がんを克服せんとするプロレスラーがいる。プロレスラーで東京都文京区議会議員の西村修、52才。4月からステージ4の食道がんの治療を行い、7月には脳への転移で意識不明の重体にまで陥りながら、8月24日のプロレス大会『テリー・ファンク一周忌追悼・大仁田厚デビュー50周年記念大会「川崎伝説2024」』(神奈川・富士通スタジアム川崎)の電流爆破マッチの試合に出場する。

 本来なら絶対安静の状況で、妻と5才の息子もいながらも、生死にかかわりかねないデスマッチに挑む。8月22日、合宿地の千葉県いすみ市を訪れたNEWSポストセブンに、そんな常識外れの生き様への思いを、単独インタビューで明かした。

「落ち込むかって? そんなわけにいかないでしょ。大好きな息子だって私を見ている。ここでどう生きるか。今こそ真価が問われる場面ですよ」

 太平洋の大海原が一望できる太東埼灯台で、とてもステージ4のがん患者とは思えない分厚い体格を柵にもたれさせると、開口一番、記者の病状と心情を案じた問いかけを一蹴した。

 食道がんは左上半身全域に転移し、体中の激痛で仰向けに寝ることもできない日々。急きょの抗がん剤治療を始めて4か月。そこから入退院を繰り返して、7月には脳腫瘍によるけいれん失神でICU(集中治療室)へ緊急搬送。脳への放射線治療も経てボロボロなはずなのに、不思議と精気に溢れて、発言もとことん前向きだ。

「“悪液質”という医学用語をご存知ですか? がんと抗がん剤や放射線治療の副作用で心身を猛烈に削られて、食欲が無くなり痩せ細っていくことを指す言葉です。要するに重病人は、負のスパイラルで坂道を転げ落ちていくわけです」

 例えば、病院食を食べ残せば、さらに胃に軽い食事に変わっていく。ベッドで終日寝たきりでも、その辛さを知る医師や看護師は、怒らずにそっとしてくれる。

「体を甘やかしたら、あとは尻すぼみに弱るだけ。がんを治すなら、化学治療だけじゃなく、自分でもいっぱい栄養を摂って体力をつけなきゃ。腹を減らすには体を動かすトレーニング。ICUから退院したときは、スクワット3回すらできなかったけれど、頑張ってもう1回増やせば、次は4回、5回と増えていく。今は朝に300回、午後は全身の筋トレができるまでになって、4月の初入院時よりも体力は上がってきました。もうリングでも戦えます」

苦しい、もう止まってしまいたい

 本当は、トイレに行くのもキツいほどに身体は重く、四六時中、薬の副作用の倦怠感や酩酊に支配されている。でも、青春時代のプロレスラーになる体づくりも、いつだって全身筋肉痛で立てなくなってからが、本当の練習だった。

「苦しい、もう止まってしまいたい。そう思った瞬間からの一歩」が、未来を切り開いてきたことを身をもって知る西村は、死と向き合う崖っぷちでも、迷いはない。

 取材時も「昼ごはんを食べましょう」と、ニンニク山盛りのラーメンと炒飯、餃子をペロリ。一時、94キロまで落ちた体重も104キロと10キロも増量させた。

「抗がん剤のおかげで体の痛みは激減。左上半身のがんも7割が消滅。脳腫瘍治療のため止めた抗がん剤治療も、試合後からは第5クールから再開させます。9月には文京区議会にも出席します。疲れたらしっかり休むことも忘れませんが、日々の歩みは止めません」

 5か月ぶりの試合復帰も、通過点と捉えている。

 実際は、今回が“ただの通過点”なわけがない。戦うリングには、ロープ代わりに有刺鉄線と電流爆破が張り巡らされて、リング下に落ちれば地雷の大爆発が待ち受ける。対戦する大仁田厚と雷神矢口も、有刺鉄線ぐるぐる巻きのバッドで殴り掛かってくる。まさに“この世の地獄”だ。しかも、タッグパートナーは、西村の師匠で御年83才の米国人レジェンドレスラーのドリー・ファンク・ジュニア。要するに、戦場でのお年寄りのボディーガードというわけだ。

「この試合では、さすがに自分の身を案じる暇は無い。プロレス界の至宝のドリーさんを、文字通り命に代えても守らなきゃいけない。彼が日本で戦うのも人生最後。この役目だけは他の誰でもない。自分がやるしかないから出場するのです」

 治療を託す国内屈指のがん専門病院の主治医には、「許可できるわけないけれど、もはや西村さんを止められない」と諦められたが、ほかの医師や看護師、担当トレーナーらと5人体制でリングサイドで見守ってもらえることになった。

「食道の裏の大動脈にべったり張り付くがんが、地雷や電流の衝撃で暴発したら、さすがにジ・エンド。即、大量吐血をしてあの世行きなので、病院には自己責任の念書を書かされました」と苦笑いしながら、実情を明かす。

なぜ、そこまでしてリングに上がるのか

 それでも、最後も記者のありきたりな愚問に即答で返答した。なぜ、そこまでしてリングに上がるのか? スポットライトが恋しいのか?

「これだけの周波が重なり合うなんて、運命が私を導いたと思いませんか? 自分の命、師匠の命、本来のプロレスのすごさ、人は何のために生きているのか……そんな全てをお客さんと息子に見せるために、私は生まれてここまで生きてきたのだと実感しています。きっと誰かに何かが伝わるはず」

 人間は、窮地に立たされたときにこそ本質が問われる。

「もちろん、私も宣告されて大ショックだったし、ネットでたくさん検索しまくって落ち込んだときもありました。食道がんの主な原因は酒らしい。本来は体質に合わないのに、レスラーと議員生活で浴びるように飲んできてしまったツケでしょう。でも、起きたことは今さらしょうがない。むしろ、どこかこの絶体絶命の状況を楽しんでいる自分がいます」

 強がりなのか、自分自身に言い聞かせているのか、圧倒的な強メンタルなのか……いずれにしても、プロレスラー西村修は、その生き様で人間の底力を証明してみせようとしている。

 26年前の1998年。27才のときも、後腹膜腫瘍のがんを克服して、レスラーに復帰した成功体験もある。「もちろん、試合にもがんにも全部、必ず勝ちます。奇跡を起こします」

 そう誓うと、生気が満ちるという玉前神社の玉砂利「はだしの道」で、力強く踏み歩き出した。

この記事の関連ニュース