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《『古畑任三郎』では今までにない自分を》俳優・田村正和さんの知られざる晩年「もうやりきった…」77才で他界した2人の兄を語る弟・田村亮

NEWSポストセブン 2024年10月12日 11時12分

 代表作『古畑任三郎』シリーズが6月にフジテレビで再放送されるなど、亡くなって3年の月日が流れても人気が衰えない俳優・田村正和さん(享年77)。“憂愁の貴公子”と呼ばれた兄を持つ俳優の田村亮さん(78)は、正和さんが亡くなった年齢を超えた今も現役で活動を続けている。最近の活動や暮らしぶり、これまでの半生、長兄・高廣さん(享年77)も含めた“田村3兄弟”や、大スターの父・阪東妻三郎さん(享年51)とのエピソードなどについて聞いた。【全3回の第1回】

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 先日再放送された正ちゃん、いや正和兄貴のドラマ『古畑任三郎』は拝見しましたよ。高廣兄貴の作品も放送されたら見ますし、2人が存命中も見ていました。僕は録画して見るのは好きじゃないので、その日、新聞を広げて「あ、今日放送されるんだな」と思って、家にいたら見るぐらいですけどね。

 でも、お互いの作品について、兄弟で語り合ったことはないんです。だから、『古畑任三郎』も正和兄貴が「どう演じようかな」「それまでにない自分を出そう」と一生懸命考えて演じているのを、テレビを見ながら感じていました。とくに、ラスト5分ぐらいの犯人のトリックを解き明かすシーンは見所ですよね。三谷幸喜さんの作品だけあって、正和兄貴の力が入っているのがわかりました。兄貴は亡くなった後も、こうして多くの人に作品を楽しんでもらえるのだから幸せです。

 考えてみれば、高廣兄貴も正和兄貴も77歳で亡くなったでしょ。だから、僕も77歳で何かあるんじゃないかと、ここ1年はヒヤヒヤしていました。この5月で78歳になり無事に77歳を超えたので、「あぁ、生き延びた」と少しホッとしていたところです。正和兄貴は「もうやりきった」と晩年は表に出ませんでしたが、僕はまだまだ、体力さえあればできるんじゃないかな、と思っていますね。

田村家の「墓」

 僕は6月23日から放送されているNHKのBS時代劇『大岡越前7』で、松平左近将監(まつだいら・さこんのしょうげん)という幕府の老中首座を演じています。

 舞台は10月に京都の南座で『太夫(こったい)さん』という、島原遊郭を舞台にした藤山直美さんの錦秋喜劇特別公演に出ます。今回は2回目。お茶屋の主の役です。これも京都、『大岡越前7』も2~5月に京都で撮影しました。なんだかんだで、年に数回は京都へ行きます。僕は生まれて小学校1年生の途中まで京都で育ちましたから、“地元”という感覚です。

 京都の二尊院には田村家のお墓もありますから、京都へ行った折にはお墓参りもしています。オヤジはもともと江戸っ子で、お墓は日本橋浜町にあったのですが、仕事で東京と京都を行ったり来たりして京都が長くなり、昭和18年に、両親を京都に呼び寄せて墓も移したんです。

 だから、墓には両親や高廣兄貴だけでなく、先祖代々の小さな骨壺がたくさんおさめられています。もう僕の入る場所はないんじゃないか、というくらい(笑)。そのせいか、正和兄貴は生前、横浜に墓所を定めました。僕は海に散骨してもらうのがいいんじゃないか、と思ったりしています。海ならハワイからでも欧州からでも、海を見たときに手を合わせてもらえますから。

 春には映画『宮古島物語ふたたヴィラ かんかかりゃの願い』の撮影で、沖縄の宮古島へ行きました。去年公開された映画『宮古島物語ふたたヴィラ』の第3弾です。あちこち行って忙しい? いや、暇しています(笑)。家でジッとしていられないタチなので、撮影であちこち出かけられるのはいいですよ。

「女房がライバルですね」

 普段は毎朝4時30分に起きて、5時に散歩に出かけるのが日課です。30分ぐらい歩いた先にベンチがあるから、ベンチの背に手をかけて腕立て伏せやストレッチを20~30分して、また歩いて帰ってきます。身体がなまらないように。それは意識しています。でも、毎日じゃありません。“毎日やらなきゃいけない”と義務を課すのはイヤですから。

 身体のためにやっていることは、それぐらいです。スキーやゴルフはやりますけどね。若い頃から好きで、今もよくやります。ゴルフのスコア? それは聞いたらダメです(笑)。女房がライバルですね。最近はハーフを回ったら、もうくたびれてお風呂入ってオサラバしちゃう。何でもほどほどがいいんじゃないですか。

 運動は観るのも好きです。僕は中高時代にバスケットボールをやっていて、高校時代はインターハイに出場したほど打ち込んでいました。それぐらいだから、今もバスケをはじめ、野球、ゴルフ、陸上、相撲……何でも好き。息子(俳優の田村幸士さん、47)が子どもの頃は五輪を生で観せてやろうと、1988年のソウル五輪からバルセロナ、アトランタ、シドニー……と現地へ家族3人で飛び観戦していました。

 もう息子は独立していますから、パリ五輪は自宅で観ます。ただ、時差があるからなぁ。いつも朝が早いから夜も早く眠くなっちゃって、最近はリビングでソファに座ってテレビを見ていると、夜8時ぐらいからウトウト……。女房に「もう部屋に行って寝たら?」と促されて床につく、という感じなんです。だから、野球などのゲームの結果を知るのは翌朝で(笑)。

 撮影のときも、遅くなると眠くなっちゃってね。夜8時、9時になって、まだ照明さんが「5分待ってください」なんて撮影を続けようとすると、他の俳優さんから「おい、早くしないと、亮ちゃんが寝るぞ」って言われちゃうんです。でも、他の人もホンネでは早く帰りたいんですよ。だから、僕をうまいこと使っているんです(笑)。

 早寝早起きは若い頃から。オフクロが明治生まれでキチンとした人だったから、何もないからといって、昼頃に起きて家で日中、グダグダするような生活をしてはいけない、夜は早く帰りなさい、としつけられたんじゃないかと思います。

 僕はオフクロが43歳のときの子ども。厳しかったけど、かわいがられたとも思います。ずっと一緒に暮らしていました。兄貴は順々にに独立して家を出て行ったから、最後に残った僕がオフクロと暮らしているところへ、女房が結婚して一緒に暮らしてくれたんです。今どき珍しいでしょ? でも、オフクロを置いて結婚するのはかわいそうだったから。女房は僕が舞台で1カ月も2カ月も家を空けると、オフクロと向かい合ってずっとご飯を一緒に食べてくれたんだから感謝ですね。

(第2回に続く)

◆取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)撮影/山口比佐夫

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