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「今年はじめについに貯金が底をつき、今は借金生活」『地面師たち』で遅咲きのブレイク 五頭岳夫(76)が明かすホームレス役が多いのは「底辺の人の気持ちがわかるから」知られざる役者半生

NEWSポストセブン 2024年8月29日 17時59分

 Netflixのクライム・サスペンスドラマ『地面師たち』は、実際の巨額不動産詐欺事件を下敷きにした小説のドラマ化作品で、今年1番の話題をさらっている。メインキャストが豪華なうえ、脇役や端役までも個性が光る俳優たちが演じ、彼らの人気も上昇中。第1話で東京・恵比寿の物件の所有者になりすます佐々木老人役の俳優・五頭岳夫さん(76)もその1人。五頭さんのこれまでのキャリアや人生、これからの目標について聞いた。【前後編の後編。前編から読む】

──『地面師たち』で注目されていますが、それ以前はどんな作品に出演してきたのですか?

「2018年公開の『教誨師』という映画で、僕を覚えてくれた人もいたようです。死刑囚と対話する教誨師役が大杉漣さんで、僕はホームレスの死刑囚役。僕はホームレス役が多いんですよ」

──なぜホームレス役が多いのでしょうか? こだわりはありますか?

「なんででしょう(笑)。底辺の人の気持ちがわかるからかな。演じるときは、歩き方ひとつとっても、どういうふうに背骨を丸めるか、脳梗塞による麻痺があるなら、どの程度、腕を曲げるか、とか、特徴をよく掴んで表現するようにしています。まずはカタチ。僕は1日の撮影や、1シーンだけ出演する“ワン・デイ、ワン・シーンの役者”だから、まずは見た目でインパクトを与えることが大事だと思っています」

──76歳まで役者を続けるのは、並大抵ではなかったことと思います。これまでどのように活動を続けてこられたのですか?

「2007年頃から本格的にマスメディアの仕事(テレビや映画)をしてきましたが、2000年頃からエキストラ事務所に登録し、最初はエキストラから始めました。そのとき、本名の小林直治から、故郷の五頭山からとった五頭岳夫という芸名をたてて活動しています。それ以前は新劇の劇団・青年劇場で約20年、舞台に立っていました」

──舞台からテレビや映画に、メインの活動の場を移されたのには、なにか理由があったのでしょうか?

「42歳のときに胃がんを患い、胃を全摘したんです。それで、失意のままに劇団を辞めてしまいました。劇団には総務のような仕事もあるから残ったら、と引き留めてくれたのですが、それまで役者をやっていたのに、他の役者が楽しそうに演じる姿を横目で見ながら、自分は舞台に立てないなんてつらいですから、続ける気持ちになれませんでした」

──若くして胃を全摘とは、言葉では表現できないほどの苦しみがあったと想像します。どのように乗り越えられたのでしょうか?

「入院治療をしながら、病院を抜け出し毎日のように映画を観ていました。病院の白い壁に囲まれていると閉塞感が強く、ただ何かをしたくて。発想の転換ですね。退院後は米国を1カ月放浪してミュージカルを観たり、欧州へ1か月行ってスペインのサグラダ・ファミリアを観たりしていました。

 旅が好きですね。つい先日、NHK BSプレミアム4Kで放送されたドラマ『母の待つ里』は岩手県の遠野でロケだったので、1日オフの日には共演の女優・中島ひろ子さんを連れて中尊寺にドライブしました。あちこち行けるのは楽しいです」

貧しい小作農だった実家を離れ役者へ

──出身は新潟県だそうですね。

「新潟の水原(すいばら)町(現・阿賀野市)です。実家は農家。小作人ですよ。男6人、女6人の12人きょうだいの末っ子で、僕が生まれて半年で父親が亡くなり、母と姉が苦労して育ててくれました。

 とくに、一番上の姉は実は養女なのに花柳界に入ったりして、農地を買い取るお金や実家を建て替えるお金、僕らきょうだいの学費を作ってくれました。今でも頭が上がりません。今、100歳で、地元の特別養護老人ホームに入っているので、故郷に帰ったときには面会に行っています」

──どのようにして俳優の道へ入ったのですか?

「子どもの頃は農作業を手伝わされるのが嫌で、逃げるように通学に時間のかかる高校へわざわざ通いました。卒業後に上京し、自動車整備士になるための専門学校に進みました。そこで1年学んだ後、自動車ディーラーに就職し整備士に。でも、役者の夢を追って辞め、23歳のとき青年劇場の養成所に入ったんです。

 役者になりたいと思ったのは高校時代。市民劇団の公演を観て衝撃を受け、すぐに演劇サークルを作り、市や学校の文化祭などで上演し主演しました。作品を作るのが楽しく、違う人になり、他人に観てもらうことが快感でしたね! そして、そのとき上演したのが秋田雨雀(うじゃく)という劇作家の『国境の夜』という作品で、その秋田先生ゆかりの劇団・青年劇場に入ったというわけです。当時は120人ぐらい劇団員が在籍する大きな劇団でした」

──テレビや映画ではなく、最初に劇団を選んだのはなぜだったのでしょうか?

「僕は根がミーハーですから、当時、人気の高かったテレビや映画にも憧れました。でも、自分の顔を考えると……(笑)。映画を観ると、新劇の俳優──仲代達矢さん、杉村春子さん、山岡久乃さん、市原悦子さんらがたくさん出演していました。そうか、舞台なら僕にも活躍の場があるんじゃないか、と思ったんです」

孤独や金銭的な苦境に耐えても役者をやりたい

──劇団の同期や役者仲間などで親しくしている方はいますか?

「劇団を辞めたのは43歳のときですが、役者仲間には、悩みを相談するような親しい友人はいません。親しく付き合っているのは、小中学校時代の同級生です。違う業界で生きている人のほうが、自分では考えもつかなかった発想をするので、助けになります。中学の同級会には必ず出席しますね」

──では、支え合う家族はいるのでしょうか?

「結婚は、劇団にいた30代の頃、同僚の女優としました。といっても、籍を入れない事実婚で、お互い演劇に生涯を捧げよう、と子どもは作りませんでした。僕が病気になって別れを選び、それからはずっと1人です」

──大病を1人で乗り越えるのは、本当に大変だったでしょうね……。

「実は、胃がんの後、下顎の骨が溶ける病気(顎骨骨髄炎)も患い、顔の左側に金属プレートを入れる手術もしています。ところが、その金属が折れて、また手術……ということを6回繰り返しました。患部が顔なので、役者としてはつらかったですよ」

──それでも役者を続けたのはなぜでしょう。

「40歳を過ぎて転職するのは難しいですから。映像の世界で役者を続けようと、エキストラから再スタートし、ここまで続けてきました」

──これからの目標を聞かせてください。

「声をかけてくれる監督さんが何人かいるので感謝しながら、これからも続けていきたいですね。願いとしては、役者の仕事で食べていけるようになることです。

 劇団時代は劇団から給料が出ていましたから、その後は貯金を切りくずしたり、飲食業やコンビニ、ヤマト運輸などのアルバイト、姉からの援助で何とかやってきました」

──俳優の仕事は予定が立てづらいので、定期でアルバイトをするのが難しいと聞きます。

「今年はじめについに貯金が底をつき、今は借金生活です。だから、一番ほしいのは仕事ですね。出演作は多いですが、“ワン・デイ、ワン・シーンの役者”だから、スケジュールは白い日も多い。そんな日はテレビでドラマやスポーツを楽しみ、住んでいる団地の自治会の役員として中庭の草むしりをして身体を動かしています。『作品みましたよ』と声をかけられることは、まだありませんよ(笑)」

 これから大きく羽ばたく予感はじゅうぶん。街で声をかけられることが増えていくことだろう。

(了。前編から読む)

【プロフィール】
五頭岳夫(ごず・たけお)/1948年新潟県北蒲原郡水原町(現・阿賀野市)生まれ。高校卒業後、上京。自動車整備士を経て劇団「青年劇場」入団。劇団員として活動しながら、『砂の器』『八甲田山』などの大作映画に出演した。42歳で劇団を退団。2000年にエキストラとして再スタートし、2007年から本格的に映像作品に出演。映画『凶悪』『教誨師』などで存在感を示し、2024年、Netflixドラマ『地面師たち』で人気に。

(取材・文/中野裕子)

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