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【下剋上の自民党総裁選史】キングメーカーの思惑や派閥の談合が覆された証言録 「田中vs福田」「小泉vs橋本」「安倍vs石破」…まさかの逆転劇の内幕

NEWSポストセブン 2024年9月1日 7時15分

 大混戦の自民党総裁選の裏では、「決選投票」をにらんだキングメーカーたちの暗躍や旧派閥の駆け引きが活発になってきた。過去にはそんなキングメーカーたちの思惑を覆す「下剋上」で総理が誕生したことがあるが、その理由を辿れば、今回もまさかの逆転が起きる可能性が見えてくる。

麻生氏や菅氏が自在に動かせる「駒」

 決選投票に進むことが有力視される小泉進次郎氏のバックには菅義偉・前首相や森喜朗・元首相がつく。それに対し、麻生太郎・元首相は麻生派の河野太郎氏を支援する一方、同派大幹部の甘利明・前幹事長がニューフェースの小林鷹之氏を推すことで進次郎氏に流れそうな若手議員票を取り込み、「河野でも小林でも、決選投票に残ったほうに票を一本化して進次郎に対抗する目算だ」(同派議員)とされる。

 茂木派からは茂木敏充・幹事長と加藤勝信・元官房長官、岸田派では林芳正・官房長官と上川陽子・外相が出馬に動いて票が割れそうだが、ここにも思惑がある。

「岸田政権で3派連合を組んでいた麻生派、茂木派、岸田派は決選投票で手を組む可能性が高い。そこで菅さんは自分に近い加藤と上川の出馬を後押ししている。茂木派と岸田派の票を分裂させ、その一部を決選投票で進次郎に上乗せできると考えている」(閣僚経験者)

 麻生氏や菅氏らから見れば、総裁候補たちはいわば自在に動かせる「駒」にすぎないのだ。

 自民党ではそうして総裁選を派手に演出しながら、最後はキングメーカーたちが自分に都合の良い「次の総理」を決めてきた。では、過去にキングメーカーの思惑や派閥の談合を覆すまさかの下剋上で総理・総裁が誕生した時はどうだったのか。

【田中角栄vs福田赳夫(1972年)】

 8年間の長期政権を誇った佐藤栄作・首相の退陣表明を受けた1972年の総裁選で「本命」と見られていたのはキングメーカーの岸信介・元首相が率いた旧岸派の後継者である福田赳夫氏だった。当時、官邸詰め記者として取材した政治ジャーナリストの野上忠興氏が語る。

「佐藤首相と実兄の岸元首相は、『福田が先』と佐藤派の田中角栄ではなく、自分たちと同じ官僚出身の福田を推した。福田も角栄に負けるとは思っていなかった」

 だが、角栄氏は“親分”の佐藤氏による切り崩しを受けながらも佐藤派内で勢力を伸ばし、1回目の投票で福田氏を抜いて僅差の1位になると、決選投票では出馬していた大平正芳氏、三木武夫氏の票を取り込んで福田氏を破り、総理の座を得た。

【大平正芳vs福田赳夫(1978年)】

 2年前の総裁選で勝利した福田首相は、1978年の総裁選ではその座を幹事長の大平氏に譲る「大福密約」を結んでいたとされる。それに基づけば、福田氏は総理からキングメーカーへとスライドするはずだったが、総裁選出馬の道を選ぶ。そして、まさかの敗北を喫した。

 大平氏と手を組んだ角栄氏が「田中軍団」の議員や秘書を総動員して徹底した党員票集めを展開。大平氏が予備選で福田氏に110点差(※この時の予備選は、党員党友の1000票を1点として計算)をつけて1位になった。福田氏は「天の声にもたまには変な声がある」と言い残して決選投票を辞退、退陣した。

 当時、予備選の票集めに奮闘した角栄氏の元秘書・朝賀昭氏が証言する。

「あの時は角さんが田中派議員の秘書を集めて、『田中派の議員は子供同然、その秘書は私の孫も同然だ。だからみんな田中角栄秘書の名刺を作って党員回りをしろ』とローラー作戦の指令を出した。田中角栄秘書の名刺を出すと効果は絶大、党員はみんな『わかった。大平に入れる』と言ってくれた。なかにはあんたに任せると投票用紙を封筒ごと渡してくれる人もいた。

 電話作戦もやった。我々が電話し、オヤジ(角栄氏)が『代わる』と言って出る。相手はびっくりしますよ。後で聞いたら、実は党員名簿は持ち出し禁止だったのを、派内の竹下登さんが手に入れていたんです」

政策協定で「騙された!」

【小泉純一郎vs橋本龍太郎(2001年)】

 自民党内で「変人」と呼ばれた小泉純一郎氏が、野中広務・元幹事長や青木幹雄・元参院自民党幹事長らが属する最大派閥・橋本派を率いた橋本龍太郎・元首相を破って劇的な勝利を飾ったのは2001年総裁選だ。

 小泉氏はそれまで2回総裁選に出馬して惨敗し、“勝てない総裁候補”と見られていた。そんな小泉氏を急浮上させたのは国民に人気のあった田中眞紀子氏(当時は自民党代議士)だった。

 父の角栄氏を裏切った橋本派に恨みを持つ眞紀子氏は、橋本氏の対抗馬だった小泉支援に動くと、総裁選の街頭演説では大勢の聴衆を集めて「眞紀子旋風」を起こした。追い風を受けた小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と演説し、党員投票で9割もの票を得た。

 当時、本選出馬を辞退して小泉支持に回った亀井静香氏が語る。

「あの時は間違いなく小泉は眞紀子の人気で勝った。まだ小泉が国民に人気があったわけじゃない。眞紀子だよ。

 俺も眞紀子に推薦人になってもらおうと『助けろや』と頼みに行ったんだが、眞紀子は『昨日、純ちゃんに頼まれて、約束しちゃったから』と断わられたんだ。

 本選出馬を辞退したのは小泉の選対をやっていた塩爺(塩川正十郎・元財務相)に『清和会(森派)から2人出るのはよくない』と頼まれたからだ。オレも清和会だったからね。条件として、小泉と政策協定を公式に結んで小泉政権で実施することを約束したんだが、総理になると『そのうちやるよ』と言うばかりで協定を結んだ政策に取りかからない。

 結局、騙されたんだが、政治は結果だから騙されたオレが悪い。思い出すのも腹立たしい」

【安倍晋三vs石破茂(2012年)】

 近年の総裁選で最大のサプライズが起きたのは、安倍晋三氏が返り咲いた2012年総裁選だ。「本命」候補だったのはキングメーカーの森元首相と青木氏が推した石原伸晃氏だった。

 だが、当時の谷垣禎一・総裁を支える立場の幹事長だった石原氏が出馬し、それにより谷垣氏が出馬断念に追い込まれたことで、石原氏は「明智光秀」と批判を浴びて1回目の投票で3位となり、「本命」が決選投票に残れなかったのだ。

 1位は党員票の過半数を得た石破氏、2位につけたのは“泡沫候補”だった安倍氏だ。

「同じ清和会から出馬した町村信孝氏が総裁選さなかに入院したため、清和会の票が安倍氏に流れて運良く2位になった。本命の石原氏が残らなかったことで、森氏や青木氏は石破氏の総裁就任を阻止するために決選投票では次善の策として安倍支持に回って安倍氏が議員票で逆転勝利した。悪運が強いとしかいいようがない出来事だった」(前出・野上氏)

 こう見ると、総裁選で下剋上を起こすには、国民や党員の圧倒的支持や、その候補が持つ強運がカギを握るとわかる。果たして、今回の総裁選でその可能性を持つ候補がいるのだろうか。

※週刊ポスト2024年9月13日号

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