Infoseek 楽天

総裁選出馬の小泉進次郎氏、女性・女系天皇議論を巡る因縁 父・純一郎氏は皇室制度改革に着手しながら決着はつけられなかった

NEWSポストセブン 2024年9月6日 11時15分

 混戦模様が続く自民党総裁選。当初から注目されていた小泉進次郎氏が満を持して出馬の意向を表明したことで、にわかに「小泉政権」誕生への機運が高まっている。進次郎氏が立ち向かうべきは、父・純一郎氏の「小泉政権」時代から20年にわたって積み残されてきた「皇室の喫緊の課題」である。

 天皇家の長女・愛子さまが5月に、最初で最後の単独公務に臨まれてから早くも4か月が経とうとしている。大学院への進学や海外留学などではなく、日本赤十字社(以下、日赤)への就職を選ばれた愛子さま。大学ご卒業を機に、皇室のご活動に本腰を入れられるのでは──そんな周囲の期待をよそに、愛子さまの公務やお出ましの機会は決して多いとはいえない状況だ。

「就職を決められた時点では皇室のご活動と仕事を両立されるとみられていましたが、入社日から現在に至るまで、愛子さまは仕事に重きを置かれています。日赤側は週3日程度の勤務を想定していましたが、蓋を開けてみれば、ほぼ毎日出社されているそうです。9月中旬にようやく休みを取り両陛下と那須御用邸で静養されるそうですが、公務の予定ははっきりしていないと聞いています」(宮内庁関係者)

 愛子さまが皇室のご活動を控えざるを得ないのは、天皇家の長子として、また、女性皇族としてのご自身のお立場が揺らぎ続けていることと無関係ではないだろう。9月27日に投開票を控えた自民党総裁選を機に、改めて、その将来に注目が集まっている。

「応援の声を力に変えて勝ちたい」──小泉進次郎元環境相は8月30日、集まった報道陣に対し、自民党総裁選への出馬を事実上表明した。10人以上の議員が出馬を模索し、かつてない混戦が予想される今回の自民党総裁選。岸田氏の総裁選不出馬宣言の当初から注目を集めてきたのが進次郎氏だった。

「今回の総裁選は、次の衆議院選挙に向けた“自民党の顔”を選ぶ側面が大きいといわれています。その点、進次郎氏は、報道各社が実施する『次の首相候補』の調査で毎回上位にランクイン。全国的な知名度も申し分ないといえるでしょう。当初、本人は言葉を濁していましたが、40人超の推薦人が集まるという見方もあり、他候補と比べて存在感がある。少なくとも決選投票には残るでしょう」(全国紙政治部記者)

 選択的夫婦別姓制度の導入など、進次郎氏が総裁選に向けて打ち出す政策が徐々に明らかになっているが、彼が長年、不気味な沈黙を続けているのが「安定的な皇位継承」および「女性・女系天皇」についてだ。石破茂元幹事長や河野太郎デジタル相ら、すでに出馬を明言している一部の議員はこれまで「女性天皇賛成」など持論を表明してきたので、進次郎氏の立場も気になるところである。

「女性天皇」とは天皇の血筋を父方から受け継ぐ「男系」の女性の天皇のことであり、「女系天皇」とは、男女問わず、天皇の血を母方から受け継いだ天皇を指す。自民党内には、天皇は男系男子のみ認めるべきだという声も少なくなく、意見が分かれている。

「実は進次郎氏にとって『安定的な皇位継承』および『女性・女系天皇』は非常に縁が深いトピックです。というのもこの議論には、進次郎氏の父で2001年から5年間首相を務めた小泉純一郎氏が、在任期間中に着手しながらも“決着”をつけられなかったという20年にわたる因縁があるのです」(前出・全国紙政治部記者)

雅子さまに「スキーはやるの?」

 今回、進次郎氏が出馬を決断するに至るまでには、純一郎氏の了解が不可欠だったとみられている。

「純一郎氏は『(進次郎は)50才になるまでは総裁選に出馬すべきではない』という意思を長年語ってきましたが、態度を軟化させたそうです。

 今回の総裁選を機に、ラジオ番組で水を向けられた進次郎氏は『私はいま43才ですけど、仕事上のさまざまな判断、決断をいちいち親父にあおぎますか』と否定していましたが、彼にとって純一郎氏は父親である以上に、政治家のいろはを学んだ師でもある。2人の関係は極めて良好なので、純一郎氏の意に反するような決断はできないでしょう」(政治ジャーナリスト)

 進次郎氏が20才だった2001年、純一郎氏が首相に就任。進次郎氏は世襲を前提に、2007年から純一郎氏の私設秘書を務めた。

「2008年、純一郎氏は政界引退を表明するとともに、進次郎氏を後継候補に指名。進次郎氏は地盤を継ぎ、世襲批判にも臆さず、2009年に初当選を果たしました。『脱原発』がいい例ですが、純一郎氏の発言や主張は、引退後もしばしば注目を集めてきた。進次郎氏は政治活動のなかで、常に純一郎氏の存在を意識してきたでしょう」(前出・政治ジャーナリスト)

「郵政民営化」をはじめさまざまな改革が行われた5年に及ぶ小泉政権のなかで、懸案が残されたままとなったのが、前述の安定的な皇位継承に関する問題だ。

 純一郎氏が皇室制度改革に着手したのは、2004年末のことだった。当時、皇室は男性皇族がおよそ40年誕生しない状況にあり、お世継ぎ問題に直面していた。純一郎氏は、2004年12月に皇室典範に関する有識者会議を設置。2005年11月には最終報告書が取りまとめられた。

「最終報告書のなかでは、女性天皇、およびその子となる女系天皇を認めること、また、皇位継承順位については男女を区別せずに直系の第1子を優先させることが盛り込まれました。つまり、国会で法案が成立すれば、皇室典範が変更され、『愛子天皇』が将来的に実現する運びだったのです。当時も反対意見はありましたが、純一郎氏は粛々と議論を進め、皇室制度改革を果たそうとしていました」(前出・宮内庁関係者)

 有識者会議の設置から最終報告書の取りまとめまで約1年というスムーズな進行の背景には、純一郎氏と、当時、皇太子ご一家だった天皇ご一家、とりわけ雅子さまとの奇縁ともいえるつながりがあったとされる。

 純一郎氏は1972年に初当選するまで福田赳夫氏の秘書官を務めていた。1976年、その福田氏の内閣で首相秘書官に就任し、日中平和友好条約の作成に参加したのが雅子さまの父・小和田恆さんである。2人は、当時から親しくコミュニケーションが取れる間柄にあったとされる。

「純一郎氏と恆さんの仲は長く、1993年に雅子さまが皇室に入られるずいぶん前からの関係で、数十年来の友人と聞いています。小泉家と小和田家の行きつけのスキー場が同じだったのは有名な話で、旅行の日程が重なった際、スキー場のロッカーで、純一郎氏が雅子さまに“スキーはやるの?”と声をかけたこともあるそうです。もちろん、在任期間中も、純一郎氏は恆さんとたびたび面会していました」(前出・政治ジャーナリスト)

 偶然にも2001年の愛子さまの誕生時、時の総理は純一郎氏だった。純一郎氏は「命名の儀」の後に行われた祝宴に参加し、当時皇太子だった陛下と乾杯をしている。

「皇室典範では、女性皇族は結婚を機に皇室を離れることが定められています。純一郎氏が行おうとしていたのは、そのルールを変更し、『愛子天皇』実現を念頭に置いたものでした。愛子さまの人生のみならず皇室全体の歴史にかかわる重要な議論ですから、陛下と雅子さまのご理解はもちろん、当時の天皇皇后である上皇ご夫妻の了承も得ていたと考えるのが自然です」(前出・宮内庁関係者)

 2006年1月、純一郎氏は皇室典範改正案を通常国会で成立させたいという意向を表明し、将来的な愛子天皇の実現がいよいよ現実味を帯びてきたかのように見受けられた。しかしその翌月、紀子さまの悠仁さまご懐妊が明らかになったことで改正案は白紙となった。

「男子である悠仁さまがお生まれになったことで“次の天皇”に関する問題は、当面なくなりました。しかし、安定的な皇位継承のためには女性・女系天皇を認めるべきだということ、また、愛子さまの存在がある以上、その判断をできるだけ早期に行うべきだということを、先陣を切って皇室制度改革に向けて動いていた純一郎氏は痛感していたはずです。

 議論の停滞を悔やむ純一郎氏の姿を、進次郎氏は後継者として、誰よりも近くで見ていたのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

悠仁さまも世論に悩まれて

 安定的な皇位継承をめぐる議論は現在に至るまで続いている。衆参両院議長は8月7日、各党からの意見聴取の結果、「女性皇族が結婚後も皇室に残る案についてはおおむね賛同が得られた」と発表したが、議論の先行きは不透明だ。

 他方、「愛子天皇」実現を期待する世論が日増しに熱を帯びている。愛子さまには皇位継承権はなく、また、皇位継承については、悠仁さままでの流れを「ゆるがせにしてはならない」とされているが、国民の愛子さまへの敬愛は深い。

「9月6日に成年を控えた悠仁さまも、そうした世間の反応を気にして悩まれているといいます。愛子さまもまた、世論についてはご存じのことでしょう。悠仁さまのお心を慮るという意味合いもあってか、皇室のご活動は内部で行われるものにとどめ、皇族としてのお出ましの機会も最小限にされているようです。実際に、8月の両陛下の那須ご静養にも初めて同行されませんでした」(前出・宮内庁関係者)

 議論を先送りにし続ければ、愛子さまはこの先もご自身のお立場に苦慮されるのではないか。皇室のご活動もますます制限される可能性すらあるだろう。政治が安定的な皇位継承をめぐる一連の議論に結論を出すことは急務であり、次の総裁の手腕の見せどころでもある。

「総裁選期間中は、不要なハレーションを避けるためにも、進次郎氏は安定的な皇位継承、特に、女性・女系天皇に関する内容については強く主張しないとみられています。しかし、総裁選を勝ち抜き首相になったあかつきには、純一郎氏の“未練”でもあるこの問題に着手するのではないでしょうか。

 進次郎氏は柔軟な考え方の持ち主ですから、国民からの支持を強固にするため国民の希望に寄り添う形で『女性天皇の容認』に言及する可能性は充分あります」(前出・全国紙政治部記者)

 父の代からおよそ20年、くすぶり続ける問題に終止符が打たれようとしている。

※女性セブン2024年9月19日号

この記事の関連ニュース