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京都国際の胴上げ投手・西村一毅 小牧監督の「プロ行きたいんか?」の問いに「公務員になりたい」 “米イップス”で実家に帰った過去と「優勝後の変化」

NEWSポストセブン 2024年9月6日 15時59分

 甲子園初優勝を果たした京都国際は、快挙から3日後に早くも新チームを始動させていた。胴上げ投手となった2年生の西村一毅や、3年生のエース左腕・中崎琉生の素顔とは。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする(全3回の第3回。第1回から読む)。

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 この夏、甲子園が生んだ最大のヒーローにして、日本一の立役者となったのが、2年生の左腕・西村一毅だった。2回戦の新潟産大付戦(4対0)と準々決勝の奈良・智弁学園戦(4対0)で完封し、決勝ではタイブレークに突入した10回表に代打で出場。先制のチャンスを広げる一打を放ち、その裏の守りで胴上げ投手になった。采配をズバリ的中させた監督の小牧憲継(41)は言う。

「西村はセンバツではベンチ外で、球速は130キロにも満たなかった。それが甲子園に来て140キロを出し、どこにそんな力を隠していたんやと思うぐらいに成長した。西村ってほんまに変なヤツなんです。今年の春から低反発バットが導入されるということで、去年の夏頃から、パワーをつけるため選手が寮で食べるご飯の量を1食800グラムに決めていた。練習量が多いので、食べないと摂取カロリーが消費カロリーに追いつかず、痩せ細っていくだけですから。ところが……」

 ある時、小牧は細身の西村の異変に気付いた。

「箸の先に米粒ふたつだけを乗っけて、それを見つめたまま2時間ほど動かないんです。食べたくても口にできない“米イップス”になってもうたんですよ(笑)。無理して食べるのがよほどつらかったんだと思います。すると『一度リラックスしたいので実家に帰らせてください』と。そんなヤツが1年後、胴上げ投手ですからね。

 これまで本人に『プロに行きたいんか? それとも大学に行きたいんか?』と問うたりもしてきたんですけど、本人は『高校終わったら楽しく野球をやりたい』とか『公務員になりたい』とか言っていて……。ただ、決勝のあと、『もっとたくさん食べて体を作らないといけない』と言いだしたそうです。優勝投手になった経験が彼自身の意識を変えたのかもしれません」

「変わった子ばかり」だから勝てた

 西村とは対照的に、将来プロに入るための道筋をしっかり考えているのが高校日本代表にも選出されたエース左腕の中崎琉生だ。プロ志望届は提出せず、國學院大學に進学して4年後のプロ入りを目指す。

「中崎には法政からも声がかかっていたんです。しかし、國學院の方がキャンパスとグラウンドの距離が近いらしく、移動時間が少ない分野球に集中できるという理由で國學院を選んだ。こういう考え方ができる選手も、うちでは珍しいですね」

 京都国際に在籍する一学年約20人の球児たちは、個の能力を伸ばし、長く野球界で活躍する選手を育成しようという小牧らの志に共感し、彼らの指導を受けるために京都国際の門を叩いたのだ。

「将来、プロを約束されたような飛び抜けた選手はひとりもいないし、中学時代の実績も何もない子ばかり。西村のように変わった子ばかりなんです。だからこそ、彼らも入学にあたって元は韓国の学校だったとか、校歌が韓国語だとかは気にしないんでしょうね。甲子園に出場したいという意欲のある子、プロへの思いの強い子が入ってくれるようになったから、結果が伴い始めた。それやのに、学校の話題ばかりが先行するのはやっぱり納得できないですし、彼らの成し遂げたことを讃えて欲しい」

 新チームの練習中、左翼70m、右翼60mという同校のグラウンドに、小牧の怒号が響いていた。

「常に甲子園で対戦するようなチームを想定して練習せな、日本一になんてなれへんねん」

 低反発バットが導入され、今夏の甲子園でもロースコアの展開が圧倒的に増え、守備力と走力のあるチームこそ試合を優位に運べていた。そんな高校野球新時代の覇者になったとはいえ、余韻に浸る間もなく、新チームの選手たちと再び天下取りを目指す日常を小牧は取り戻していた。

(了。第1回から読む。文中敬称略)

■柳川悠二(やながわ・ゆうじ)/ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始し、主にスポーツ総合誌、週刊誌に寄稿。2016年に『永遠のPL学園』で第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。他の著書に『甲子園と令和の怪物』がある

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