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《伝説の女性編曲家・山川恵津子さんインタビュー》「小泉今日子の『100%男女交際』は59時間不眠不急の“修羅場”を経て完成した」

NEWSポストセブン 2024年9月6日 16時15分

 小泉今日子、中森明菜、渡辺満里奈、八神純子、広瀬香美、中山美穂、原田知世、坂本冬美、寺嶋由芙──デビューの時期も音楽性も活動スタイルも異なる女性アーティストたちだが、1つの共通点がある。それは、彼女たちの「持ち歌」を1人の女性が編曲していること。女性編曲家として45年間で1000曲以上のアレンジを手がけた山川恵津子さんが、先日『編曲の美学 アレンジャー山川恵津子とアイドルソングの時代』を上梓。執筆の舞台裏や仕事への情熱について聞いた。

“あの頃”の空気を届けたかった

 本書は音楽畑でアレンジの仕事に没頭してきた山川さんの、初の著作となる。

「私がいちばん忙しく仕事をしていた歌謡曲全盛期はレコーディングスタイルも芸能界の在り方もいまとは全然違うので、10代20代の子たちと会話していると面白がられるんですよ。たまたまその話を聞いていた音楽プロデューサーの加茂啓太郎さんに、本に書いてみれば?とすすめられて、思わず引き受けてしまったんです。

 だけど、これまで文章を書いた経験といえば、小学生の頃から高校までつけていた日記帳くらい(笑い)。誰かにインタビューしてもらって本にする“聞き書き”の方法も考えたけれど、あの頃の空気感は自分の言葉で書かなければ伝わらない。書いてみてダメならまた考えればいいか、と思い切って挑戦しました」

『ザ・ベストテン』(TBS系)を始めとして歌番組が絶頂期、小泉今日子・中森明菜・早見優ら「花の82年組」や秋元康氏がプロデュースしたおニャン子クラブほか女性アイドルが活躍し、彼女たちの歌うアイドルソングが日本中が口ずさむ──山川さんの話す「あの頃」、80年代は音楽制作の現場も桁外れの熱気に溢れていた。

「レコード会社も私達のような“職人”も芸能事務所も一丸となってひとつの作品を作ろうとする団結感があった。歌い手であるアイドルへの対応も、当時は何かにつけて“目が行き届いていた”印象があります。中学や高校から親元を離れて暮らす彼女たちに、仕事のスケジュール管理はもちろんのこと、礼儀作法やマナーなど、プロダクションのかたたちが親変わりとなってきっちり教えていた印象があります。

 だけどそれゆえ、作業が深夜に及んだりスケジュールがタイトだったりしたことも数え切れないほどあって……。特に大変だった現場として印象深いのは、小泉今日子ちゃんの『100%男女交際』をアレンジした時。録った音源にダメ出しが入ってまったく別のものを作らないといけなくなったうえ、岡本舞子ちゃんのアルバム制作と別のプロジェクトも同時進行となって、59時間不眠不休でスコアを書き続けてやっと完成。

 そもそもあの曲はダイナミックなパートから始まってイントロに入り、AメロBメロを経てサビに移ったあと、もう1回盛り上がりを迎える複雑な構成で、それをまとめ上げるのは本当に難しかった。忘れられない修羅場です」

 山川さんの努力の結晶である『100%男女交際』は、1986年の日本レコード大賞の編曲賞を受賞する。女性編曲家として初の快挙だった。

「いまも昔も、音楽業界の裏方は9割が男性スタッフ。時間が不規則だったり肉体的にハードだったりして、女性が門戸を叩くハードルが高いのかもしれないけれど、私はそれがもったいないことだと思っていて。アイドルやミュージシャンのように表舞台に立つ以外でも、女の子が音楽業界で手に職をつけ、生きて行く方法があるのだということを身を持って伝えたかったというのも、本を書こうと思った大きな理由です」

 山川さんが音楽を始めたのは幼少期。家にあった琴を触っていた少女が小学2年生半ばからピアノをスタートさせると、その才能はぐんぐん花開いていった。本書には、音楽を愛しながらも人前で歌うことが苦手だった山川さんがアレンジという仕事に出会い、道を切り開いて行く様子も綴られている。合唱にも魅了されコーラス部に入ったが、ソロで歌うと極度に緊張してしまう“あがり症”に悩まされてもいた。そんな山川さんの日常に転機が訪れたのが、高校2年の1学期だった。

「クラスメイトの古谷野とも子に誘われて、ヤマハのポプコン(ポピュラーソングコンテスト)にユニットで出場したら良いところまで進んで、あちこちからプロになりませんかと誘われたんです。夏休みを明けたら彼女は学校をやめてシンガーソングライターとして一歩を踏み出していきましたが、うちは厳しかったので大学に入るまではダメだと許されなくて。だけど私も、初めて音楽の世界に自分の力で足を踏み入れることができたという感激があったんですよね。

 人前でひとりで歌いたくはない、けれど音楽を仕事にして自立したい。それでヤマハでアルバイトをしながら制作部署の人たちと話すうち、編曲という仕事があることがわかって、興味を持つようになりました」

 写譜やスコアの書き方、レコーディングアレンジやサポートミュージシャンの様子を“見て”学んだり、レコーディングやコンサートのサポートスタッフとして“参加して”学んだりするうち、「編曲こそクリエイティブ」と実感するようになり、編曲家としての実績を着実に積み重ねて行った山川さん。しかしながら、その知名度も権利も作曲家に比べてあまりに低いのも事実だ。

「編曲は並大抵ではない労力がかかるんです。それでいてどんなに大ヒットしても、インセンティブが支払われることはなく、1曲20万〜30万円で買取契約というのが相場。

 なぜこんなに編曲家の権利が弱いかというと、まだモノラルレコーディングの時代のこと、編曲家は存在するもののレコーディングスタジオに譜面を届けるにとどまり中に入ることなく、代わりに指揮者が現場でその仕事を担っていた歴史があるそうで、そうして編曲という作業が曖昧に始まったせいだと言われています。それとコンサートやテレビ番組で演奏する際、アレンジを変えることも多いから、1つの編曲に決めきれないというのもあるのかもしれません。そういう意味で、好きじゃないとできない仕事ではありますね」

 ただでさえ女性の少ないハードな現場であるうえに、複数の案件を掛け持ちできるスピード感と胆力がなければ自立は難しい職業だといえる。それゆえに苦労しつつも、山川さんは「マイルール」をもって果敢に道を切り拓いてきた。

「まず依頼されたら締め切りを守ること。破ったら次がないですから。病気とか自己都合でキャンセルしたこともありません。

 そして『そこまでの仕事じゃないから適当で』とか『○○と同じでいいよ』と言われたとしても、120%、200%の力を尽くすということ。編曲の仕事は多岐にわたり、歌謡曲だけでなくアニメの劇伴もあればデパートで流すためのBGMのような自分の名前が出ない仕事だってある。だけど依頼してくれる人は私だとわかっているわけだから、その人たちに山川に頼めば落とさないし、失敗がないし、依頼した以上のことをやってくれるって思ってもらいたい。それでも力を尽くして喜ばないかたはいないじゃないですか。どうしても立て込んでいるときは力及ばずということもあったと思いますけど、自分の中での合格ラインというのは絶対に守ったし、そのラインはプロが見ればわかるんですよね。

 100%じゃ減っていくだけだから、120%、200%と常に心がけていないと仕事をもぎ取れないと思うんです」

若者に「一歩踏み出す」大切さを届けたい

 フットワーク軽く積極的に、という姿勢はプライベートでも変わらない。家電ショップで新しい機材をチェックしたり、SNSで若い同業者とやりとりをしたりは日常茶飯事。山川さんのもとには「ボカロP」をはじめとする若い世代の音楽家が多数集まる。

「時代に合った音というのはあるので、常に感性をアップデートし続けないといけないですし、そもそもクリエイティブな現場では、年功序列ってないんですよ。10代20代の音楽家と横並びで仕事をして、“なんか古い”ってなったら振り落とされちゃうだけですから。でもそれとは別軸で、これまで培った歴史だったり、昔の良いところは若い子たちにもどんどん伝えるべきだと思っています。

 たしかに若い子たちと我々では、新しいテクノロジーに対する吸収の仕方が全然違いますけど、幸いなことに、我々が新しいものを取り入れられない環境にいるかというと決してそうじゃない。私はもともと新しいもの好きなので手を出すタイプで、若い子に教えてもらったり逆にこっちが教えたりしながら刺激を受けています。例えば音楽ストリーミングサービスのSpotifyで配信するときは、ジャケットの見え方がCDとは違うからデザインを工夫したり、長く仕事をするうえで未知のことを楽しめるのは必要なスキルかもしれません」

 そんなフランクな山川さんだからこそ、若い世代からよく相談を持ちかけられるという。

「みんな『失敗が怖い』って言うんですよ。音楽は好きだけどやるのが怖い、失敗したときを考えちゃって一歩が踏み出せないって。たしかにその不安はわからなくはないですよ。先が見えなさすぎるこの仕事って博打みたいなものですから。私自身も行けるところまで行こうという気持ちと、いつでもやめていいっていう2つの感情を持ちながらやってきました。

 だけど後から振り返ってみると、失敗こそ学びなんですよね。現場で失敗するほど身につくし、なおかつその後の伸びがすごいですから。だから若い世代には失敗してもいいから一歩踏み出してほしい。それにもし一歩が間違っていてもたいしたことないんですよ。傷も浅いしすぐ引き返せる、なんとでもなるって伝えたい。

 私もこれからまた一歩、新たな道に足を踏み出そうとしています。これまでは自分がメインで歌うことをほぼやっていませんでしたけど、自分の歌をセルフカバーしたコンピレーションアルバムを出すことを“ライフワーク”にしたくて。4年ほど前から考えていたことなんですが、ストリーミングのノウハウや再生アプリごとに変わるアートワークも担当できるくらいスキルが身についたので、いまがその時かなと思い、6月から配信を始めました。

 よくこの本やアルバムがキャリアの集大成ですか?と言われるんですけど、全然そのつもりはなくて。これからも果敢に攻めていきたいと思っています」

取材・文/辻本幸路

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