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《舞台復帰》若山騎一郎が語る父・若山富三郎と叔父・勝新太郎の破天荒な素顔「親父が亡くなってからは優しかったけど…」

NEWSポストセブン 2024年9月9日 17時15分

「ひと言で言えば、勝新太郎の演技は豪快で、若山富三郎の演技は繊細。性格も仕事への向き合い方もまるで違う兄弟でした」──こう語るのは、昭和を代表する名優、若山富三郎の長男で俳優の若山騎一郎(59)である。富三郎の弟、勝新太郎は騎一郎の叔父で、女優の中村玉緒は叔母にあたる。祖父の杵屋勝東治は長唄三味線の大家で、母は宝塚歌劇団の男役スターとして活躍した藤原礼子という芸能一家の生まれだ。

「親父は『俺の背中を見ろ』と言うだけで、具体的に何かを教えてくれたことはありませんでした。それでも、誰よりも間近で親父の仕事への姿勢を見てきたし、背中を見て覚えたことはいまも大きな財産になっています。

 弟子入りすると『俺が楽屋に入る1時間前には入れ』と言われ、親父が使うファンデーションやペンを用意するところから一日がはじまりました。柱の影から親父が化粧をするのを見て、『なるほどこうやってやるのか』とひとつひとつ目で見て、役者の作法や所作を学んだのです。

 一方で勝おじちゃんは『こうやるんだ』、『こういう時はこうだぞ』と、手取り足取り教えてくれたし、優しかったですね。

 印象的だったのは、勝おじちゃんの相手の本音や状態を見抜くやり方です。落ち込んでいる人がいると、『おい、飲めよ』とグラスを渡して、ビールの注ぎ方や表情をじっと見る。それで、『お前、相変わらず儲かってる顔してるな』と軽口を叩くのですが、そういう“儀式”を経て、その人の状況に合わせた接し方をするような思慮深いところがありました」

父・富三郎、叔父・新太郎から教わった「芸能」

 生後間もなく両親が離婚し、幼少期は父・富三郎と離れて暮らしていた。

「小さい頃は、母から親父は交通事故で死んだと聞かされていました。父の存在には薄々気づいていましたが、役者になることは夢にも思っていませんでした。

 父に会って、弟子入りしたのは20歳のとき。それまで優しかった親父は、人が変わったように厳しくなり、毎日のように殴られたものです。親父にしても、子供との接し方に戸惑いがあったんでしょうね。私生活では良い父親を演じようとしたが、弟子の息子がいる父親の役は芝居でも経験したことがない。どうしたらいいか分からないと、周囲に悩みを打ち明けていたそうです」

 騎一郎は、豪放磊落(らいらく)な勝の生き様も目の当たりにした。

「事務所の下にあった電柱に勝おじちゃんが運転するセンチュリーが派手にぶつかったことがあったんです。俺が驚いていると、もう一度バックして、またぶつける。柱にヒビが入って、ボロボロになっているのを見て、俺が呆気に取られていると、勝おじちゃんが『おい、騎一郎、その顔だよ』と(笑)。その表情を覚えさせるためだけに、何百万円をパーにしても気にも留めない人でした」

 父のもとで3年間修行を積んだ後、俳優として世に出た騎一郎は、ドラマ『北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼』(テレビ東京)シリーズなどで活躍した。1992年、富三郎が鬼籍に入ると、それまで優しく接してくれた勝の態度が一変したという。

「親父が生きているあいだは優しくしてくれたけど、亡くなってからは急に怒るようになったんです。俺の父親代わりになろうとしてくれたらしいのですが、優しかった勝おじちゃんに厳しくされるのはショックだった。

 病気にかかってからは、息子の雁龍(がんりゅう)にも辛く当たることがあったそうです。自分に残された時間が少ないことがわかっていたから、一刻も早く子供たちのことをきちんとしておきたかったのかもしれません。

 親父、じいちゃんという順で逝って、最後に残ったのが勝おじちゃんでした。入院する前に、おばちゃん(中村玉緒)と共演した『夫婦善哉 東男京女』を観に行った時のことです。楽屋を訪ねると、勝おじちゃんは俺にこう言いました。『この舞台は3回観ろ。センターと上と下で分けて観ろ。いいか、おじちゃんはこういう芝居をやる。上ではおじいちゃん(杵屋勝東治)の芝居をやる。こっち側ではお兄ちゃん(富三郎)だ。ようく見て目に焼き付けとけ』と。今思い出しても泣きそうになります」

 気がかりなのは、夫と息子にも先立たれた叔母、玉緒のことだ。

「寂しい思いをしてるんじゃないかな。勝おじちゃんと一緒になって、ある瞬間の幸せはあったと思うけど、いい時はそんなに長続きしなかった。人生山あり谷ありという言葉にかけて、おばちゃんは『山に登ったらと思ったら、その先はずっと谷が続いていた。お金ができたと思ったら事件、事件。人生、谷ばかりだった』と笑っていたものです」

「多くの仕事を失った」あの事件を乗り越えて

 名門一家に受け継がれる芸道を絶やさないため、騎一郎は役者の道に邁進。千葉真一の主催するJACで本格的なアクションを修行し、劇団昴で演劇を学んだが、2013年に覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕され、懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の判決を言い渡された。

「あの時は多くの人に迷惑をかけてしまい、仕事も失った。本当にバカなことをしてしまったと反省しています。執行猶予が明けるまでは、生きるのに必死で、ドラマのギャラの数分の1を稼ぐことが、これほど大変なことだと思い知らされました」

 いま、禊を済ませた騎一郎のもとには仕事のオファーが次々に舞い込んでいる。

「大晦日が来るたびに、女房と『やっと一年が終わった』、『来年はきっと良いことがある』と励まし合ってきましたが、時代に取り残されているような切ない気持ちを感じていました。ありがたいことに一昨年の夏、プロデューサーから電話がかかってきて、NHKの仕事が決まった時は、女房と泣きながら喜びました」

 昨年12月、NHKで放送された「大岡越前スペシャル〜大波乱! 宿命の白洲」で、騎一郎は赤穂浪士の堀部安兵衛を演じた。

「NHKの仕事は一度もやったことがなかったので、現場に行くまでは半信半疑。台本に俺の名前が書いてあるのを見て、女房は『パパ、名前入ってる』と大騒ぎしてましたよ。撮影所の人たちが、こんな俺を歓迎してくれるのかという不安もあったけど、皆さん『お帰りなさい』、『帰ってきたね』と声をかけてくれて涙が出そうになりました」

 舞台にも本格的に復帰する。9月11日から、東京・渋谷伝承ホールで公演がはじまる演舞集団UTARIの「時は今 天が下しる 桔梗かな」では明智光秀の家臣、斎藤利三を演じる。

「勝おじちゃんの言葉じゃないけれど、親父の芸の幅広さ、勝おじちゃんのエンターテインメント性、敬愛する千葉真一さんの立ち回り、自分が譲り受けたものを精一杯表現して、公演を盛り立てて行ければと思っています」

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