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百条委員会で兵庫県の斎藤元彦知事が連発した「記憶にない」 心理士が分析する「不作為バイアス」の効果

NEWSポストセブン 2024年9月13日 7時15分

 数々の疑惑で全国的な注目を集めている兵庫県の斎藤元彦知事は、9月11日午後の会見で県議会の全議員、とくに3年前の知事選で支援を受けた自民党議員から辞職を求められていることについて問われ、涙ぐんだ。臨床心理士の岡村美奈さんが、百条委員会での斎藤知事をはじめ、政治家が繰り返す「記憶にない」発言の狙いについて分析する。

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「記憶にない」、その一言を聞いた途端、真実を隠そうとしているのか、自己保身に走ったのか、と思えてくるのは、それが疑惑や罪から逃れようとする政治家たちの常套句だからだ。嘘をつくと偽証罪に問われる場において事実と違う発言をしたとしても、「記憶にない」と言えば逃げ切ることができると彼らは思っているのだろう。

 兵庫県議会調査特別委員会(百条委員会)の証人尋問に応じた兵庫県知事の斎藤元彦氏も、いくつもの質問に対して「記憶にない」と連発した。告発文書を送られると「誹謗中傷性の高い文書」「噂話を集めたもの」として犯人捜しを行い、それが県の元幹部とわかると「嘘八百」「公務員失格」と断じて懲戒処分にした。元幹部はその後、死亡。百条委員会で、亡くなった職員に対して聞かれても「道義的責任が何か私にはわからない」「亡くなった理由は本人にしか分からない」と、表情を変えることなく淡々と述べた。

 百条委員会で次々と明らかになっていくパワハラやおねだり疑惑も大きな問題だが、公益通報の調査結果を待たずに処分してしまったのは法律違反になる可能性が高い。それについて問われた斎藤知事は“記憶にない”とは言わず、「法的に問題ない」「手続きに瑕疵はない」と嘘八百と非難した時の口調とは変わって力のない声で主張し、自ら下した処分の違法性を否定、「真実正当性がなく公益通報の保護要件には該当しない」と繰り返した。だが調査を指示したかなどの質問には「記憶にない」を連発、都合が悪い質問には記憶がなくなってしまうのだが、知事としての対応に問題なかったという姿勢に終始した。

 嘘には2種類の嘘がある。1つは「作為の嘘」で、もう1つは「不作為の嘘」だ。作為の嘘は事実と異なることを相手に伝えることで、不作為の嘘は事実を知っているのにあえて何も言わないことで相手を欺くことである。過去、国会では疑惑を追及された政治家が刑事訴追等から逃れるために、「記憶にない」という言葉を使ってきた。つい最近も自民党派閥の政治資金パーティーの裏金事件を受けて開かれた参院政治倫理委員会で、世耕弘成前参院自民党幹事長が「記憶にない」「知らない」を繰り返していたことは記憶に新しい。

 不作為の嘘は、作為の嘘より道徳的に甘く判断される傾向がある。記憶にないと言われるよりも作為的に嘘をつかれた方が、ネガティブな印象を受けるという「不作為バイアス」があるからだ。そして記憶にないを政治家らが連発するのは、彼らに本当に記憶がないのかどうか、他人が見極めるのが難しいからでもあるが、世間はこれが逃げ口上だと過去の経験から察知し、信頼は崩れ去る。百条委員会の追求にも自身の正当性を主張しながら、記憶にないという言葉を使い分ける斎藤氏の姿は、説明責任を果たしているというより、公益通報で違法の判断とされないよう知事の座にしがみついているようにも見えてくる。

 知事選で推薦を受けた日本維新の会が辞職と出直し選挙を申し入れてもこれを拒否し、県議会最大会派の自民党が不信任案決議を提出することを視野に動いていると聞いても、「大変重く受け止める」「どういう道を進むかは自分で決める」と辞職を拒否。だが11日の定例会見では応援してくれた人々に「申し訳ない」「自分自身に対して悔しい」と目を赤くして涙したのは、人として正しい道を守るべき責任である道義的責任がわかっているからだろう。

 総理としての「資質があるかは皆さんに判断頂く」、自民党総裁選に立候補した小泉進次郎元環境相は、想像していたよりも力強い言葉でハキハキと臆することなくそう答えた。「知的レベルの低さで恥をかくのでは」というフリージャーナリストの質問にも、危な気のない上手い切り返しをみせ、恥をかくどころか株を上げたという声さえある。

 知事としての資質があるか県民に問う、という判断は、今の斎藤氏にはないらしい。さて、兵庫県政の混乱はいつまで続くのだろう。

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