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《新総裁》石破茂氏が一目惚れした美人妻が語っていた「夫婦のなれ初め」最初のプロポーズは断った

NEWSポストセブン 2024年9月27日 20時12分

 過去最多9人が立候補し、もつれにもつれた自民党総裁選。9月27日に行われた投開票では、石破茂元幹事長(67才)が高市早苗・経済安全保障担当大臣(63才)との決選投票を制し、215票で新総裁に選出された。

 自民党きっての国防通で知られ、タカ派でならす石破氏だが、プライベートでは愛妻家であることでも有名だ。『女性セブン』2018年9月20日号では、大学時代に石破氏が一目惚れしたという妻・石破佳子さん(当時62才)にインタビューしている。“最初のプロポーズは断った”など、ふたりの結婚秘話を再掲する。【全3回の第1回】

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 佳子さんは東京出身で、中高一貫の私立女子校を卒業後、慶應義塾大学法学部に入学。そこで同級生だったのが、石破氏だった。教室で初めて佳子さんを見た時、「こんなにきれいな人がこの世にいるのか」と石破氏が一目惚れ。

 ちなみに、石破氏は“永田町随一の愛妻家”として知られている。今も、美人な奥さんに首ったけなようだ。

「当時、夫は学期末試験対策の勉強会サークル『石破のヤマかけ講座』を開いていました。友人に誘われて、私がそこに参加したのが、最初に話をしたきっかけです。

 その時、私の出身高校を知っていて、“ぼくの2人の姉も同じ高校の出身だ”という話をされたのですが、言い方が気になって、あまり第一印象はよくなくて…(笑い)。

 夫は他の男子生徒とは一風違う雰囲気がありました。当時、ジーンズや『アイビールック』ファッションが流行っていたのですが、彼はいつもきちんとシャツにネクタイ、ジャケットを着ていて、真面目そうなかただと思いました。

 よく覚えているのが、勉強会でわざわざみんなの分のドーナツを用意していたこと。男女問わず親切でしたから、人気者だったようですよ」(佳子さん、以下同)

 友人として付かず離れずの大学4年間を過ごしたふたり。卒業式の後、石破氏は思い切って「結婚を前提としてつきあってほしい」と告白した。しかし、佳子さんの返答は「ごめんなさい」だった。

「当時、彼は銀行への就職が決まっていました。告白されたとき、“学者や弁護士を目指していたけど、君と結婚するために、安定した道を選ぶよ”と言いたげな雰囲気を感じたんです。当時は女性への社会の門戸は狭く、就職しても一般職しかない時代。男性は何にでも挑戦できて羨ましかった。“結婚したいからといって、やりたいことを諦めるのは、やめてほしい”という気持ちから交際を断りました」

 石破氏は大手銀行、佳子さんは総合商社に就職。一度は疎遠になったが、1981年に石破氏の父で参議院議員の二朗氏が亡くなり、佳子さんが友人たちと連名で香典を送ったことをきっかけに、ふたりは再び連絡を取り合うようになった。

「駆け出しの銀行員だった彼は、『定期預金口座の新規開設』の営業ノルマがあったようなんです。それで私に“口座を作ってもらえないか”と連絡がきて、ランチをしました。今思い返せば、口実だったのかもしれません(笑い)。でも、学生時代から頼りになる人だったので、そうして会って仕事の悩みを話すうちに、打ち解けていきました」

 自然に交際が始まり、婚約の流れに。銀行員の妻になるはずだったが、その先に人生の一大転機が待っていた。二朗氏と親交の深かった故・田中角栄元首相から「父の跡を継いで政治家になれ」と命じられ、石破氏は政界入りすることとなったのだ。

「青天の霹靂でした。新聞に選挙の候補者として夫の名前が挙がり、銀行を辞めることになったんです。すぐに夫から説明の電話がありました。『そういうことになったけど、突然のことだし、結婚の話はやめたければやめてくれてもいいよ』と言われ…。政治のことはまるで知らなかったので、本当に悩みました」

 結婚すべきか、やめるべきか。悩む佳子さんに父親がこうアドバイスしたという。

「君は、結婚相手を『職業』で選ぶのか、『人物』で選ぶのか」

 その一言で、佳子さんの気持ちは決まった。1983年9月、東京・赤坂のホテルニューオータニでの挙式に出席した田中元首相は、佳子さんが勤める総合商社が絡んだ「ロッキード事件」で窮地に立たされていた。しかし、主賓として「いい会社だよ。わしのことがなければ、もっといい会社だ」とスピーチして、会場をどっと沸かせた。

(第2回に続く)

 
 

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