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《メジャー昇格は3、4年後ですね》偏差値71の進学校から「高卒即メジャー挑戦」 17歳の二刀流・森井翔太郎が語った「マイナーから這い上がる」野望

NEWSポストセブン 2024年9月30日 11時15分

 東京都国立市にある偏差値71の進学校・桐朋高校のグラウンドでは、1年生の球児と、来春に入学してくる桐朋中学校の3年生が田中隆文監督のノックを受けていた。その中で、明らかに体格も野球のセンスも飛び抜けた上級生がショートのポジションに入っていた。投げては153キロ、打っては高校通算45本塁打という二刀流のドラフト注目選手ながら、NPBの全12球団に「メジャー挑戦」を通達した森井翔太郎(17)だった。

「高1の頃からずっと、進路に関してはアメリカの大学か、NPBかのどちらかで考えていました。日本の大学が選択肢になかったのは、メジャーという自分の小さい頃からの夢を実現させるには一番遠回りになるかなと思ったからです。アメリカの大学だと、早ければ21歳の時点で(米国の)ドラフト対象となりますから」

 なぜ国内のプロ野球と米国の大学を選択肢から外し、メジャーへの挑戦に絞ったのか──そう問うと、森井は慎重に言葉を選びながら、こう続けた。

「もちろん、NPBにも魅力を感じますし、レベルの高いリーグであると思うんですけど、アメリカで下から這い上がっていきたいという気持ちが強かった。メジャーリーガー予備軍の選手たちと一緒に切磋琢磨し合うというのが自分の幸せだと思いましたし、たとえマイナーからでも挑戦できるチャンスが回って来たんだから、そこは逃したくなかったです」

 現在までに田中監督のもとにはアメリカの7球団から問い合わせが届いており、森井本人もマイナー契約の見込みが立っているような口ぶりだった。

 12年前となる2012年の秋頃、筆者は花巻東の3年生だった大谷翔平本人や両親への取材を通して、いち早く高校からメジャーに挑戦するという大谷の決断を報じた。そんな大谷をドラフトで強行指名した北海道日本ハムは、NPB経由で米国に渡る方が結果として長くメジャーで活躍できるという「道しるべ」を提示して、18歳だった大谷を翻意させた。

 世界トップの野球選手となった現在の大谷の活躍を考えれば、NPBを経由することが決して遠回りではないということは明白だ。

「NPBからメジャーに行った方がいいんじゃないかとは自分も何度も思いました。ただ、(9月上旬に)アメリカに行って、マイナーの試合を見たり、練習環境を見るなかで、自分はここでやっていけるなと思いました」

 9月上旬に森井は両親と共に4泊6日の強行スケジュールで渡米し、ルーキーリーグの試合やメジャーの試合を観戦し、大学にも足を運んだ。帰国時には森井の気持ちは固まっていた。

「みなさんが想像するような環境ではない」

 プロや大学での実績がない18歳が渡米するとなれば、メジャーを頂点とするピラミッドの最下層にあたるルーキーリーグから挑戦し、そこから1A、2A,3Aと駆け上っていかなければならない。マイナーは「ハンバーガー・リーグ」と揶揄されるように、軽食しか支給されず、バスでの長距離移動も多いだろう。

「実際に視察して、ルーキーリーグはアリゾナとフロリダの2箇所で実施されるので、移動はさほど大変ではないと思いました。食事に関しても……自分は問題ありません。トレーニング器具も豊富ですし、球場も美しくて、電光掲示板も設置されていました。たぶん、みなさんが想像するようなマイナーリーグの環境では現状はないと思います。厳しいとは思いますが、そこで勝負していくと決めました」

 投手としては自慢の直球に加え、カーブ、スライダー、フォークを駆使し、左打席に入る打撃ではやはり飛距離が魅力だ。桐朋のグラウンドは右翼が87mしかなく、森井の当たりがネットをはるかに超えて奥のプールや茂みに飛び込んで一般生徒をヒヤリとさせたことも一度や二度ではない。練習試合を行った広島商業のグラウンドでは推定140mの特大弾を低反発のバットで放ったこともある。

 投手か、野手(遊撃手)か。本人は米国でも二刀流を貫きたいと話す。

「投手としてはカットボールのような動くボールをアメリカを見据えて練習しています。自分の場合、ストレートがけっこうシュートするので、反対方向に少し曲がるカットボールが武器になるかなと。153キロという球速はアメリカでは……ふつうですよね(笑)。

 高校時代に、ウエイトトレーニングはまったくやらなかったんです。いや、一度やってみたことはあるんですが、ヨガのインストラクターである母が自分の異変にすぐに気付いて、『やめなさい』と。(体が成長しきっていない)高校時代は筋力よりも柔軟性を大事にして、悪い動きになるトレーニングは止めておこうとなりました。アメリカでウエイトに取り組んで、10キロぐらい体重を増やせたら自然と球速は上がると思います。

 バッティングに関しては、空振りをあんまりしないというのが特徴ですかね。バットにボールを当てる技術はあると思いますが、芯に当てる確率はまだまだ。そこを向上させないと上では通用しないと思います」

「デラクルーズ、タティス・ジュニアと同じように」

 若いうちは投手と遊撃に挑戦し、自身の適性を見極めて将来的にはどちらかに専念するやり方もあるだろう。

「やっていくなかで、ピッチャーが良かったならピッチャーに専念するという選択肢もある。ただそれは最悪の話ですね。自分は二刀流で勝負したいです」

 ルーキーリーグから挑戦し、メジャーの舞台に立つのは何年後ぐらいに想定しているのか。

「自分の目標としては3、4年ですね。1年でシングルA、2年目にダブルAと、1年ごとにひとつ階段を上がっていくイメージがベストかなと」

 桐朋学園には小学校から通い、6年生の時には埼玉西武ライオンズジュニアにも選出された球歴を持つ。しかし、国立大学や難関私学を目指しているような球児ばかりの桐朋学園の野球部は強豪校とはとても言い難く、甲子園に出場したことも、プロ野球選手を輩出したこともない。そういう環境で過ごしながら、メジャーで活躍できるという確信は得られているのだろうか。

「今の自分の実力はまだまだななんですけど、自分の将来性って言うのは、自信を持っていて。名門校とは練習環境も練習時間も違うなかでここまで(強豪校の選手と)同じぐらいの評価をしていただいていることはありがたいことだと思いますし、同時にこれから自分の野球に絞って、一日中野球のことを考えて過ごしたらどこまで成長できるのか楽しみでもあります。桐朋ではテスト前になると、一日中、勉強しないと追いつかないこともありますから」

 今後は、日本のドラフト会議が行われる10月24日以降から米国の球団との交渉が解禁となり、1月中旬に契約、2月にキャンプに参加する流れとなる。

「夢はワールドシリーズ制覇。憧れる(今季大ブレイクした)エリー・デラクルーズ(レッズ)やタティス・ジュニア(パドレス、25)という若いスーパースターと同じように、ルーキーリーグから這い上がっていきたいです」

 同じ「翔」の名が入った大谷に対する憧れは最後まで口にしなかった。

 大谷とは違う道を辿って同じ高みへ。そんな壮大な夢を口にする17歳の矜恃が見え隠れした。

取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)

※週刊ポスト2024年10月11日号

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