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オバ記者、67才にして胸にズシン「ちゃんと命をいただく人になろうと思い至った」

NEWSポストセブン 2024年10月2日 7時15分

 日常的に食べている肉だが、食肉になる過程として動物を解体する「屠畜」がある。屠畜の仕事に就く人の声から、動物の命をいただくということについて、『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子が綴る。

 * * *
 いやぁ、ウカツだったわ。まさかこんなに重たい鉛を胸に打ち込まれるとは夢にも思っていなかったわよ。

 数か月前、「私がずっと会いたかった人の講演会があるから聞きに行こうよ」と誘ってきたのは、刑務所の管理栄養士をしている黒柳桂子(55才・“柳”の正式な表記は“木へん”に“夕”に“ふしづくり”)だ。『めざせ! ムショラン三ツ星』の著者で、最近はメディア露出も多い。彼女が会いたかった人は、坂本義喜さん。1957年、熊本県生まれの食肉解体作業員だ。

 講演会当日、合流した彼女から「とにかくいま、この本を読んで。短いからすぐ読めるでしょ」と一冊の絵本を渡された。『いのちをいただく』(文・内田美智子、絵・諸江和美、監修・佐藤剛史、西日本新聞社刊)という本だ。

 この絵本は熊本県の食肉加工センターに勤務する坂本さんの体験談を基にしたもので、物語は坂本さんと息子さんが食肉加工センターの仕事について語り合う場面から始まって、牛の「みいちゃん」を同センターに運び込んだ人たちと出会う場面へと展開し、坂本さんは「動物の命を私たちはいただき、生かされている」ことの意味を改めて問い直す。

 講演会場の三重県津市・白山市民会館には、小さな子供を連れた母親など中年女性が100人ほど集まっていた。

「私の仕事は食肉センター解体作業員。はっきり言えば屠畜業ですね」

 ポロシャツに綿パンのラフなスタイルの坂本さんはサラッと話し出した。

「両親がその仕事をしていたんですけど、牛馬の血を浴びたまま帰ってくる。それが子供心に嫌で嫌でたまりませんでした」

 坂本さんは昭和32年生まれで私と同じ年だ。そういえば私の通った農業高校でも「親の仕事を継ぐことが嫌で嫌でたまらない」という男たちのグチが渦巻いていたっけ。

 親の仕事を嫌った坂本さんは、それを口にすると親が傷つくと思い、気を使った言い方で逃げる。それを承知で逃す親とのやり取りにほろっとくる。

 が、そんなものじゃない。屠畜の仕事に嫌々就いた坂本さんの仕事観を変えることになった牛・みいちゃんとの出会い、そして別れは強烈で、みいちゃんの命を終わらせられない坂本さんの心は行きつ戻りつする。

 一頭の牛との出会いで、坂本さんの職業観や生命観は大きく変わった。「命をいただいたら、私たちは何をしないといけないのか?」と問いかけ、「お父さん、お母さんと仲よくすること、元気に遊ぶこと、まわりの人を助けること」を掲げる。坂本さんはそんな話を全国の小学生や中学生に伝える講演活動をしているが、「もっとその機会を増やしたい」と言う。

 お人柄なんだろうね。坂本さんの話にはウソも誇張もない。気がつくと私の目から汗が吹き出していた。

 わが故郷・茨城は養豚大国で、私の通った農業高校には「畜産」という授業があり、屠畜は身近にあった。子供の頃は家の前が養鶏場だったから、鶏のしめ方、手順は知っている。なのに、それを仕事にした人の胸の内は聞いたことがない。聞く機会があるとも思っていなかったんだよね。

「15年前に新聞記事で『いのちをいただく』を知ってから、坂本さんにずっと会いたかったけど、一般人が入れる講演会ってなかなかなかったのよ」と黒柳は言う。

 黒柳の家では毎朝卵を産む2羽の雌鶏とチャボを5羽飼っていて、私も翌朝、彼女の家で鶏卵をいただいた。「雌鶏が卵を産まなくなったら? それは私がさばいておいしくいただきますよ」と彼女の娘が当たり前に語れば、「この子の“肉愛”は親の私から見てもハンパないわ」と黒柳は言う。

 そりゃあさ、魚は切り身で海に泳いでいないし、豚だって初めからロース肉だったわけではない。牛もA5だのシモフリが最初からできているのではない。みんな誰かが仕事をして私たちの目の前に現れて、それが口に入る。

 わかっちゃいるけど、人はきれいごとに弱いんだね。牛一頭からバケツ10杯の血が出ることや、屠畜の直前に暴れる牛がいることなど知りたくないのよ。

 坂本さんの話と黒柳家の当たり前が胸にズシンときている自分が本当に情けない。そして、ちゃんと命をいただく人になろうと思い至った。67才、まだまだ知るべきことがあるね!

【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。

※女性セブン2024年10月10日号

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