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《佐野SAの39日間ストライキとは何だったのか》発端の元総務部長が初めて語った騒動の真相「すぐ終わるはずだった」「休業の従業員60人に支払った自腹1500万円」の行方

NEWSポストセブン 2024年10月13日 16時14分

 年間約170万人が利用する東北道・佐野サービスエリアの上り線(以下、佐野SA)。佐野SAの利用客からは、栃木県佐野市のご当地ラーメン「佐野ラーメン」が特に人気で、毎年、かき入れ時のお盆には行楽客や帰省客でにぎわう。

 しかし2019年8月、突如、佐野SAにある売店やレストランが営業を突如停止して大騒動となった。原因は売店の運営会社「ケイセイ・フーズ」(以下、ケイセイ社)の従業員によるストライキで、利用客が混乱する様子は連日のようにワイドショーで取り上げられた。後編では、消えた従業員の行方、ストライキの渦中にいた当時の総務部長・加藤正樹氏が騒動当時を振り返った。【前後編の後編。前編を読む】

 今から約5年前の2019年8月14日の朝。佐野SAで起きた従業員によるストライキ。前代未聞のストライキは、終結まで39日間を要した。5年間沈黙を続ける、渦中の人物・加藤氏は当時何を思っていたのか。NEWSポストセブンの取材に、初めて騒動について語った。

「当初、ストライキはどう転んでもすぐ終わるはずでしたが、想定外が重なって長期化してしまった。従業員たちは困り果てました。みんなそれぞれ家庭があり、家族から『ストライキなんて世間体が悪いことは止めてくれ。仕事は他にもあるだろう』とか、ぐうの音も出ないことを言われることも多かった。そんな中、60人規模でまとまって行動できていることは、信じられないことでした」

 従業員が消えた佐野SA。労使交渉が難航する中、会社側は新たなスタッフを雇い始めたが、トラブルが相次いだ。

「我々から見ると、この状況は不安で仕方がありませんでした。『慣れてきたら私たちは要らなくなる』『新しく入った人はクビにできないですよね?』『帰る場所がなくなってしまった』『ストライキなんて、しなきゃよかった』と、次第に悲観的な気持ちに追い込まれていきました」

 その時、会社側から始まったのが「個別の切り崩し」だった。

「大半の従業員に、『すぐに復職を認める。戻ってくる人には悪いようにはしない。ボイコットを続けるなら、損害賠償請求の可能性もある』という趣旨の手紙が届きました。私が供託した資金が減っていくスピードも速く、数日後には、ほぼ消失する見込みでした」

 加藤氏は、組合の解散もやむを得ないと腹を括ったという。

「一緒に頑張った仲間同士が、将来悪口を言い合う結末だけは避けたいと思いました。ストの勝ち負けより大事にするのはそこでした。

 そのことを伝えるために、会議室で全員を前に『皆さん、資金はあと2日で尽きます。皆さんにはそれぞれ生活があり、個別の事情も痛いほどわかります。今回の会社側からの申し出に応じたとしても、裏切りではありません。残る人たちも、抜けた人たちを悪く思わないでください。裏切りどころか、こんなに長い間1つになって動けたことを誇りに思っています。今までありがとうございます』と、伝えました。会議室は悲しい雰囲気に包まれました」

 その日の夜、会社側から仲介者を通じて加藤氏に口頭で連絡があった。

「内容は『全員復帰してほしい』というものでした。我々はそれまでの経緯もあり、この会社側の申し出をにわかに信じられませんでした。数日間かけて確認を行い、事実だと知り、ようやく歓喜しました。自分の解雇が原因で始まったストでしたから、なんとか区切りを付けられて肩の荷が下りた思いでした」

スト終結、そして職場復帰を果たして…

 2019年9月22日にストは終結し、全員が職場復帰を果たした。加藤氏が自腹で労組に供託し、スト中の従業員たちに支払っていた給与分の1500万円はどうなったのだろうか。

「ストはすぐに終わると確信していたので、本当にこれだけの額を支払うことになってめんくらいました。実際に支払いが始まる時に計算してみたら、1日40万円が必要とわかり、シビれました。

 毎朝起きて『うわーっ、今日も40万円減っちゃうなぁ』と、思う日々を想像してみてください。まぁ得難い経験をさせてもらいましたし、お金はまた稼げばいい。高齢の従業員も含めて、全員で復帰できたので、よかったとしておきましょう」

 突然、「当時、従業員の皆さんからこんなプレゼントを貰ったんですよ」と、加藤氏がカバンから取り出したのは、多くの感謝の言葉が綴られた手紙とお金だった。

「騒動が終わって復職後、従業員の皆さんからいただきました。支配人が『もう安心だから、貰ったお金から1割ぐらい恩返しをしましょう』と、声掛けして集めたそうです。封筒には短い手紙とお金が入っていました。最低賃金に近い人たちの封筒にも、1万円札が入っているのを見て、本当に驚いて……なんとも言えない気持ちになりました」

 その後、加藤氏は佐野市を離れたという。

ストの中心人物は「今」何をしているのか

「もともとの仕事(芸人さんのWEBサイト技術責任者)に戻りました。ストレスがない上に、大好きな趣味に関わる仕事に戻れて、大変ありがたいです。先日、久しぶりに佐野SAに立ち寄ったら、建物が壊されていました。自分の気持ちに変化があるかと思ったんですけど、特別な感情はなかったみたいです。建物より気になるのは“人”ですね。ストのあと長い時間が経ち、あの頃より幸せそうな人、そうでもない人、亡くなった人、様々です。

 そもそも、私の解雇に大勢で抗議したために始まったストでした。その参加者に対し、自分で落とし前をつけないと『生きてる意味がない』という想いで、文字通り『必死』でした。

 死ぬ気で頑張ったら、食事もちゃんと摂っていても、1週間で10キロほど痩せていました。あとになって聞いたのですが、パートの皆さんが『加藤さんを支えなきゃ』と話していたそうです。当時の私は『やけに食べ物を勧めてくるなぁ』『そんなに食べれないなぁ』と少し困っていましたが、パートの皆さんは、家ではいいお母さんなんでしょうね。あれもこれも、今となってはいい思い出です(笑)」

 最後に聞いてみた。もしストライキ直前に戻れたら、どうしますか?

「止めます!」と、食い気味に返答する加藤氏の言葉が印象的だった。

 騒動から7年後、佐野SAは静かに新規施設の完成を迎える。

(了。前編から読む)

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