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荻堂顕氏、新作長編『飽くなき地景』インタビュー 「戦争や昭和史の当事者が少なくなる中で非当事者が誠実に語っていくことが大事」

NEWSポストセブン 2024年10月15日 7時15分

〈祖父は僕に、覚えきれないほど多くの教訓を授けてくれたが、その授け方はいつも風変わりだった〉

 当時8歳の話者が回想する冒頭の「一九四四年」から終章「二〇〇二年」まで、荻堂顕氏の新作『飽くなき地景』は、東京・目白台に広大な屋敷を構える旧華族〈烏丸家〉に生まれ、刀に関して無類の審美眼を持つ祖父の薫陶を受けて育った〈治道〉及び東京そのものの歩みを追った、美と血と街を巡る壮大な一代記だ。

 地景とは元々刀剣用語で、素材となる鋼の炭素濃度や硬度の違いが一種の景色として現われた文様のこと。愛好家の間ではこの〈均一ではない部分〉こそが美しいとされ、〈日本人は不均一を尊ぶ美意識を持っていたんだ〉と、今は亡き祖父の友人は治道に言った。

 そんな祖父とは対照的に、大叔父の興した建設会社を一大企業に育て上げ、東京をビルだらけにしてきた父〈道隆〉の野心や放埓さを治道は憎み、祖父が遺した太田道灌由来の名刀〈粟田口久国の無銘〉にますます魅入られていくのである。

 2021年の『擬傷の鳥はつかまらない』以降、話題作を連発する著者は世田谷出身。東京とその戦後史はいつか書きたい題材だったという。

「といっても元々は日本版『グレート・ギャツビー』みたいな一人称の一代記を書こうとしていて、最初に浮かんだのが柴田翔さんの『されどわれらが日々―』だったんです。でも左って傑作も多いし、自分は右をやろうかなと思った矢先に、刀というモチーフが本当にポコンと頭に浮かんだ。

 そして刀について調べるうちに、戦後まもない頃に日本美術刀剣保存協会初代会長の細川護立が、刀は美術品だとGHQに認めさせる形で没収を免れた話を知ったんです。さらに東京の戦後で面白いのはやっぱり建築や土地開発だろうと、大林組や清水建設や西武の堤家の歴史を調べてみたり、いろんなモチーフが何重にも重なっていきました」

 結果、舞台は旧細川邸、家庭事情は堤家を彷彿とさせるが、モチーフはモチーフに過ぎないという。

「安藤昇や円谷幸吉など、他にもモデルが分かりやすい人物はいますが、あくまで主題は時代ですから。丹下健三や田中角栄のように作中では喋らないキーマンは実名にし、お店も治道の大学の近くの『葉隠』や『金城庵』、あとは『渋谷ロロ』のような今はない店も含めて、現実との接点になってくれるといいなあと思って実名にしています」

 第一部「一九五四年」で治道は18歳。早稲田の文学部に通い、ボディビルサークルで親友〈重森〉と汗を流す彼は、最近父親が始めた〈奇妙な昼食会〉が気鬱でならない。今も複数の愛人をもつ父は、毎週火曜、銀座の高級店に同い年の異母兄〈直生〉と各々の母親の出席を強要。東大工学部で建築を学び、治道のことを嫉む直生も、祖父の美学を伝える施設の創設を夢見る学芸員志望の治道も、誰も父には逆らえないのだ。

 そんなある日、彼は父が見知らぬ男に筒状の何かを渡すのを見かけ、胸騒ぎを覚える。果たしてそれはかつて祖父が〈この刀は烏丸家の守り神です〉〈治道さんは、背筋のよい人になってください〉と言って自分の背に押し当てた無銘だった。

 彼はその派手な背広姿の男〈藤永〉が渋谷の愚連隊〈松島組〉の一員だと知り、重森共々、ある行動に出るのだが、一連の騒動もまた東京の街の蠢きの中に呑み込まれていくのである。

シンパシーよりエンパシーを喚起

「僕自身は刀好きでもないし、刀は美術品だという理屈を詭弁だとすら思っています。本を正せば人殺しの道具じゃないかって。そうやって刀本来のアイデンティティを曲げてまで所有を認めさせた経緯自体、戦後の日本そのものですし、その視点を僕は刀のことを何も知らずに書いたから、発見できたかもしれない。前作『不夜島』でもあえて全く何も知らなかった台湾を舞台にしたり、その方がバイアス抜きに書ける部分もあると思うんです」

 昭和に関してもそう。

「今の30歳以下の世代からすると、昭和史自体がもうフィクションなんですよ。特に最近は昭和とか戦争周りの著作権が切れ始めていて、女子高生がタイムスリップして特攻隊員と恋に落ちる話を特に違和感なく消費しても大丈夫な空気がある。それって怖いことだし、例えば原爆の語り部の方の平均年齢が90近くなる中、戦争や昭和史を非当事者が誠実に語っていくことって大事だと思うんです」

 また、結局は父の会社に入社し、広報部を任された治道と東京五輪の強化選手〈高橋昭三〉の交流を描く第二部「一九六三年」や、第三部「一九七九年」でも主人公は終始、揺れ通しだ。

「彼はいわゆる信頼できない語り手で、『ギャツビー』のニックもそうですよね。主人公の認知の歪みや目の曇りに本人が徐々に気づき、共感はできないけど自分も少しわかるかもみたいな、シンパシーよりエンパシーを喚起するのが、僕はいい小説だと思うので」

 作中にも〈曲線と冷徹な直線〉の〈矛盾めいた共存〉といった刀に関する記述があるが、烏丸家の親子関係にも愛と憎が常に相半ばし、幻想と現実、〈水平性と垂直性〉など、様々な価値観がせめぎ合う矛盾こそが、東京の景観を形作ってもいた。

「僕も今の東京に関しては、そんなに開発して大丈夫?とは思いつつ、街は変わるものだという諦念しかない。結局はその人その人の、あの時の風景がよかったということでしかないと思うし、それもまた、幻でしかなかったりするんです」

【プロフィール】
荻堂顕(おぎどう・あきら)/1994年東京生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業後、フリーライターや格闘技ジムのインストラクター等をしながら投稿を続け、2021年に第7回新潮ミステリー大賞受賞作『擬傷の鳥はつかまらない』でデビュー。2作目の『ループ・オブ・ザ・コード』は第36回山本周五郎賞候補、続く『不夜島』では第77回日本推理作家協会賞を受賞。幅広い作風や高い描写力で評価を集め、「全ジャンルを書きたいと思っています」という注目の新鋭。163cm、66kg、O型。

構成/橋本紀子

※週刊ポスト2024年10月18・25日号

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