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【千利休の末裔が語る“いつも感じのいい人”の習慣】「ご縁」を大切にする人は、人づきあいがうまい

NEWSポストセブン 2024年10月19日 11時15分

 人間関係に悩んだ時、立ち返るべき思考習慣について、千利休を祖とする茶の湯の家に生まれ育った茶人の千 宗屋(せんそうおく)氏は、「お互いを尊重し譲り合う謙譲の精神を基本とすべき」と言う。今秋、人づきあいとふるまい方を説いた『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』を上梓した千氏が語る短期連載。今回は、日本社会が培ってきた「ご縁」について伺ってみた。【全6回の第3回。第1回から読む】

人脈の財産である「ご縁」「粗相がないよう」「不快にさせないよう」相手を思いやる

 ご縁を大切にする人は、出会いや人づきあいを大切にする人だ。

「ご縁の重なりが自分自身を形成し、大きく成長させてくれます。すなわちご縁をつなげばつなぐほど、チャンスはめぐってくるとも言えるのではないでしょうか。いわば、ご縁は人脈の財産なのだと言えます。人間は一人では生きていけません。さまざまな人の支えによって今の自分ができあがっています。

 人間関係をつなぐご縁は、実はマナーや作法といったものと密接につながっています。ご縁に感謝し、人間関係を大切にする思いから、相手に『粗相がないよう』『無礼にならないよう』『不快な思いをさせないよう』という行動が生まれ、その結果できあがったのがマナーや作法なのです」(千氏、以下同)

人間関係の誤解やトラブルを避けるための潤滑油としてマナーや作法は存在する

 茶の湯では、さまざまな作法、ルールが決まっている。

「お茶に親しんだことのない方からすると、『茶碗はどっちに何度回すのか』といった細かい決まりに縛られた世界に見えるかもしれません。けれど皮肉なもので、そもそも茶の湯とは、室町時代の身分制度という厳格な決まりごとを超えて、個人と個人の心が直に交わるために、多くの作法や決まりごとをぎりぎりまでそぎ落としていった末にできあがったものなのです」(千氏)

 現代に生きる私たちにとって、作法やマナーというのは、人と人とのコミュニケーションを円滑にするためにある。人間関係の誤解やトラブルを避けるための潤滑油として、マナーは存在するのだ。

とりわけ、深く社会の「ご縁」と結びついているのが「冠婚葬祭」

 冠婚葬祭とは、人が生きていく上で遭遇する四大儀礼を指す。

「冠婚葬祭という言葉でくくられるさまざまな儀礼こそ、最も人間関係に深く結びつき、しきたりとしてのマナーが問われる場面ではないでしょうか。なぜなら、敬意や感謝、思いやり、清浄、ご縁……といったすべての基本の要素が含まれているからです。冠婚葬祭それぞれに、その地方ならではのしきたりがあったり、家に伝わる方針が存在したりもするでしょう。

 家族や親族だけでなく、おおぜいの人が関わる儀式でもあるので、よけいにその場にふさわしいふるまいや服装、正しい作法というものが気になります。これを窮屈ととらえ、時代と共に儀式を簡素化してきたのが現代です。結納は省略し、結婚式は行わないか親族のみで、葬式は家族葬で、といった具合です。核家族化が進んだ現在では当然の流れかもしれませんが、単に合理的でないから、手間がかかるから、といった理由でなくしてしまうのは、残念なことだと思うのです」(千氏)

たとえば結婚。結納は本来、両家の価値観をぶつけ合う機会だった

 結納とは、婚姻によってふたつの家が親戚になることを祝い、仲人を立てて結納金や結納品などを受け渡しする儀式のこと。今では省略してしまうか、レストランやホテルなどで略式の顔合わせや食事会として行うことが多くなっている。

「結納によって正式な婚約が成立するわけですから、かつて結婚が家と家との結びつきであった時代には、たいへん重要な儀式とされていました。結納の手順を踏む中で、歴史も考え方も違うふたつの家がそれぞれの価値観をぶつけ合うことになり、それを乗り越えていけるかということが試されたわけです。

 現代であっても、婚約や両家の顔合わせや食事会、結納をいつどのようにするかといったことをひとつひとつ決めていく中で、婚約者それぞれが育った家の価値観やしきたりといったものが初めてあらわになってくるはずです。

 儀礼とは、一見非合理的でめんどうなものと思われがちですが、型が決まっているからこそ、そこに人の気持ちや本質が現れてくるという側面があります。結納や婚約といった儀式もまた、その後の結婚生活がうまく継続できるかどうかを確認するための、大切な通過儀礼と言えるのではないでしょうか」(千氏)

新郎新婦が自立している現代では、仲人は不要

 かつて、結婚披露宴では仲人夫妻が必ず新郎新婦の隣に座っていたが、今ではほぼその姿は見られなくなった。仲人さんの紹介によるお見合い結婚という例が少なくなったからもあるだろうが、ほかにも理由はありそうだ。

 「一昔前とくらべて、今は男女共に社会的経済的に自立してから結婚する人がほとんどです。招待客も自分たちが直接親しくしている友人や上司がほとんどで、親の関係者を招くことはまれです。こうした二人の結婚式では、親代わりとして常に補佐する役割の仲人さんは、もう必要なくなったと考えていいのではないでしょうか。

 仲人さんが存在した時代の結婚披露宴では、新郎新婦が自分の言葉で話す機会はほとんどありませんでした。また、招待客も親のつながりで呼ばれる人が多く、極端な例では新郎新婦の顔も知らない名士などが主賓として座ることも多々ありました。今は、新郎新婦自身が招待客を選び、本人が挨拶をすることがふつうになっています。これもやはり、新郎新婦が経済的にも社会的にも一人前の大人であり、すでに独自のコミュニティを形成しており、そのつきあいを中心に招待客を選ぶようになったからだと思われます」(千氏)

披露宴は、誰が主人公なのか

 さらに、仕事の都合などですでに実家を出て一人暮らしをしているなど、親世代の住む地域社会とのつながりも薄くなっている。

「結婚披露宴とは、自分の属するコミュニティの主要なメンバーを一堂に招き、結婚を報告すると共に、自分の伴侶を紹介し、今後は夫婦という単位で活動していくことを披露する場です。かつて、親世代が「子どもたちを今後ともよろしくお願いします」と自分の仲間や地域社会に対して披露した頃からは、そういった面でも時代と共に変化をしてきているのです。誰が主人公なのか、誰のために開くのか。それによって、挨拶をする人や招待状の名前も変わってくるのです」(千氏)

 結婚披露宴の席順というのも、昨今では柔軟になってきていると聞く。

 「かつては、壇上の高砂席に新郎新婦と仲人が座り、地域の名士や新郎の上司が主賓として上席につくのが定番でした。その場合、両家の親や親族は招待する側として末席に座ることになります。

 現代では、新郎新婦の二人が名実共に主催者となっていることがほとんどですが、招待客は会社の上司や同僚、学校時代の恩師や友人など、社会的なつながりの深い人物であり、そちらを優先するため席順はほとんど変わりません。今も両親や親族は、主催者側の身内として末席に座るのが妥当です」(千氏)

 だれが主役かによりコミュニティも変わる。けれど、「ご縁を大事すること」は常に変わらないのだ。

【著者プロフィール】
千 宗屋(せん・そうおく)/茶人。千利休に始まる三千家のひとつ、武者小路千家家元後嗣。1975 年、京都市生まれ。2003 年、武者小路千家15 代次期家元として後嗣号「宗屋」を襲名し、同年大徳寺にて得度。2008 年、文化庁文化交流使として一年間ニューヨークに滞在。2013 年、京都府文化賞奨励賞受賞、2014 年から京都国際観光大使。2015 年、京都市芸術新人賞受賞。日本文化への深い知識と類い希な感性が国内外で評価される、茶の湯界の若手リーダー。今秋、「人づきあい」と「ふるまい方」を説いた書籍『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』を上梓。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授、明治学院大学非常勤講師(日本美術史)。一児の父。Instagram @sooku_sen

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