Infoseek 楽天

石破茂首相就任で初めて「主流派」に 大臣記者会見のオープン化を働きかけたフリーランス記者が見た「閉じられた首相会見」

NEWSポストセブン 2024年10月13日 7時15分

 権力を持つと人は変わる、とよく言われる。では、第102代内閣総理大臣となった石破茂氏はどうなるだろうか? かつて記者クラブ独占が当たり前だった大臣記者会見のオープン化を働きかけた記者の一人でもあるライターの小川裕夫氏が、石破氏と記者会見の関係の変化について振り返り、考察する。

 * * *
 10月1日に発足した石破茂新内閣は、特に目を引くようなサプライズ人事も見当たらず、報道各社の調査では発足直後の割に高くない支持率となっている。自民党を揺るがした裏金問題への対応も右往左往し、石破首相が総裁選中に「すぐに衆議院を解散はしない」といった”公約”を反故したことも支持率低迷の一因だろう。

 石破首相は、自民党の地方組織から強い支持を得てきた。その一方、国会議員からは不人気で、党内の支持基盤は弱い。そのため、今回の党役員と閣僚人事は明らかに党内を意識した内向きな印象を残すものになった。この変化は、石破首相が初めて「主流派」になったことと無関係ではない。

「非主流派」だった石破茂は自民党幹事長会見をオープン化した

 今回、自民党総裁の座を射止めるまで、石破首相は自民党内でも非主流派として歩んできた。2012年に安倍晋三氏が自民党総裁に返り咲いたとき、自民党ナンバー2ともいえる幹事長に就任して党の要職を得たにも関わらず、非主流派という位置は変わらなかった。

 選挙時の報道を思い起こしてもらうと分かりやすいが、主流派でない政治家はメディア露出が激減するので、どれだけ政策を唱えても認知されづらい。そうしたことを意識してか、非主流派だった石破氏は新聞・テレビだけではなく、ネットや雑誌など媒体を問わず多くの取材を受けてきた。また、本来は自民党本部の記者クラブである「平河クラブ」加盟社のみ出席できる幹事長会見をオープン化した。

 長らく内閣総理大臣や官房長官、各大臣の定例記者会見は、内閣記者会や財政研究会、総務省記者クラブといった各記者クラブに加盟する報道機関が取り仕切り、そのクラブに所属する記者しか参加できないものだった。そうした記者クラブが記者会見を取り仕切る状態は、旧民主党が政権交代を果たす2009年まで続いていた。すでに新聞やテレビだけが報道機関の時代ではなく、新聞社・通信社・テレビ局だけで組織される記者クラブが会見を独占する状態は、時代遅れではないかという批判されていたが、現実は変わりそうになかった。

 当時、フリーランスの記者だった筆者は多くのフリーランスと連携・協力し、各省庁の大臣会見を雑誌・ネット・フリーランスにも開放するように各記者クラブや省庁の大臣会見の担当窓口に、いわゆる記者会見のオープン化と言われる提案をしてまわったが、一筋縄ではいかなかった。

 通常、各省庁内の会見室で実施される大臣の定例会見は、会場こそ省庁の管理下にあるが、主催権は各省庁の記者クラブが有している。つまり、大臣は自発的に会見を開催しているのではなく、記者クラブに大臣が呼ばれているという体裁になっている。そのため、筆者が各省庁の担当職員にオープン化を打診しても「私たちには主催権がありませんので……」で話し合いは終了してしまう。一方、記者クラブ側にオープン化を呼びかけても「庁舎の管理権は私たちにはありませんので……」という理由で話し合いにならない。

 そんな堂々巡りの状態は、民主党政権で金融担当大臣に就任した亀井静香氏が打破してしまう。亀井大臣は記者クラブが雑誌・ネット・フリーランスの参加を拒否していることを理由に、記者クラブ主催の会見後に大臣主催の記者クラブに加盟していない記者向けの第2会見を実施。大臣という多忙な身でありながら、会見を2つもこなしていた。以後、原口一博総務大臣(当時)や岡田克也外務大臣(当時)といった大臣会見がオープン化された。そして、首相会見にも雑誌・ネット・フリーランスであっても記者として参加できるようになった。

 首相会見はオープン化されたが、すべての記者が無条件で参加を許されているわけではない。首相会見に参加するには官邸報道室が課した条件を満たしているか、審査を受ける必要がある。審査の結果、的確とみなされた記者は参加資格を得られ、そのうえで、会見が拓かれるごとに参加の申し込みをしなければならない。

 この会見参加資格の継続にも条件がある。直近3か月に毎月1回は新聞協会・雑誌協会・インターネット報道協会などに記事を寄稿しているか、民放連加盟社の番組に出演していなければならない。

 とはいえ、民主党政権になったことで固く閉ざされた首相会見に内閣記者会の記者以外が参加できるようになった。

 このとき野党に転落した自民党も、記者会見について大きな決断をしている。存在感が縮小し、自民党に関する報道が少なくなった状態に危機感を覚えたのだろう、谷垣禎一総裁(当時)の会見がオープン化された。そして、2012年に自民党が政権復帰しても基本姿勢は変わらず、石破茂幹事長の会見は引き続き雑誌・ネット・フリーランス記者も参加できる状態になっていた。しかし、オープン化されていた幹事長会見はしだいに平河クラブ限定の状態に戻っていく。

 

 こういった動きは、政府の会見にも及んだ。民主党政権時代、首相会見に参加できる資格を得たフリーランスは約15名。しかし、2012年に自民党が政権復帰してから2024年10月1日時点で新たに参加資格を得たフリーランスは1名だけしかいない自民党政権に戻ったことで、明らかに記者クラブのオープン化は停滞し、部分的には後退もしている。

石破首相の新任会見は「閉じていた」

 手のひら返しは、自民党に限った話ではない。非権力側から権力側へと転じた政治家たちは、態度を一変させがちだ。ほかの政党でも実際に起きている。

 石破首相も自民党内で非主流派だった頃は記者会見を積極的にオープン化して雑誌・ネット・フリーランスの記者が多く参加していた。しかし、総裁選後に実施された新任会見は平河クラブの限定になり、内閣が発足した直後の新任会見も内閣記者会以外は人数制限が厳しく、どちらも閉じているという印象しか感じないものになっていた。

 官邸で実施される記者会見が、「閉じたもの」になったのは石破首相になってから起きたことではない。先述したように2012年に自民党が政権復帰してから兆候が現れていた。2012年から2020年まで続いた安倍政権下ではフリーランスに質問させないように会見で指名しないという姑息な手段も用いられた。

 そして2020年に新型コロナウイルスが感染拡大すると、その対策として、いわゆるソーシャルディスタンスを取る必要があったために人数制限の措置がとられた。これを機に首相会見に参加できる記者は約半分に減らされ、フリーランスは一回の会見に2~3名しか参加できない状態になった。それが現在も続いている。

 官邸報道室によれば、「参加者が多数の場合は、公平を期してあみだくじで参加者を抽選している」という。すでに前任の岸田文雄首相のときからコロナ禍は収束している。以前の状態に戻せば、あみだくじで記者を選別する必要はないはずだが、記者会見をコロナ禍以前の状態に戻そうという気配はない。

 筆者は10月1日の新任会見に参加したが、相変わらず参加できる記者の数は制限されていた。新政権が発足してから、まだ1か月も経っていないので見限るには早すぎるかもしれない。そのうち、こうした状況が改善されていくかもしれないという淡い期待はあるものの、筆者は10月9日に開かれた首相会見にも再び出席できたので、石破首相の記者会見に対するスタンスに変化が見られるのかを窺ったが、特に変わった様子は見られなかった。手のひら返しが多い石破首相だけに、今後も期待はできない。

 記者会見に参加できる記者の人数を絞ることは、2009年から進めてきた記者会見オープン化の流れとは逆行する。記者会見に参加できる人数を制限することからは、情報を自分たちの手で管理して、記者や国民をコントロールするという意図が透けて見える。

 そうした情報をコントロールすることで、政治を、報道機関を、そして国民を統制下に置きたい――これらは昔ながらの自民党体質と言わざるを得ない。裏金や統一教会の問題に切り込めない石破首相は、こうした古くから続く自民党体質を変えられるだろうか?

この記事の関連ニュース