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【拉致問題解決への祈りは続く】さかもと未明さんが振り返る「横田夫妻との交流」と「バチカン枢機卿からの言葉」

NEWSポストセブン 2024年10月14日 16時15分

 13歳のときに北朝鮮に拉致された横田めぐみさんも、10月5日に60歳の還暦を迎えた。一方でめぐみさんの父・横田滋さんが2020年に亡くなるなど拉致被害者家族の高齢化も進んでおり、親世代の存命中の帰国実現を望む声は根強い。拉致問題解決を願っているのは、日本人だけではない。キリスト教カトリックの総本山であるバチカンのフランチェスコ・モンテリーズィ枢機卿も、解決に向けて祈りを続けている。長きにわたって拉致問題解決に向けた活動取り組むアーティストのさかもと未明さんが、横田滋さん・早紀江さん夫妻との交流を振り返りつつ、今年3月に実現したモンテリーズィ枢機卿へのインタビューの内容をレポートする。

結婚式で「親代わり」を引き受けてくれた横田夫妻

「お父さんとお母さんは、めぐみが元気でいると信じています。でもめぐみとは随分年の差がありますから、短い期間でも急に亡くなるということはあり得る。ただ、めぐみのために頑張ったということだけは理解してほしいと思います。早く救出できなかったことをお詫びする……と言うのは親子で変なんですけれど、それはとても残念に思っています」

 2014年、私と主人が住む家に横田滋・早紀江夫妻が来て、めぐみさんに残す「遺言」としての動画撮影に協力してくれた。上記はその時の滋さんのコメントだ。勿論、「遺言にならないでほしい」と思って撮影した。しかし6年後の2020年、滋さんは遂に、娘のめぐみさんに再会かなわないまま鬼籍に入られた。

 2001年に私は拉致問題の取材のために街宣活動に加わり、横田夫妻と知り合った。2002年の小泉訪朝の前から携わったため、横田夫妻だけでなく、飯塚繁雄さんや増本照明さんら、他の拉致被害者家族も心を開いてくださった。

 横田夫妻と縁が深まったのは私が難病に罹患し、2008年ごろから体が不自由になったためだ。体力が衰えて「救う会」などの会合に参加が叶わなくなり、漫画家なのに「手が動かなくなる」と医師に予告されて歌を始めると、夫妻でコンサートの応援に来てくれた。

 病気が悪化し歩くことも仕事もできなくなったとき、私が親と疎遠で相談できずに困っていると知った横田夫妻は、「自分の娘が異国で不自由しているのではと思うので、似たような年齢で病気の未明さんを放っておけない」と、実の親のように親切にして下さった。

 全ての仕事を失い余命宣告を受けていた私はどれだけ救われたことか。その後、私は、病気の私を救いたいと求婚してくれた男性と結婚。2013年6月に挙式した時、横田夫妻は「親代わり」を引き受けてくださり、結婚式を支えてくれた。

 私はその恩返しがしたくて、拉致問題の解決を祈るオリジナル曲『青い伝説』と『はな』の歌詞を書き、ピアニストの遠藤征志氏に作曲を依頼した。拉致問題について英語で発信するホームページを作り、歌詞を5か国語に翻訳。世界に問題解決を訴える方法を考え続けた。残された時間で、何か夫妻の役に立ちたかったのだ。

バチカンで拉致被害者の帰国を祈り歌った『青い伝説』

 ちょうど結婚式の頃、横田夫妻は全国行脚の活動に疲労の色を見せていた。私は「YouTube動画を作って発信しませんか?」と提案した。そして2014年に冒頭の言葉を含む動画を撮影したのだ。

 死の可能性を宣告されていた2015年を乗り越え、手が少し動くようになった私は、横田夫妻の肖像を版画にして2017年に銀座の吉井画廊で発表した。しかし、その時訪ねてくれた横田滋さんが、驚くほどに弱っておられた。

「一刻も早く世界に拉致問題解決を訴え、解決しなければ間に合わない」──そう焦っていたところ、バチカンと日本をつなぐ震災復興コンサートのプロデューサーでテノール歌手の榛葉昌寛氏に出会い、「バチカンの大聖堂でのコンサートでオリジナル曲を歌い、世界にメッセージを発信しませんか?」と提案を受けた。

 まさかそんなことができるのかと思ったが、榛葉氏はすぐに、バチカンのモンテリーズィ枢機卿に引き合わせてくれた。また、現首相の石破茂氏がプロテスタントで枢機卿と知り合いだったこともあり、紹介状をくださった。そして、通常なら政治的な内容は発信しないバチカンの大聖堂において、「人道的な見地から、北朝鮮の拉致問題解決を提起し、歌うこと」を許可された。オーケストラ編曲は三枝成彰氏、2018年のことだ。

 この試みに共感してくれた地上波のテレビ局でドキュメンタリー制作も決まった。横田滋さんも飯塚繁雄さんも、撮影に協力してくれた。滋さんは身体が弱っていたが、その姿を晒しても娘を取り返したい一心だったと思う。

 そして 2018年3月、バチカンの聖マリア・マッジョーレ大聖堂で、私は拉致被害者の帰国を祈り、めぐみさんの絵を傍に『青い伝説』を歌唱。動画で撮影した。「これが世に出たら死んでも悔いはない」と思った。

 しかし──。あろうことか私のイタリア滞在中に滋さんが倒れてしまった。その報せを受けたのは、帰国後、羽田空港から自宅に向かう車中。テレビ局のプロデューサーから「滋さんが重体です。そして『弱った滋さんの姿は見せたくない』という早紀江さんの意向で、放送は中止になりました」と伝えられた。

 中止に驚いたのは勿論だが、何より滋さんが心配で、私は早紀江さんに電話をした。お見舞いしたいと頼んだが、「安倍(晋三)首相や日銀の方のお見舞いもお断りしているの。一人来ていただくと、お見舞いが止まらなくなって、お父さんが死んでしまう。そのくらい危険なの」と声を詰まらせた。

 私の人生であんなに辛かったことはない。そして2020年、滋さんは還らぬ人となった。

実現したモンテリーズィ枢機卿との対話

 それから数年、『青い伝説』も『はな』も、私は歌うことができなかった。喜んでいただけると皆で撮影したドキュメンタリーが、結果的に早紀江さんを悲しませたことも申し訳なかったし、プロテスタントである早紀江さんの周りで、カトリックを敬遠する方々がいたことも知ったからだ。政治だけでなく、様々な人々の感情も含めて障害となり、拉致問題解決はかくも難しいと知って、私はとことん打ちのめされた。

 けれど2021年頃から、「バチカンで歌った曲を聴きたい」と、あちこちで言われるようになった。私の小さな活動が、少しでも響いてきたのだろうか? 榛葉昌寛さんも、「『はな』も三枝先生がオーケストラ編曲してくれたのに、歌っていません。2024年に、再度バチカンの聖堂で歌いませんか?」と言ってくれた。前の演奏はメディアを通じて広めることすらできなかったのに、誰も文句を言わないでくれたうえ、モンテリ―ズィ枢機卿が今も応援くださるのだという。

「歌わせてください」。私は答え、頼んだ。「その時枢機卿に、拉致問題についてのインタビューをお願いしたいです」

 枢機卿はすぐに了解の返事を下さった。ただし、バチカンの広報の様々なルールにより、演奏日当日のインタビュー撮影は、夜に屋外で行うこととなった。まだ3月上旬のローマの夜は寒い。けれど89歳が目前のモンテリーズィ枢機卿は、快く応じてくださった。

「前回、ドキュメンタリーの発表ができなくて申し訳ありませんでした」。そう謝罪した私に、枢機卿は答えた。

「謝らないでください。被害者と家族の方々のために悲しく思い、祈り続けています。横田夫人の気持ちも理解できます。彼女は色んな苦しみの中にいますから」と言い、「北朝鮮の拉致問題は本当に悲しいことです。ミスター横田が亡くなったことには言葉がありません」と繰り返した。

「今日また、歌わせていただきます。でも、2018年に自分の非力さを痛感しました。今回も何も役に立てないかもしれませんが……」

 逡巡する私を、枢機卿は励ましてくださる。

「まず自分を心地よい状態にしてください。そして、誰に対してもよい関係でいられるようにしてください。うまくやれる可能性がないとしても、親、親戚、友達、誰に対しても、友情をもって接する努力をすべきです」

 確信をもって迷わずにおっしゃる枢機卿の姿に心を打たれる。私は聖書についての勉強を続けていたが、聖書が説く「愛」とは、実に難しいことだと考えてきた。しかし、枢機卿は迷わずに、「友情をもって接する」ことが大切だという。

「いつか神が天で引き合わせてくれます」

 私は言った。

「バチカンで歌うまで、一部のプロテスタントとカトリック教会に深い確執があることも知りませんでした。自分が辛い経験をしたからこそ、あらゆる宗派が手を結んでほしいと真剣に望みます。ただ、難しいと感じます」

 言葉で「愛」を語るのは甘美だが、その実践は難しい。拉致問題が解決されるべきは勿論だが、戦争の終結が難しいように、対話の困難さがその解決を不可能にしている。

 私の瞳が迷いで曇るのを見て取ったのか、枢機卿は続けた。「この大聖堂に祀られる聖パウロも、様々に分かれたキリスト教の宗派が一つになるべきだと説きました。私たちは、何よりも互いに対し誠実であり、親切であることが大切なのです。過去に私たちは分かれて対立していましたが、今世界は少しずつ融和に近づいています。私たちは互いが兄弟のようにつながる世界を実現しなくては」

 枢機卿に私は再び聞いた。

「横田滋さんや、ほかのたくさんの方々が、(子供を取り戻したいという)道半ばで、亡くなりました。でもその魂は安らかであってほしいし、いつか天国で出会えますよね?」

 枢機卿は、はっきりとした口調で言った。

「ミスター横田は今生では娘さんとの再会はかないませんでした。でもいつか神が天で引き合わせてくれます。この地上で私たちが心を一つにすることは今は不可能でも、天の世界では可能なのです」

 深い言葉だ。斜に構えれば、「平和は現実には不可能だ」とも聞こえる。でも諦めたら、かりそめの平和や停戦、国交回復や拉致問題解決も永遠に解決しない。先日、総裁選前の石破氏に会った時、拉致問題について「表座敷で対話すること、また日本独自で取り組むことが大切です」と言ってくれた。新政権での解決を強く願う。

 絶対不滅なものもまた地上にはない。だから解決だってありうる。そう私は信じて歌い、書き、描き続けよう。横田滋さんの娘を思う気持ちは今も響いている。さざ波はいつか大きなうねりとなる。一人の父親の人生は、いつか歴史を変える大きな波にさえ成り得るだろう。

【PROFILE】
さかもと未明(さかもと・みめい)/1965年、横浜生まれ。1989年に漫画家デビューし、多方面で活躍するも2006年に膠原病を発症し、その後、活動を休止。一時期は余命宣告も受けた。手が動かない時期に歌手活動を開始。2017年には吉井画廊で画家デビュー。北朝鮮による拉致被害者の救済活動にも積極的に取り組んでおり、2018年にはバチカンの聖マリア・マッジョーレ大聖堂で拉致被害者の帰国を祈り『青い伝説』を、2024年はに聖パオロ大聖堂で『はな』を歌唱している。

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