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誰からも愛された西田敏行さん 大御所然としたところはなく誰に対しても物腰柔らか「ご近所さんから講演を頼まれてもふたつ返事でOK」 

NEWSポストセブン 2024年10月21日 7時15分

 俳優の西田敏行さんが10月17日、天国へと旅立った。76才だった。「スーさん」「猪八戒」「玄太」あるいは「局長」──いまから54年前に初舞台を踏んだその日から、多くの人の心にそれぞれの「西田敏行さん」のイメージが刻まれてきた。そんな西田さんの功績は、芸能史に燦然と輝くものだ。 

 福島県出身の西田さんは1963年、中学卒業後に上京。その後、日本演技アカデミー夜間部に入学して本格的に演技の道を志すと、早くも1967年に『渥美清の泣いてたまるか』(TBS系)でドラマデビューした。 

 1978年の『西遊記』(日本テレビ系)の猪八戒が当たり役になり、一躍人気俳優に。特にNHK大河ドラマにはこれまで12作に出演し、『翔ぶが如く』(1990年)、『八代将軍吉宗』(1995年)など3作で主演を務めた。 

 1988年には映画『釣りバカ日誌』の第1作が公開。三國連太郎さん(享年90)とのタッグは特別編を入れると22作も制作される国民的シリーズになった。その間、歌手としても活動し、『もしもピアノが弾けたなら』が大ヒットしNHK紅白歌合戦に出場したこともある。 

「西田さんは現場の雰囲気をとにかく大事にしたい人。ピリピリとした空気を嫌い、緊張している共演者には積極的に話しかけていました。 

 面倒見のよさは役者相手にとどまらず、長らく局長(MC)を務めた『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)では、共演する芸人たちを収録後によく飲みに連れて行っていました。芸人たちは最初、“あんな大物の俳優さんが局長になるなんて”とかなり緊張していましたが、そんなものはすぐに吹き飛んだ。MCを降板してからも、芸人たちは親しみを込めて西田さんのことを『局長』と呼び続けていました」(テレビ局関係者) 

 それでいて、大御所然としたところはなく、柔らかい物腰は誰に対しても変わらなかった。西田さんの自宅の近隣住民が明かす。 

「うちの娘と西田さんのお嬢さんが同じ小学校だったよしみで、小学校での講演をお願いしたことがあったんです。いま思えば事務所を通さないといけなかったのでしょうが、当時、映画『植村直己物語』(1986年公開)の撮影が終わったばかりで、真っ黒に日焼けしていた西田さんは、ふたつ返事でOKしてくれて。芸能人のかたって、気難しそうっていう先入観があったんですが、西田さんは微塵もそんなことはありませんでした」 

 何事にも真摯な姿勢は、演技にも向けられた。西田さんの伝家の宝刀は、突然見せる「アドリブ」だった。 

「時には共演者を混乱させるほどのアドリブを披露しました。ただ、西田さんのアドリブは決して思い付きでやっているわけではなく、計算し尽くされたもの。それを共演者たちはわかっていたから、どんなに大変な思いをしても西田さんのアドリブに食らいついていったんです」(映画関係者) 

 そのひたむきさが、西田さんをコメディーからシリアスまで幅広く演じられる、唯一無二の名優にしたのだ。 

※女性セブン2024年11月7日号 

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