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【逆説の日本史】「天皇信仰」がもたらした「野蛮にして極悪」なソビエトに対する強い反感

NEWSポストセブン 2024年10月24日 11時15分

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十四話「大日本帝国の確立IX」、「シベリア出兵と米騒動 その10」をお届けする(第1433回)。

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 日本人はロシア革命についてどんな感想を持ったか? この問いに正確に答えるには、当時の日本人の気持ちを知ることがもっとも重要であることは、言うまでも無い。しかし言うまでも無いことなのだが、これまでの歴史教育ではそれが無視されていたことは、この『逆説の日本史』シリーズの愛読者はよくご存じだろう。

 気持ち、つまり心情というのはその人種や民族の宗教に由来することがきわめて多い。つまり、そうした宗教を正確に把握しなければ当時の人々の気持ちなどわかるはずも無いのに、日本の歴史学者の多くは相変わらず宗教を無視することが科学的合理的な態度だと思っているからどうしようもない。だから、彼らによって築き上げられてしまった「日本人は無宗教」などという大誤解をいまだに信じている人々が大勢いるというわけだ。

 では、このロシア革命成立直後の時点で日本人の宗教はなんだったかと言えば、ひと口に言えば天皇信仰だろう。明治維新で四民平等(士農工商の撤廃)という「大革命」が成立したのも、この宗教がなければ不可能だった。しかし、日本は「怨霊のパワー」がしばしば「天皇の霊威」を上回る国であり、だから日露戦争の勝利の成果(=満洲利権の獲得)は、そのために犠牲となった「十万の英霊」の死を無駄にしないためにも絶対に守らなければいけないということだ。

 もちろん、日本人は根強い言霊信仰のために縁起の悪いことは口にしないし書かない(=史料に残らない)からわかりにくいが、要するに「十万の英霊」の死を無駄にするようなことをすれば英霊が怨霊になってしまい、その凄まじい負のパワーで天皇の霊威で守られている大日本帝国すら滅ぼしてしまうかもしれない。だからこそ中国や英米との協調を唱える人間は、(英霊の死を無駄にする存在だから)政治家であれ軍人であれジャーナリストであれ「極悪人」にされてしまったのである。

 ロシア共産党は、ニコライ2世一家を皆殺しにした。それは前回述べたとおり、ロシア共産党側から見れば革命を完全なものにするためにやむを得ない仕儀であった。しかしそれは、天皇を信仰する日本人から見れば極悪人の所業である。

 たしかにニコライ2世は名君では無かった。グリゴリー・ラスプーチンという「怪僧」を側近として重用したし、そのラスプーチンですら反対した第一次大戦へ参戦し、多くのロシア兵を死に追いやった。しかし一方で、ロシア皇帝(ツァーリ)とはロシア正教と固く結びついた長い伝統を持つ聖なる存在だ。そんな存在をロシア共産党は一家皆殺しにしたのである。

 ここで、ちょっと袁世凱のことを思い出していただきたい。なぜロシア革命の分析中に袁世凱の話が出てくるのかと思われるかもしれないが、それが当時の人々の気持ちになって考える、ということである。歴史学者の場合はロシア史が専門の人間と中国史が専門の人間は違うので認識が難しいが、当時の一般の日本人にとってみれば袁世凱もニコライ2世も同じ地球という空間に同時に生きていた人間だ。その袁世凱を日本人はどう思っていたか?

 あえて繰り返すまでも無いだろう、中国が向かおうとしていた近代化路線を妨害した極悪人で、日本人にとっては不倶戴天の敵である。中国の民主体制を確立しようとした宋教仁を暗殺し、自ら皇帝になろうとした野蛮人でもある。しかしここが肝心だが、その「極悪人にして野蛮人」の袁世凱ですら「清皇帝一家皆殺し」はやっていないのである。

 もちろん、それは袁世凱がとくに寛大だったわけでは無く、さまざまな理由があったことはすでに述べたとおりだ。しかし、どんな事情があったにせよ袁世凱は「清皇帝一家皆殺し」をやっていないのに、ロシア共産党は皇帝一家を幼子に至るまで皆殺しにした。しかも正式な裁判もせずに、だ。国王夫妻をギロチンにかけたフランス革命ですら形式的な裁判はあったのに、である。

 おわかりだろう。当時の日本人がロシア革命、いやその革命を実行したロシア共産党をどう思ったか? あの袁世凱ですらやらないことをやった、「野蛮にして極悪な組織」ということである。前回述べたように、革命軍はその旗印が赤色であったことに基づき「赤軍」と呼ばれたのだが、そこから日本では共産主義者に対する蔑称として「アカ」という言葉が生まれた。「アカは極悪人」「アカは撲滅すべき」という思いが、日本人の共通信条となってしまった。

 日本人にも共産主義に共鳴した人間はいた。当時の世界は欧米列強によるアジア・アフリカに対する植民地化が進んでおり、それは自由や平等という人類の普遍的価値を犯すものであった。ではなぜそうなったかと言えば、資本主義が発展すると侵略を肯定する帝国主義になってしまうからだ。

 もともと経済学者であったカール・マルクスは、資本主義を捨てて新しい経済体制すなわち共産主義体制を構築しない限り、こうした「悪」は根絶できないと考えた。マルクスは理論を述べたにすぎないが、それを実践し実際にそうした国家を建国したのが革命家ウラジーミル・レーニンである。彼が建国したソビエト連邦は、最終的には自由を弾圧し周辺の国をまさに「帝国主義的」に侵略する、とんでもない国家になってしまいわずか六十九年で滅亡したが、そんな未来を当時予測した者は一人もいない。

「ソビエトの悪」を初めて大々的に告発した風刺小説『アニマル・ファーム』がイギリス人作家ジョージ・オーウェルによって書かれたのは一九四五年、つまり第二次世界大戦が終了した年の話である。一九一七年当時のヨーロッパやアメリカでは、とくに現状を変えなければいけないと考える正義感の強い若者にとってレーニンは憧れの的であり、ソビエトは理想の国家だったのだ。

 もちろん欧米列強でも社会の主流は保守的な大人であり、そうした人々はブルジョアジーつまり資本家を敵視する共産主義に強い反感を持ち、ソビエト連邦もなんとか潰そうとした。しかし、いま述べたような状況があり、必ずしも欧米列強は一致団結してソビエト潰しに走ったわけでは無い。それに「味方」する人々も少なからずいたからだ。

 しかし、日本の場合はまったく事情が違ったこともおわかりだろう。日本はもともと帝国主義に餌食にされる側のアジアの一員でありながら、西洋近代化を奇跡的に成功させ最終的には「帝国主義国家群に参入」できた。そのことで国民も豊かな暮らしができるようになった。それは天皇という存在があってこそだ。

 大日本帝国憲法がそう定めたから天皇は国家の「核」となったのでは無い。憲法は幕末から明治にかけて成立していた「天皇教」を追認したに過ぎない。ということは、いかに共産主義者が帝国主義の悪を説き、それを変革するには共産主義しかないと主張しても、日本ではロシア共産党は「皇帝一家を裁判無しに皆殺しする」ような野蛮な組織ではないか、そんな連中の言葉に耳を貸す必要は無い、ということになってしまう。

 別の角度から言えば、日本と他の「帝国主義グループの欧米列強」との間には、史上初の共産主義国家ソビエト連邦への反感について、かなり温度差があったということだ。日本は他の列強と違ってソビエトに対する反感がきわめて強かったということである。

「よくぞ阿部を殺した」

 さて、一九一七年当時の日本人の気持ちになって考えるには、このソビエトに対する天皇信仰がもたらす強い反感のほかに、もうひとつ押さえておかねばならない心情がある。それには、英米や中国との協調路線を志向した山本権兵衛内閣下で起こった、外務省の阿部守太郎政務局長の暗殺事件を思い出していただきたい。

 これは一九一三年(大正2)の出来事だから、それほど昔の事件では無い。阿部局長は、当時の袁世凱政権とのトラブルを平和的に外交的手段で解決しようとしていた。それが「軟弱外交」ということで右翼青年に惨殺されたのだが、そうした青年たちに強い影響を与えていたと考えられる当時の新聞、とくに『東京日日新聞』のコラム「近事片々」の内容を覚えておられるだろうか。

『逆説の日本史 第二十八巻 大正混迷編』に詳しく引用したが、簡単に言えば当時袁世凱政権下の中国で日本人が虐殺された事件(南京事件)を平和的に解決するなどもってのほかで、この際日本軍を派遣して武力で問題を解決すべきだというもので、そのなかの一行に「善後の處置は獨逸の膠州灣占領に倣う可き耳と戸水博士の論亦傾に値ひす」とある。

 第二十八巻で詳しく述べたところだが念のために繰り返すと、要するに日本の強硬派は、かつて清国の時代にドイツ人宣教師が虐殺されたことを口実に出兵したドイツ軍が膠州湾を占領し植民地にしてしまったように、中華民国に対して南京事件の解決を求める形で出兵すればいいではないか、ということである。

 良心的な政治家犬養毅は、「火事場泥棒の真似をするな」と、こうした風潮を厳しく批判した。しかしそれはあくまで少数意見であって、日本人の多くは「よくぞ阿部を殺した」と思っていたのである。だからこそ、そうした傾向に歯止めをかけようとした犬養毅も、結局五・一五事件で暗殺されることになってしまうのだが、ここで問題なのは「戸水博士」という言葉になんの注記も説明も無い、ということだ。

 もちろんこれは戸水寛人のことなのだが、新聞がこういう書き方をするということは現在もそうだが「この人のことは誰もが知っているゆえに説明不要」だからなのである。われわれはいままったく忘れているが、それが当時の人々の常識なのだ。ならば、その常識をもう一度確認しておく必要がある。彼は何者か? 何を主張したのか? 思い出していただきたい。人名事典から「経歴」の一部を引用する。

〈国家主義者で、36年小野塚喜平次らと政府の対露軟弱外交を非難、「七博士」の一人として意見書提出、またロシアのバイカル以東割譲を主張、“バイカル博士”といわれた。日露講和条約締結では5博士と連署、批准拒絶を請願、休職処分となった。〉
(『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ刊)

 日露戦争当時に、日本の国力でバイカル以東のロシアの領土を奪ってしまえなどというのは完全な夢物語であり、帝国主義に参入した桂太郎首相ですら苦笑したほどのものである。しかしここで注目していただきたいのは、その夢物語の提唱者に「バイカル博士」という「あだ名」がついたということだ。

 もちろんそのように呼ばれたのは「ほら吹き男爵」のように揶揄する姿勢があったことも間違い無いが、マスコミのなかで通用する「あだ名」がついたということは、彼が有名人になったということなのである。イギリスで「切り裂きジャック」と呼ばれた男は最後まで正体は不明だったが、彼がどんな男でなにをしたかは子供でも知っていた。同じように、当時の日本では「バイカル博士」と言えば戸水寛人という本名は知らなくても、「ロシアからバイカル湖以東の領土を奪ってしまえという夢物語を桂首相に実行するよう迫ったトンデモ学者」という広い認識はあった、ということだ。

 では、ここであえて問おう。彼の主張はなぜ夢物語で実行不可能なのか? それにもかかわらず、そうせよと彼はなぜ主張するのか?

 後者の問いから答えれば、そうすることで日本は絶対に安全になるからだ。領土をバイカル湖以東のロシア領までに広げてしまえば、日本本土だけで無く日本が南満洲に獲得した利権も安泰である。すなわち、「十万の英霊」は安らかに眠ることができる。だから日本にとっては絶対にやるべきこと、なのである。

 では、それなのになぜ「実行不可能」なのかと言えば、ロシア帝国は国土面積で日本の約四十五倍もあり、財政規模でも日露戦争当時日本の約十倍もあった。日本が日露戦争に勝ったことによってこの差は多少縮まったとは言え、依然としてロシア帝国は大国であり日本が手を出せるような国では無かった。

 しかし、その状況はロシア革命によってまったく変わった。たしかに赤軍によって「バイカル湖以西」にはソビエト連邦という国家が建国された。しかし、その体制を認めない白軍という勢力が、とくに「バイカル湖以東」において赤軍と抗争を始めた。こうした場合の常だが、反乱軍はしばしば外国勢力の援軍を求める。欧米列強よりもロシアに近いのが、隣国の日本である。

 おわかりだろう。「夢物語が実現するチャンスが来た」と、多くの日本人は考えたのである。

(第1434回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2024年11月1日号

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