【書評】『地震と虐殺 1923-2024』/安田浩一・著/中央公論新社/3960円
【評者】与那原恵(ノンフィクション作家)
一九二三年に発生した関東大震災。甚大な被害をもたらしたが、直後から流布したデマが引き金となり「虐殺」が多発した。路上が〈朝鮮人の、中国人の、障がい者の、そして社会に“不要”だと思われた人々の血の色で〉染まった。犯行集団の実像は〈市井の人々〉でもあったことに慄然とする。
証拠隠滅が図られたこともあり、正確な犠牲者数をつかむのは困難だが、政府の中央防災会議の報告書(二〇〇九年)は大震災全体の死者十万人超の「1~数%にあたる」と記述し、数千人に及んだとされる。しかし昨年の国会において政府は、記録はなく、さらなる調査も考えていないと答弁。一世紀前と同様の姿勢だった。
著者は〈地震の大揺れはひとつのきっかけに過ぎず、殺意を発動させたのは、まさに差別と偏見なのだ〉と指摘する。この事実を今日の教訓とするためにも東京をはじめ関東各地、福島、新潟、香川、大阪、さらに韓国も丹念に歩き、人に会い、当時の証言資料や絵図などを発掘していく。虐殺の現場は住宅地や商業地に変貌したが、かつて目撃者に聞き取り調査をしていた人々の尽力もあり〈記憶は消えても記録は残る〉。
大震災翌日、内務省が海軍の通信施設を通して各地方長官(知事)あてにデマを打電していた。急造された自警団が虐殺を扇動した事例、軍や在郷軍人らの関与もあった。当時は徴兵令により兵役(十七歳から四十歳の男子)が課されたが、実戦の有無を問わず個々の軍隊体験が地域共同体を暴力的に変質させていたのかもしれない。
大震災以前の三十年をたどると日清・日露戦争を経て大韓帝国を併合。第一次世界大戦で一時衰退した欧州に代わり工業国へと転換し、労働力を朝鮮人らも担った。だが大戦終結後、大不況に陥り貧富の格差が拡大。不満が高まる中、要人テロが相次ぎ、日本統治への朝鮮人の抵抗運動も起きていた。
危機に瀕した日本社会が弱い立場の人々に向けた凄惨な暴力。それを過去のことにはしない、著者の憤りと決意が本書を貫く。
※週刊ポスト2024年11月1日号