いまや世界中に知れ渡っている日本人のきれい好き。このルーツはどこから来ているのだろうか。千利休を祖とする茶の湯の家に生まれ育った茶人の千 宗屋(せんそうおく)氏は、禅宗や能楽、茶の湯にもその精神が宿っているという。今秋、人づきあいとふるまい方を説いた『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』を上梓した千氏が語る短期連載。「心の内よりきれい好き」という思考について伺ってみた。【全6回の第5回。第1回から読む】
掃除で心を整える。心の掃除はごまかせない
感じのいい人とは、他人への接し方だけで判断されるものではない。いつも身だしなみをきちんとしている人、常に整理整頓をしている人は、周囲の人にもよい印象、よい影響を与えるものだ、と千氏は言う。
「住居や職場など自分を取り巻く環境は、ふだんの心持ちや考え方に対して大きな影響力を持っています。まずは、身のまわりを清浄に保つために、こまめな整理整頓と掃除を心がけましょう。清潔で整った環境に身を置くことで、精神的に落ち着き、考え方もポジティブになり、また健康面や体型など自己管理もできるようになります。そんな行動は、周囲の人にもプラスの影響を与えます。
清掃の大切さを物語るひとつとして、禅宗の教えにある『一掃除二信心』という言葉があります。読んで字のごとく『一番に掃除、次に信心』と説くものですが、決して信心を軽んじているわけではなく、掃除され清潔に整った環境があって初めて正しい信心も行えるという意味です。
戦国時代から安土桃山時代にかけて生きた茶人で、山上宗二(やまのうえのそうじ) という人がいます。千利休の弟子で、当時の茶道具や茶人としての心得について書き著した『山上宗二記』という本を残していますが、その中の、茶席の心構えをまとめたくだりに、「心の内よりきれい好き」という言葉が登場します。これは、心の中もすっきりときれいに整えておくという意味ですが、さらに深く読み取ると、茶席に招いた相手に対して、自分の利益になることを期待する下心ややましい気持ちを持ってはならないという戒めと受け取れます。
そうしたやましさは、必ずひとつの汚れとして相手にも伝わるもの。身のまわりを整え、さらに心の中に積もったちりをきれいに掃き清めることが、人と人との和やかな交わりにつながるに違いありません」(千氏)
片づけ上手、整理上手
暮らしの中でも、「きれい好き」を心がけたいものだ。片づける、掃除する、整理整頓する。家やオフィス、デスクまわりがいつも整えられていれば、探し物も見つかり、あわてることも少なくなり、余裕を持って暮らすことができる。
「私が修行先の比叡山延暦寺で習った教えに、『信は荘厳(しょうごん)より生ず』というものがあります。荘厳とは、仏様やお堂を清潔にし、お供え物をして美しく整え飾り立てること。そこには僧侶のたたずまいや衣の美しさ、清潔さ、さらに読経の声や所作の美しさも含まれます。それらがすべて美しく整い荘厳されることで、見ている人は難しい教えやお経はわからなくても、なんとなくありがたいという気持ちになり、自然と手を合わせたくなる。それが信心をすることの第一歩になる。ゆえに掃除や整理整頓、身だしなみは怠ってはならないというものです。
また茶の湯の平点前(ひらでまえ 基本の点前)では、湯だけ沸いた釜以外は何もない座敷に、一から道具を持ち出し、最も使いやすい位置に置き、茶を点て終えたら、最後にすべてを持ち帰って何も残しません。必要なものを使いやすい位置に置き、使い終えたらもとの場所に戻すという、片づけの基本が自然な流れの中で行われます」(千氏)
能に凝縮された引き算の美学
これは能楽の様式にも通じるという。
「何もない舞台に囃子方(はやしかた)や地謡(じうたい)が現れ、作り物が運び込まれ、そして能の役者が現れて物語を演じ、演じ終えたら巻き戻しのようにすべてが舞台裏へと消えていきます。こうして夢幻のひとこまを観客に見せているのです。これぞ日本に伝わる引き算の美学です。
必要最小限の物を、あるべきところに収め、必要な時だけ使いやすく置き並べ、使い終わったら、もとの場所に戻す。これだけをきちんと守れば、整理整頓はごく簡単なことではないでしょうか。
忙しさにまぎれて、常に行き届いた掃除ができないという場合は、自宅にお客様を招きましょう。来客に心からくつろいでもらうために、ふだんは手を抜いているような場所もくまなく美しく整えるための絶好の機会になります。掃除の際は、相手の立場に立って、初めて見るような気持ちで自宅を見直してみると、それまで目につかなかった汚れや乱れが発見できることでしょう。部屋の整理整頓や掃除と同時に、心の清浄も心がけたいものです」(千氏)
お茶を点てるには、まっさらな茶巾だけあればいい
「茶の湯に関連した古いお話をひとつご紹介しましょう。ある時、千利休に、面識のない地方のお金持ちが大金を送りつけ、『茶道具一式を見繕って送ってほしい』と言ってよこしたことがありました。そこで利休がどうしたかというと、その大金をすべて使ってまっさらな麻布を購入し、送り返したのだそうです。利休の真意は、『お茶を点てるのに必要な道具とは、まっさらで清潔な茶巾(ちゃきん 茶碗などを拭き清める麻布)だけあれば十分だ』というもの。ことほどさように、清潔であることは、折り目正しさ、美しさ、相手に対する心づかいなど、すべてに通じる要素なのです。
実際に茶席でも、茶巾と茶筅(ちゃせん お茶を点てる竹製の道具。いずれも消耗品)だけは新品をおろして使うようにと教えられています」(千氏)
ここに求められる清潔さ、すなわち「きれい好き」こそ、ふだんの身だしなみにも応用したいものだ。
(第6回に続く)
【プロフィール】
千 宗屋(せん・そうおく)/茶人。千利休に始まる三千家のひとつ、武者小路千家家元後嗣。1975 年、京都市生まれ。2003 年、武者小路千家15 代次期家元として後嗣号「宗屋」を襲名し、同年大徳寺にて得度。2008 年、文化庁文化交流使として一年間ニューヨークに滞在。2013 年、京都府文化賞奨励賞受賞、2014 年から京都国際観光大使。2015 年、京都市芸術新人賞受賞。日本文化への深い知識と類い希な感性が国内外で評価される、茶の湯界の若手リーダー。今秋、「人づきあい」と「ふるまい方」を説いた書籍『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』を上梓。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授、明治学院大学非常勤講師(日本美術史)。一児の父。
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