千利休を祖とする茶の湯の家に生まれ育った茶人の千 宗屋(せんそうおく)氏の短期連載。千氏は、「我よし」「自分ファースト」の昨今の風潮に警笛を鳴らし、相手を思い敬う「他人本位」の心を大切に受け継いできたのが日本人と説いてきた。しかし一方で、自分を押し殺しすぎて、自らが楽しめなくなってしまうことは本末転倒、同時に自分を大事にする「自分本位」の心も重要と語る。今秋、人づきあいとふるまい方を説いた『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』を上梓した千氏の連載最終回、「わが身に置きかえる」という思考について伺ってみた。【全6回の最終回。第1回から読む】
「わが身」に置きかえる
連載では、「相手の気持ちを慮る」こと。すなわち自分本位ではなく他人本位の視点に立つことの大切さを述べてきた。一見これとは正反対と受け取られるかもしれない内容について述べたい、と千氏は言う。
「『人をもてなすには、まず自分をもてなす』ということです。これにはふたつの意味があります。まずひとつめは、何よりも自分が楽しむことが肝要、自分の機嫌は自分で取るということです。相手をもてなすことが目的ではありますが、その前に自分が妥協することなく準備を整え、満足できていることが大切という意味で、結果的にそれは相手にも伝わるはずだということです。
もうひとつは、相手の満足だけを考えていると、時として抜け落ちてしまうことがままあるという意味です。相手はあくまでも他人であり、どこまでやれば満足してもらえるかはわかりません。
その点、自分が満足できたかどうかは明白です。できる限り妥協せず、ごまかさず、充分に満足できるところまで心配りができれば、それはまず自身の楽しさを生むことでしょう。そして、自分の満足感は素直に伝わり、相手を喜ばすことにつながるのです。反対に、手を抜いたことや配慮に欠いた行為は、どこかで後悔を招くでしょう。人はごまかせても自分の心は決してごまかせないので、それもまた相手に伝わってしまうものです。
相手を思いやる基本は、相手の視点に立ち、どのように喜んでもらえるかを推し量るところから始まりますが、味覚の好みや五感までを正確に知ることは不可能です。とすれば、自分が納得できるところまで、できる限り尽くす。この誠実さこそが、必ず相手との信頼関係を築いてくれるのです」(千氏)
自分が満足できるものでしか、人はもてなせない
「私がお弟子さんによく話すのは、日頃から自分で点てたお茶を飲むことの大切さです。ふだんから自分のためにお茶を点てている人は、おいしい湯の沸き加減、お茶の量などがちゃんとわかっている。だからいつでも人にもおいしいお茶が点てられるのです。
反対に、稽古場でしか点てない人は、人に差しあげるばかりなので、自分の点てたお茶がおいしいのかどうかわからない。自らがおいしいと思えないお茶では、人をもてなすことはできないのです。この、おいしいお茶で人を喜ばすことは、作法を正確に覚えることよりもずっと大切なことなのです。
『わが身に置きかえる』とは、まず自らが楽しみ、自分本位の満足を得ること。他人本位であり、同時にまた自分本位である。
このふたつを表裏一体として、毎日の習慣とすれば、人間関係での迷いは少なくなり、悩みも改善されていくのではないでしょうか」(千氏)
自慢はしないが、謙遜もしすぎない
日本人が大事にしている習慣の多くは、どちらかというと相手や周囲への配慮や心づかいに重きを置いたもの。だが、まわりに気をつかいすぎたり空気を読みすぎたりすることで、疲れてしまったり、自分を殺すことが習慣になってしまったりしては本末転倒。時には自分本位も必要ということだ。
「常に謙虚でいることは大切ですが、そのためにはまず、自分に自信を持たなくては始まりません。自信を持つことと自慢することとは大きく違います。自己に対して自信があるからこそ、譲るべき一線がはっきりと見えてくるものですし、いざという時には毅然とした態度に出られるのです。
おごりや執着は、悪でもあり必要でもあります。室町時代中頃、茶の湯をわび茶として打ち出した始祖・珠光(しゅこう)の手になる一通の手紙が伝わっています。それは、珠光が弟子に宛てて送った『心の師の文』と呼ばれる文章で、その中で『茶の道において最もよくないのは、我慢我執(根拠のない慢心やおごり、執着)である』と説いています。
ところが、その文の最後には、「そうした悪しき我慢我執もまた、なくてはならない」と結んでいるのです。これは、自分に対する絶対的な自信がなければ、この道は成り立たない、という意味の、たいへん深い内容を持つ逆説であると私は考えています。
お茶を点てて人をもてなす時、まずは自分に自信がないことには、おいしいお茶は差し上げられません。また、自分が満足することが大前提でもあります」(千氏)
謙虚すぎず、同時におごりたかぶることもしない、これこそが人の道ではないだろうか。
(了。)
【プロフィール】
千 宗屋(せん・そうおく)/茶人。千利休に始まる三千家のひとつ、武者小路千家家元後嗣。1975 年、京都市生まれ。2003 年、武者小路千家15 代次期家元として後嗣号「宗屋」を襲名し、同年大徳寺にて得度。2008 年、文化庁文化交流使として一年間ニューヨークに滞在。2013 年、京都府文化賞奨励賞受賞、2014 年から京都国際観光大使。2015 年、京都市芸術新人賞受賞。日本文化への深い知識と類い希な感性が国内外で評価される、茶の湯界の若手リーダー。今秋、「人づきあい」と「ふるまい方」を説いた書籍『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』を上梓。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授、明治学院大学非常勤講師(日本美術史)。一児の父。
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