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《スーパーボランティアの尾畠さんが能登半島入りも 1日で活動断念した理由》被災地を前に初めて涙した日、明かした「85歳を区切りに引退」発言の真意

NEWSポストセブン 2024年10月27日 16時18分

 トレードマークの真っ赤な鉢巻き姿で全国を巡り、被災地支援や海岸のゴミ拾いなどを続けてきた尾畠春夫さん(85)。

 尾畠さんの名が広く知れ渡ったのは、2018年8月に山口県周防大島町で行方不明となった2歳児を発見したのがきっかけだ。以来、 “スーパーボランティア”と呼ばれ、2020年に「緑綬褒章」を受章し、“時の人”となった尾畠さんは10月12日で85歳を迎えた。約半年前、NEWSポストセブンの取材に「ボランティア活動は85歳で区切り」と語っていたが、本当に辞めてしまうのだろうか……。

 取材班は85歳の誕生日を直前に控えた10月上旬、大分の自宅を訪ねた。そこで本人から語られたのは、ボランティアへの意外な想いだった──。【前後編の前編】

「記者さん、実は今夏に石川県の輪島へ行ってきました。本当は地震発生直後の1月に行きたかったが、車が故障していて行けませんでした。車の修理も終わり、20日分の食料などを準備してすぐに向かいました。現地はアスファルトに穴があき、道が酷かった……」(尾畠さん、以下同)

 大分から20時間かけてようやくたどり着いた輪島市だったが、尾畠さんを待ち受けていたのは意外な“壁”だったという。

「(登録や許可が必要で)すぐにボランティア活動はできないと。『県庁と市役所、社会福祉協議会に許可をもらってOKならチームに入って行動してください』と聞いてちょっとダメだなぁと思った。これまでは被災地のボランティアセンターに行けばすぐに始められたけど。車中で1泊だけして帰りましたが被災地を前に何もできず、初めて涙が出ました」

地元で今も続けるボランティア活動

 地元の大分では、別府湾の海岸を清掃したり、子どもたちの通学路の草刈りを日々続けている。

「海岸のテトラポッドには、ありとあらゆるゴミが溜っています。潮の満ち引きに合わせて3~4時間ほど清掃をしています。

 人から『手伝いますよ』と言われても断ってる。テトラポッドでの作業は危ないから、作業は全部自分でやっています」

 毎日3~4時間、歩いているという尾畠さんは、海岸沿いで大好きな歌手・芹洋子(73)の『坊がつる讃歌』を大声で歌うことが健康の秘訣だと語る。だが、長年酷使した体は悲鳴を上げていた。

「右目が見えないんです。緑内障になってダメと言われました。病院の先生から眼帯を勧められましたが断った。右耳も聞こえないけど、補聴器とかは嫌いだからつけません。あと、ガンで胃の一部を切除してるけど、自分に衰えを感じたことは、まーったくない。被災地に行くとね、普段出ないような力が出るんですよね。“バカ力”だよね」

 尾畠さんは、ボランティア活動をする上で、決めていることがあるという。

「やっぱり“させていただいている”という意識が大事。だから、活動先で物品、飲食など対価は全く受け取らない。爪楊枝一本だって受け取らない。勧められるけど、その誘惑に負けそうになったこともないね。自分で初めに決めたことだから。明日は我が身です。たとえば明日、大分で災害があるかもしれない」

 ボランティア活動と向き合ってきた約20年。今年3月にはNEWSポストセブンの取材に「85歳を区切りにボランティア活動からは一線を退く」と打ち明けている。今後、どうするのか。

「私はボランティアができなくなる時が、死ぬ時だと思ってる。後継者、弟子とかもいらない。あと15年、100歳までは最低でもしたい。夢は130歳まで生きること。

 でも、85歳からやりたかったことがあって、そのためにはボランティア活動は控えないといけないと考えています。ただ、自分の夢を叶えるのは2年後になりそうですわ」

 後編ではボランティア活動からの「引退宣言」を撤回した尾畠さんが抱く“長年の夢”を語った。

(後編につづく)

 

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