東京を東西に貫くJR中央線(快速)は、日比谷線や埼京線などと共に、混雑率“全国ワースト5”に名を連ねるほど混み合う路線だ(※1)。人身事故が多いことでも知られ、SNSでは「早くホームドアを設置してほしい」という意見が数多くあがっている。その中央線で、「ホームドアの設置準備」がひっそりと進んでいる──。
中央線は、とにかく事故が多い路線だ。
人身事故の情報をまとめるサイト「鉄道人身事故データベース」によると、2024年上半期のJR中央線の人身事故は17件(※2)で、全国トップクラスの“事故路線”。このなかには酔っ払って転落したケースなども含まれているが、2005~2014年の10年間では、全386件の中央線の人身事故のうち、66%が自殺(未遂も含む)だったというデータもある(※3)。
事故が起きれば当然大幅な遅延も発生する。長年、悩まされてきた中央線ユーザーの悲願が「ホームドア」だ。事故を大幅に減らすことができ、遅延防止にも繋がるとあって、何年も前から設置が熱望されてきた。
そんなホームドアがついに設置されるのではと、鉄道マニアたちの間で話題になっている。設置のための「基礎工事」が着々と進む現場を訪れた。
中野駅の中央線ホームに降り立つと、ホームの一部に黒い覆いがされていた。そのすぐ隣には、真新しい点字ブロックも設置されていて、まさに工事の真っ只中であることを物語っている。鉄道関連の本や記事を多数執筆する、鉄道ジャーナリストの枝久保達也氏が解説する。
「中野駅では現在、大規模な改築工事が行われていますが、それと並行してホームドアを設置するための土台を整える基礎工事も進んでいます。工事後のホームには、ホームドアを固定するために必要な“ネジ穴”のようなものが開いているのもわかります。
加えて、何百キロもあるホームドアの設置には、ホーム自体の補強工事も欠かせません。一晩で終わるような簡単な工事ではないので、何日もかけて、少しずつ進めているのでしょう」(枝久保さん)
現状、ホームドアの“ネジ穴”が整えられているのは、東京~立川間の19駅のうち、西荻窪や高円寺など、約半数にあたる9駅(11月8日時点)。特急などが停まる駅の場合、ホームドアもドア位置の違いに合わせた調整が必要になるので、まずは特急の停まらない“比較的シンプル”な駅を優先して工事を進めていると考えられる。
長年求められてきたホームドアの工事が、今になって進んでいる背景には、10月13日から運行が始まった「グリーン車」の存在があるという。
「中央線では、2025年春までにすべての編成にグリーン車を2両ずつ導入し、12両編成で統一することが発表されています。グリーン車と普通車ではドアの数や位置も異なるため、導入が完了するまで、ホームドアをつけられずにいるんです」(枝久保さん)
グリーン車が導入された12両編成が正式稼働する来春以降、ようやくホームドアの設置が始まるとみられ、今はその準備段階というわけだ。
「もともと中央線は、日本屈指の収入を誇る“ドル箱路線”の1つ。東京駅~長野県・塩尻駅までを含めた中央本線全体で、年間の旅客運輸収入は1000億円を超えます。その売り上げをさらに伸ばすための策が、グリーン車の導入なんです」(JR東日本関係者)
JR東日本は、中央線へのグリーン車導入で、年間80億円の増収効果を見込んでいる。投資額は実に860億円。この一大事業が終わるまで、ホームドアの設置が進められない、いわば“グリーン車待ち”の状態になっていたのだ。
「利用者からは“JRのホームドア設置が遅すぎる”という声が多くあがっていますし、そういった意見が鉄道会社に届くのはとても大事なことです。とはいえ、設置に時間がかかっているのには、“グリーン車待ち”以外にもさまざまな理由があります。
第一に費用の問題。ホームドアの種類にもよりますが、設置するのに1駅あたり(上下線各12両)で数億円、それに加えて設置後の維持費が発生し、20年ほどで取り替える必要も出てきます。事故や遅延を減らすことはできますが、それを差し引いても、儲けを生み出すような投資ではありません。
その上、中央線は、ホームドア設置の難易度が高い路線の1つ。混雑する時間帯には2分間隔で列車がやってくる中央線ですが、ホームドアを設置するとどうしてもドアの開閉にかかる時間が長くなる。そういった運用上のハードルを、1つずつ検証して対処していく必要があるんです」(枝久保さん)
そんななか、JR東日本は「2031年度末頃までに、東京圏在来線の主要駅すべてにホームドアを導入することを目指す」と発表している。
「そもそもホームドアの設置には、飛び込み自殺の防止というだけでなく、泥酔した乗客や、視覚障がいを持つ方、車椅子の方などが線路に転落し、事故に巻きこまれるのを防ぐ意味合いが大きいんです。さまざまな“社会的要請”を受けて、JR東日本としても、できる限り迅速に設置を進めていきたいと思っているはず。
2023年3月には『鉄道駅バリアフリー料金制度』といって、駅のホームドアの整備を含めた“バリアフリー化”に必要な費用を、首都圏のJRの運賃に上乗せするという仕組みがスタートし、ホームドア設置を迅速に進めるうえでの追い風になっています。
2031年を待たずに前倒しでホームドアが導入されていく、そんな未来も充分ありうるのではないでしょうか」
利用者の声がようやく「届いた」とも言える中央線のホームドア。今後も利用者一人ひとりが声をあげていくことで、近い将来、ホームでの鉄道事故が「ゼロ」になる日が来るかもしれない。
【参考】(最終参照日:2024年11月8日)
※1 2023年度、国土交通省調べ 国土交通省「再混雑区間における混雑率(2023)」
https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001758084.pdf
※2 鉄道人身事故データベース「中央快速線の鉄道人身事故統計」
https://jinshinjiko.com/stats/routes/31
※3 佐藤裕一「過去10年における路線別の自殺件数」(東洋経済ONLINE)
https://toyokeizai.net/articles/-/120456?page=2
【取材協力】
枝久保 達也(えだくぼ たつや)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。近著に『JR東日本 脱・鉄道の成長戦略』(河出書房新社)がある。X @semakixxx