明治神宮野球場(東京・新宿区)で、毎年春と秋に行われる「東京六大学野球リーグ」。各大学の4年生部員にとっては、秋のリーグ戦が大学生活最後の公式戦になることがほとんどだ。
11月10日、伝統の早慶戦で、慶應大学の4番に座ったのは、モデルの亜希(55才)と、プロ野球で活躍した清原和博(57才)の長男・清原正吾さん(22才)だった。最後の打席は空振り三振を喫したが、慶應はライバル早稲田大学に勝ち、正吾さんは仲間たちと抱き合って大粒の涙を流した。
正吾さんの「引退試合」となったその日の夜、亜希は都内の焼き鳥店にいた。一緒にテーブルを囲んだのは、つい数時間前に正吾さんの雄姿を神宮球場のスタンドで見届けていた清原だった。
「正吾さんが小学生の頃に所属していた野球チームの関係者と一緒だったようです。当時の思い出に話が弾んだようで、亜希さんもとても楽しそうでした。食事は控えめな亜希さんの一方、清原さんは豪快に焼き鳥を食べてハイボールを何杯も飲んでいたようです」(居合わせた常連客)
亜希は清原と2000年に結婚し、2002年に正吾さん、2005年に次男・勝児さんに恵まれた。しかし、現役引退後の2014年に清原の「違法薬物使用疑惑」が報じられ、同年離婚。2016年に、清原は覚せい剤取締法違反で逮捕された。
「離婚後、亜希さんは仕事でも清原姓を名乗っていましたが、逮捕から間を置かずに『亜希』として活動していくことを発表し、清原さんと完全に決別しました。モデルとして活動する傍ら、自身のアパレルブランドを立ち上げるなど、ひとりで子供たちを育てていくことを決意したようでした」(芸能関係者)
小学生のうちは野球に取り組んでいた正吾さんも、中高時代は別のスポーツにシフトした。のちに「偉大な父親の存在が重圧だった」と野球から離れた理由を明かしたが、大学入学時に一念発起して野球部に入部。懸命な努力で6年間のブランクをはね返してレギュラーを獲得すると、この秋のリーグ戦では父親譲りの豪快なスイングで3本塁打を記録した。断絶していた亜希と清原との関係は、野球に取り組む息子たちを通して徐々に変化していった。
「清原さんが子供たちの野球の指導をすることもあり、徐々に亜希さんと清原さんの関係はほぐれていったようです」(亜希の知人)
昨年8月、勝児さんが慶應高校野球部の一員として夏の甲子園で優勝を果たした際には、本誌『女子セブン』は亜希と清原、勝児さんの3人で祝勝会に向かう様子を目撃した。そして、正吾さんの節目となったその日も、元夫婦は時間をともにしたのだ。
「退店時、お酒が進んで千鳥足になっている清原さんの手をとって、亜希さんが支えるシーンもありました」(前出・居合わせた常連客)
現在、亜希は清原の実質的なマネジメント会社の代表を務めるなど、新たな形の“パートナー”だ。
「薬物依存症やうつ病と闘っている清原さんを支えているのも亜希さん。定期的に清原さんに連絡を入れて健康状態に気を配っているのでしょう。糖尿病を患ったことがある清原さんが“アイスを食べたい”とわがままを言って、“ダメー!”とたしなめたこともあったそうです」(前出・亜希の知人)
離婚から10年が経ち、元夫婦の関係はまた一歩修復された。
※女性セブン2024年11月28日号