2019年12月。のちに『ともぐい』で第170回直木賞を受賞する北海道・別海町出身の河崎秋子氏は〈最後の羊を出荷した〉。
〈私の最後の羊はちゃんと死んだ〉〈きちんとした場所で、きちんと技術を持った人によって、最適な方法で食肉になった〉〈寂しさとか、人様に説明できるほど明確な感情はない〉〈ただ、体のどこかの筋肉が緩んだ気がしていた。私はもう羊飼いではなくなったのだ〉
本書『私の最後の羊が死んだ』は、文壇初の羊飼い兼業作家としても知られた河崎氏がなぜ羊飼いを志し、なぜその生活にピリオドを打ったのかを、作家となるまでの経緯も含めて綴った自身初の自伝的エッセイだ。
大学時代、彼女は教授宅のバーベキュー大会で食した道産羊肉のあまりの美味しさに舌を巻き、以来意識は「美味しい」から「育ててみたい」へと一変する。
「そこはシームレスでした。人様にはなかなか共感していただきにくいシームレスさだとは思いますが(笑)。やはり食肉ですからね。私も羊は可愛いと今も思いますし、その可愛い対象を肉にして食べるまでには、暗くて深い溝がある。その溝を越えておきたかったんですかね、今思い返すと」
実家は別海町の酪農家。その仕事の大変さを知るだけに別の道に進むつもりだった著者は、しかし、大学卒業後いきなりNZに渡り、住み込みで1年間、本場の緬羊飼育技術を働きつつ学ぶことになる。即断と行動の人でもあるのだ。
「客観的に振り返ると何も考えてないですよね。そうやって無暗に羊に憧れることを、仲間内では〈羊病にかかる〉と言います(笑)。ただ、悩む間もないまま研修先が決まったりビザが取れたりした勢いみたいなものもありましたし、その牧場を紹介してくれた方やホームステイ先の方、送り出してくれた家族も含めて、人には本当に恵まれていて。自分は信じられなくても、自分を取り巻く人のことは信じられるなあと、改めて思ったところはあります」
〈しかし、悲しきかな羊は日没産業〉とあるように、日本で羊の牧場を作ろうにも行政や農協のサポートはほぼゼロ。そこで河崎氏はたまたま懇親会で同席した緬羊業界の先輩に半年間の住み込み実習を頼み込み、そうこうして2004年、試験場から雌羊2頭の払い下げを受け、実家の酪農従業員として働く傍ら、その敷地の一角でサフォーク種、最大約40頭の羊飼いとなる。
ちなみに彼ら緬羊関係者は〈メーメー教の信徒〉を自ら名乗り、さらにそれが〈メーメー教羊派〉と〈メーメー教山羊派〉に細分化されるとかしないとか。
「そのメーメー教羊派にも、黒羊派と白羊派がいたりします。内輪の冗談ですけど」
交配も出産も哺乳も毛刈りも全て自力で行ない、〈母代わり〉に育てた羊であっても〈立てなくなった時点で私は淘汰する〉と決めた。販路も美味しい物好きで料理好きな〈食いしん坊の人脈〉のおかげで順調に広がり、シェフからも〈お客さんに出したくない〉と最高の賛辞をもらうまでになった。そんな中、再び書き始めたのが小説だった。
「2009年、20代最後の年です。羊飼いとして小規模ながら安定もし、フルマラソンに挑戦してみたりもする中で、今書かずにいつ書くのかと、思ってしまったんですよね。結果的にはあそこでもし書かなければ、二度と書くタイミングはなかったかもしれない。その直後に父が倒れ、家族総出で介護する生活が始まるんですけれど、人生ってホント、わかんないもんだなあと、つくづく書いてみて思いました」
家を出る決断に矛盾はなかった
羊の世話に家業に介護と、ただでさえ体力を消耗する中、河崎氏は執筆やマラソンも続け、2012年に3度目の挑戦で道新文学賞を受賞。2014年には『氷点』50周年を記念した1回きりの三浦綾子文学賞を受賞し、晴れて『颶風の王』でデビューを果たすのだが、この投函時のくだりがなかなか面白い。
その日、サロマ湖畔でのウルトラマラソンにエントリーしていた河崎氏は、奇しくも北見で敬愛する作家、桜木紫乃氏のサイン会があると知り、ある〈ゲン担ぎ〉を思いつく。まずは桜木氏と北見で握手をし、その手で原稿を投函したのだ。さらにサロマでは初距離だった100kmに挑み、完走は逃すが賞は受賞するなど、そうした場面の一つ一つがユーモアも交えて活写され、著者の人柄をよく伝える。
「あの頃は羊や牛の世話に介護やマラソン、それから母が始めたチーズの仕事までも、手放したら絶対後悔すると思ったんですよね。そうやって意地を張った結果、最善手を全く選べていないところは、実に私らしいと言いますか。
それでもやっぱり心身に無理が来て、次兄が別海にUターンしたタイミングで家を出ることにしました。大きな決断ではありましたけど、矛盾は一切なかった。インプットの時間も含めて、文章に向き合うことはそう簡単ではないし、別の町に住んで小説家になった今なお、羊飼いだった頃の思い出や経験は消えてなくなるわけではないですから」
ただしそうした経験が、人間の業や自然との相克に緊密な文章で肉薄し、骨太とも称される作品群にどう影響しているかは、自身も〈分からない〉と書く。
「その相関を詳らかにして、意識的に書くと、かえって嘘を書きそうな気がするんですよ。自分が羊を飼い、動物を実際に捌いたりした経験に依存すればするほど、小説が嘘臭くなるというか。
例えば走る前に幾ら肉やサプリを摂取しても効果の程はわからない。だったら自分の食べたものや経験も含めた身体そのものを信じ、わかんないままやれることをやるのが一番だと思って、突き進んではいます」
育てた羊を肉として出荷する者の矜持と、自ら〈脳みそフリット〉を調理し食した時の、北海道弁で〈いずい〉としか言い難い感覚の両方を誠実に描き、虚飾を悉く嫌う河崎氏は、〈自分は世界のどの位置を占めるのかを考えるように〉という恩師の言葉に擬えるなら、小説を自らの役割に選んだ。
「人の胃袋に訴えることはもうできないんですけどね。思わぬところで思わぬ人の心を打つ可能性がもし小説にあるならば、それを書き続けていくのが自分の役割だと、今は思っています」
少なくとも〈自分がどこに出しても恥ずかしくない食べ物を作れた、という事実は、私の中ではやはり大きな誇りだった〉と書ける著者の過大でも過少でもない自信のあり方は、それを消費するだけの者にとって眩しいことこの上ない。
【プロフィール】
河崎秋子(かわさき・あきこ)/1979年北海道生まれ。北海学園大学経済学部卒。2002年NZに渡り、2004年より実家の敷地内で羊飼いに。2009年より小説を本格的に執筆、2012年「東陬遺事」で第46回北海道新聞文学賞、2014年『颶風の王』で三浦綾子文学賞と2015年度JRA賞馬事文化賞、2019年『肉弾』で第21回大藪春彦賞、2020年『土に贖う』で第39回新田次郎文学賞、2024年『ともぐい』で第170回直木賞を受賞。他に『絞め殺しの樹』『清浄島』『愚か者の石』『銀色のステイヤー』等。
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2024年11月29日号