三ノ輪橋停留場(荒川区)と早稲田停留場(新宿区)を結ぶわずか12.2kmの路面電車である東京都電車、通称・都電は、住民の足としてだけでなく、最近はイベント列車の運行で注目される存在だ。6月には史上初の都電プロレスを小池百合子東京都知事が視察、チョップする様子が報じられた。最盛期には200km超の営業キロ、40の運転系統を持つ日本最大の路面電車だった都電の盛衰は、東京という街の変化を強く反映している。ライターの小川裕夫氏が、約半世紀前に廃止された都電遺構の発見についてレポートする。
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東京を網の目のように走っていた都電は、荒川線だけを残して廃止された。荒川線も廃止される予定になっていたが、1974年に恒久化が決定。今年は荒川線恒久化50年にあたる。そんな節目の年に東京都が神田川整備工事を実施したところ、神田川に架かる白鳥橋から都電遺構のレールと敷石が発見された。
白鳥橋の上を走っていた都電は早稲田―厩橋間を走る39系統のみで、同系統は1968年9月に廃止されている。つまり、都電が白鳥橋を走らなくなってから半世紀以上が経過した後もレールや敷石が残されていたことになる。
出土した都電遺構は2024年10月15日と16日に一般公開され、鉄道ファンのみならず地元住民や以前に付近に住んでいたという人も多く駆けつけた。
レールを1本と敷石が新宿区へ
「東京都は出土したレールや敷石を保管することにしていますが、そのほか自治体をはじめとする公的機関、大学などの研究機関から希望が出れば無償で譲渡する予定にしていました。そうしたところ約20の団体から譲渡希望が寄せられました」と話すのは東京都建設局第六建設事務所工事課の担当者だ。
そのうち10前後は個人や営利事業者からの希望だったために断ったが、公的機関や研究機関などには希望に沿って譲渡する予定で準備を進めている。
現在のところ東京都は全譲渡先を明かしていないが、白鳥橋が所在する新宿区や文京区には東京都から声をかけたという。
「新宿区は東京都から『白鳥橋から出土した都電のレールや敷石はいりますか』とお声がけしていただきましたので、一般公開日に担当者が現場へと足を運んで確認しました。本来なら、情景まで再現できるようにレールを5メートルほど引き取ることが望ましいのですが、収蔵スペースの問題から60センチに切断したレールを1本と60センチの敷石を希望しました」と話すのは新宿区文化観光課の担当者だ。
新宿区は1989年に新宿歴史博物館を開館。同館には都電の車両が屋内保存され、新宿駅前の情景が再現されている。
「白鳥橋の都電遺構は、関連資料として引き取ることを決めました。現在のところ収蔵することを念頭に置いていますが、博物館で展示する予定はありません」(新宿区文化観光課担当者)
今回は見送った文京区
一方、文京区からは特に引き取りたいとの希望が出ていない。文京区内には39系統のみならず、都電があちこちに走っていた。現在は文京区内を走っていないが、高度経済成長期までは文京区民の重要な足だった。
そうした歴史を踏まえれば、文京区にとって都電以降は貴重な文化財である。なぜ、文京区は都電遺構を引き取らなかったのだろうか。
「東京都から白鳥橋の都電遺構についてご案内をいただき、一般公開の日に現地まで足を運んで実物を確認しましたが…」と前置きしながら説明するのは、文京区アカデミー推進課の担当者だ。
「文京区には神明都電車庫跡公園という区立公園があります。同公園は、もともと都電の車庫です。その跡地を再整備して公園になりました。そのため、公園の一画には都電の車両やレールの一部を保存しています。そうした事情も踏まえて、今回は新たに追加する必要はないと判断しました」(文京区アカデミー推進課担当者)
文京区が神明都電車庫跡公園で保存・展示しているのは、都電の6000形と貨物車の乙1形乙2号の2両だ。これまでは屋根がなく雨晒し状態だったが、車両の改修と同時に展示スペースに屋根が架けられた。
神明都電車庫跡公園で保存・展示されている車両を大事に扱っていることを見れば、文京区が都電に思い入れがない自治体というわけではない。
今回は白鳥橋から都電のレールと敷石が出土したが、実は2020年にも文京区と千代田区の区境に架かるお茶の水橋から都電のレールと敷石が出土した。お茶の水橋から出土したレールは明治期に敷設されて戦前期に廃止された路線のもので、都電史のみならず東京史や昭和史を考証する上でも重要な文化財といえる。
このとき、文京区はレール譲渡の打診を受けて区議会で議論した。その結果、神明車庫に都電の車両やレールが保存されていることを理由に申し出を断っている。そのため、今回の白鳥橋の都電遺構に関しても、同じ対応が取られることになった。
昭和100年となる2025年へ向けて
鉄道ファンや父祖の代から東京に在住している都民なら都電に対する思い入れは強いだろうが、荒川線しか知らない世代にとっては都電遺構と言われても、歴史を実感できない。
なにより都電が廃止されてから、まだ40~50年しか経過していない。そのため、都電のレールや敷石は歴史的な遺産とまで認識されていない。また、都電のレールや敷石は文化庁が定める埋蔵文化財にも指定されていない。そうした理由から、行政が積極的に保存するという動きにはなっていない。
文化財の価値は歳月が経過した後に判断されることも珍しくない。文化財も保存状態が悪ければ朽ちてしまうし、廃棄してしまえば取り返しがつかなくなることもある。
それだけに、早急に不要と判断して廃棄することは避けたいところだが、どの自治体でも近年は文化財保存の予算が縮減されていて、何でも保存できるという状態ではない。なおかつ収蔵スペースが不足しているという問題も抱える。
近年、博物館や大学といった学術機関ではデジタル化によって歴史的・文化的な遺産を保存する手法も増えている。史料として残すなら、それも時代に即した有効的な手段といえる。しかし、デジタル化による保存は実際に目で見て手で触れる体験ができない。そうした実体験は教育的な要素が強く、リアルな展示物が本領を発揮する。
2025年は昭和100年にあたる。テレビ・新聞・インターネットニュース・雑誌などで昭和を懐かしむ企画が増えることが予想されるが、それらを機に都電遺構もクローズアップされる。そのとき、都電遺構をきちんと保存して次の100年にも語り継ごうという機運は高まるだろうか。
まだ都内には都電のレールや敷石が埋まっている場所がいくつかある。それら都電遺構は、今後に何らかの工事で出土することになるが、その際に保存議論が再燃するに違いない。