皇室は血筋でつながった「家」が集まって構成されている。現在は天皇家を含む5つの「家」があるが、百合子さまを失った三笠宮家では、長らく続く母娘断絶が、家そのものの“崩壊”を招きかねない状況に陥っている──。
うっそうとした緑を抜けた先に、赤い瓦屋根とオフホワイトの壁のコントラストが印象的な洋館がたたずんでいる。皇族方が暮らす赤坂御用地内にある三笠宮邸だ。築54年とは思えない、瀟洒な雰囲気が漂う邸宅は、「当主」の死去を受けて悲しみに包まれている。だがその静けさの裏で、母娘の相克は続いている。
“ヒゲの殿下”の愛称で親しまれた故・寛仁親王の妻・信子さまと、その長女の彬子さまの断絶から20年。両者の間に刻まれた溝はあまりにも深い。
11月15日、寛仁親王の母である三笠宮妃百合子さまが101才で薨去された。通夜は24・25日に、葬儀にあたる「斂葬の儀」は26日に東京都文京区の豊島岡墓地で行われる。
「日程と併せて、百合子さまの孫にあたる彬子さまが喪主を務められることが発表されました。百合子さまは、夫の三笠宮さまをはじめ、3人の息子に先立たれています。今回の喪主は、百合子さまの長男の妻である信子さまが務めるのではないか、という見方もありましたが、蓋を開けてみれば喪主は彬子さま。信子さまは入院中の百合子さまの元へ足を運ぶことさえなかったといいます」(皇室記者)
現在、信子さまは皇居からほど近くにある宮内庁分庁舎内の「旧宮内庁長官公邸」(東京・千代田区)にお住まいだ。一方の彬子さまは、赤坂御用地内の「三笠宮東邸」(旧寛仁親王邸)と京都に構えた拠点を行き来する生活で、長年にわたって母娘はすれちがっている。
事の発端は、寛仁親王の存命中にまで遡る。1980年に寛仁親王と結婚された信子さま。1990年に寛仁親王が食道がんを患うと信子さまが献身的に看病されるなど、仲睦まじい夫婦だった。
「しかしその後、あちこちにがんが見つかり闘病の日々が長引くと、次第に夫婦げんかが絶えなくなりました。2004年に信子さまが胃潰瘍と更年期障害を理由に軽井沢での療養生活に入られたことで、別居生活が始まりました。2006年に一旦は戻られた信子さまでしたが、2008年に『ストレス性ぜんそく』を発症して旧宮内庁長官公邸に住まわれるようになり、完全に家族の形が壊れてしまいました」(宮内庁関係者)
2012年6月に寛仁親王が薨去された際、喪主を務められたのは信子さまではなく、長女の彬子さまだった。
「危篤状態の寛仁さまとの面会を希望する信子さまに対し、彬子さまや妹の瑶子さまは頑なに拒まれたといいます。信子さまに対し、『父がいちばん苦しんだときに母は逃げ出した』という強い思いから態度を崩せなかったのかもしれません」(皇室ジャーナリスト)
わだかまりがとけることはなく、2016年夏には「事件」が起こった。
「彬子さまと瑶子さまの留守中に、三笠宮東邸に信子さまが荷物を取りに行かれたのです。ただ、信子さまは“自宅”であるはずなのに鍵を持っておらず、同行させた鍵業者に無理矢理鍵をあけさせました。そのことを知った彬子さまは、ただただ呆然とするばかりだったといいます」(前出・皇室記者)
今年8月には、宮内庁が来年度予算の概算要求を発表し、宮内庁分庁舎を総額約14億円かけて改修することが明らかになった。つまり、信子さまのお住まいのリフォームである。
「今後も赤坂御用地の外で暮らすという意思表示であり、信子さまに、彬子さまたちと歩み寄ろうというお気持ちがないことが露わになりました」(前出・皇室記者)
当主不在の1年間
著書を多く記し、メディア出演も積極的に行い、皇室のスポークスマンと呼ばれた寛仁親王。彬子さまの現在のご活動は、そのお姿に重なる。
特に今年は、ご自身の英国留学の思い出をまとめた『赤と青のガウン オックスフォード留学記』が、SNSで注目を浴びたことを機に再出版され、30万部を超えるヒットになった。9月には『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演し、新聞や雑誌のインタビュー取材も積極的に受けられている。その認知度の高さは、皇室、あるいは皇族という存在を身近に感じてもらうことに一役買っていることは間違いなく、「三笠宮家の顔」として申し分ないだろう。
皇室においては、当主が亡くなった場合、残された家族が話し合って次の当主を決める。宮内庁はその報告を受けて皇室経済会議を開き、次代当主が正式に決定する。跡継ぎとなる男性皇族がいない場合は、慣例で妻が当主になってきた。
寛仁親王が薨去された際も同様で、信子さまが寛仁親王家を継ぐはずだった。
「ところが、三笠宮さまと百合子さまが彬子さまを当主に推薦された。しかもそれを信子さまは頑なにお認めにならず、議論は平行線。当主不在のまま1年が過ぎ、結局『寛仁親王家』を廃止して、信子さま、彬子さま、瑶子さまが三笠宮家の一員となる形に落ち着かせるしかなかったのです」(前出・皇室記者)
百合子さまの薨去によって三笠宮家当主が失われたことで、またしても当主をめぐる議論が再燃しかねないのだ。
「彬子さまには『私が三笠宮家を背負っている』という自負がおありでしょう。ここ最近のご活躍ぶりを見ても、『私が当主に』というお気持ちも感じられる。それに対し、信子さまは“皇族の居住地”外での生活を続けようとされています。彬子さまが百合子さまの葬儀の喪主を務められることは、そんな信子さまを“排除”した結果にも思えます」(前出・皇室記者)
そうなってしまえば、今後の雪どけは期待できない。
「信子さまと彬子さまはもちろん、瑶子さまもそれぞれ独立した生活を営んでいくしかないでしょう。かねて女性宮家の議論が進められ、女性皇族が独立して宮家の当主になることを受け入れる土壌もできつつあります」(前出・皇室記者)
三笠宮邸に、再び笑い声が響くことはなさそうだ。
※女性セブン2024年12月5日号