【著者インタビュー】河崎秋子さん(崎は“たつさき”が正式表記)/『私の最後の羊が死んだ』/小学館/1650円
【本の内容】
今年『ともぐい』で直木賞を受賞したばかりの著者が意外にも初めて刊行したエッセイ集。テーマは、前職「羊飼い」について。《本稿では、私がどうして羊飼いという職業に就くに至ったのか。そして、なぜ現在は羊飼いをやめているのか。ごくごく個人的な記録として綴っていこうと思う》(「はじめに」より)。その波瀾万丈は、章タイトルからも伝わる。「羊飼いの終わりと始まり」「羊はどこだ、そして山羊との戦い」「羊とゆかいな人間たち」「羊の病と戦い」「羊飼い兼作家志望兼ケアラー」「チャンスの神様の前髪を掴む」「羊飼い終了記念日」の全7章。淡々と綴る中に河崎さんのユーモアがあふれ、笑みがこぼれることもしばしば。羊への深い愛も伝わってくる。
今となっては、極端な針の振り切れ方をした自覚はある
『ともぐい』で直木賞を受賞した河崎秋子さんは、2019年に作家専業になるまで、北海道・別海町で羊飼いの仕事をしていた。羊飼いになるまでとなってから、小説を書き始めて羊飼いをやめるまでの怒濤の毎日を描いたエッセイ『私の最後の羊が死んだ』がとにかく面白い。
「作家前夜」のことを書こうと思ったきっかけは、何だったのだろう。
「ご依頼いただいたというのが一番大きなきっかけですが、タイミングが良かったんですね。ちょうど羊飼いをやめると決めた時期でもありましたし、仕事のことはこれまでエッセイではちょこちょこ書くことはあっても1本筋を立てて書く機会はなかったので、自分でも書いておきたいなと思いました」
15年も羊飼いをしていたのに、作家になって経歴を紹介するときに「自称羊飼い」と書かれたことがあるそう。
「最近もありました。それだけ馴染みのない職業だと思い知らされたできごとですけど、私は羊飼いの仕事をずっとやってきましたし『自称』ではないです」
今回の本が出て、さすがに河崎さんの羊飼いを「自称」と書くメディアはなくなるだろう。
大学を卒業した2002年は、のちに就職氷河期といわれる時期のまっただなかだった。就職活動をしてもなかなか決まらず、それならば自分のやりたいことをやろうと、河崎さんはニュージーランドに渡る。受け入れてくれた農家で、1年間、羊飼いについて学んだ。
「当時は『就職氷河期』とも言われてなかったですし、そんなにひどいことだという実感もなかったです。内定が出ないなら、自分のやりたいことをやるっていうぐらいの気持ちでしたが、今となっては、われながら極端な針の振り切れ方をしたな、という自覚はありますね」
両親は手放しの賛成ではなかったが、「やりたいならやってみなさい」という姿勢だったそうだ。
「当時はわかっていなかったけど、それがとてもありがたいことだったとだんだんわかるようになりました」と河崎さん。
ご実家は道東の別海町にある酪農家で、牛を飼っている牧場の一角に、畜産試験場から払い下げてもらった2頭の羊を育てることから河崎さんの羊飼いの仕事は始まった。
実家は酪農家でも羊は飼ったことがなかった。牧場で契約している獣医師は牛しか診ることができず、ほとんどの病気は河崎さんが自分で何とかするしかなかった。羊が大きくなれば食肉加工場に持っていき、羊肉の販路も開拓しなければならない。すべての行程を手探りで、形にしていった。
当初の計画では羊を増やし、独立して自分1人で食べていけるようにしようと考えていたが、酪農を始めた父が脳卒中で倒れ、介護が必要になって、家を離れるわけにいかなくなった。
「振り返ってみたら、通ってきた道には山があったり谷があったり、結構いろんなことがあったなと思います。これはこういうことだったんだ、と言葉を見つけながら書いていったところもあります」
これを書くことで、きちんとけじめをつけられた気がする
大学時代は文学サークルに所属し、当時から小説を書いていた。
「あんまりできがよろしくなくて。もっと人生経験を積んで、考えを練ったほうがいい。自分にはまだまだ足りないことが多いので、とりあえずは人間として、苦労しながらやりたいことをやることが大切で、そうしていたらそのうち何か書けるかもしれないと20代では考えていました。羊の勉強を始めたときも、『書くとしても今じゃない』と思っていましたね」
その後、2012年に「東陬遺事」で北海道新聞文学賞を受賞、2014年に『颶風の王』で三浦綾子文学賞を受賞したのは周知のとおりだ。その後も、兼業で羊飼いを続けていたが、作家専業になることを決断する。
「この本のもとになる連載を書く機会をいただいたことで、きちんとけじめをつけられた気がします。書いてなかったら、自分の心の中でやめられてなかった可能性もあるかなと思います」
もともと大学時代に教授の家のバーベキューで食べた北海道産羊肉の美味しさが、羊飼いを目指す大きなきっかけだったという河崎さん。本に載っている料理写真も、写真だけでも美味しいとわかるが、一方で、最初に食べた、自分が育てた羊肉の味を特段、記憶を残していない、と書いているのが興味深い。人間の記憶のメカニズムの不思議さをうかがい知るエピソードである。
羊飼いの先輩や、作家の先輩など、河崎さんの文章からは道のない道を進んだ先人に対する深い敬意が感じられる。
「それは私がビビりで小心者で器が小さいからだと思います。だからこそ先輩方の忠告はまじめに聞かなきゃと思うんです。ビビりだからこそ決断するときはきちんと決断しなきゃと思うし、傍から思い切りよく見えているときでも内心はビビり倒しています」
我が道を行くという言葉がぴったりくる河崎さんが、ビビりだというのはにわかには信じがたいが、そういう気持ちがあってこそ、思い切った決断ができるのかもしれない。
小説は重厚で骨太な筆致で描かれるが、エッセイは飄々とユーモラスに内心の声が(丸がっこ)で吐露され、くすりと笑いたくなる箇所がたくさんある。
「小説の視点人物は私ではないので、よほどコメディを狙った話でない限りまじめに書いていますが、エッセイは私自身、林望さんとか、ふっと笑えるものを好んでいましたので」
羊飼いはやめたが、羊肉を販売していたレストランや羊飼いの先輩たちとの関係は続いている。
「こないだも、本に出てきたのとは違うお店に行ってきました。羊の肉を生産しなくなっても縁が続くのはありがたいと思います。羊がちゃんと美味しかったから続く縁なので、羊のおかげ、羊様様です」
【プロフィール】
河崎秋子(かわさき・あきこ)/1979年北海道別海町生まれ。2012年「東陬遺事」で北海道新聞文学賞(創作・評論部門)を、2014年『颶風の王』で三浦綾子文学賞とJRA賞馬事文化賞を、2019年『肉弾』で大藪春彦賞を、2020年『土に贖う』で新田次郎文学賞を、2024年『ともぐい』で直木賞を受賞。ほかの作品に、『絞め殺しの樹』『介護者D』『愚か者の石』『銀色のステイヤー』など。いまは≪北海道の十勝で物書きをしながら一人で暮らしている
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2024年12月5日号