時代とともにアップデートが必要なのは間違いないが、さりとて歴史に学ぶことも重要だ。コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。
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「俺と握手すると妊娠するぞ」
火野正平さんのこのセリフ、最高です。自転車に乗って日本全国を巡る旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」(NHK BSプレミアム)のロケで、女性に「正平さん、握手してください!」と頼まれると、いたずらっぽく笑ってこう返しました。
若かりし頃に多くの女性と浮名を流し、「昭和を代表するモテ男」「希代のプレイボーイ」と呼ばれ、70代になっても男の色気がたっぷり漂う火野さんだからこそ、自分をネタにした冒頭のセリフが面白さと深い味わいを醸し出します。言われた女性のみなさんは、きっと素敵な思い出になったことでしょう。
そんな火野正平さんが11月14日、75歳で帰らぬ人になってしまいました。最近も映画『ラストマイル』で宅配ドライバーの渋いオヤジを演じて存在感を放っていたのに、また元気に自転車で旅をする姿が見られる日を楽しみにしていたファンがたくさんいたのに、とても残念です。謹んでお悔やみ申し上げます。
火野正平さんが教えてくれた「モテ男」のお作法
火野さんはたくさんの「モテ男伝説」を残してくれました。14年にわたった「こころ旅」の中で女性と接する姿も、さすがとうならずにはいられませんでした。そこには、私たち中年男性が学ぶべきポイントがたくさんあります。今の世の中が忘れかけている、というより頭でっかちに否定している「昭和のお作法」の美しさを見ることができます。
追悼の気持ちを込めて、あとに続く世代の昭和人間の責務として、火野さんの「モテの秘訣」や「女性と楽しく接する極意」を謹んで授かるとしましょう。もちろん、火野さんを見習えばモテるとは限りませんが、大切なのは夢を忘れない心意気です。
●火野さんの教えその1「すべての女性に分け隔てなく接する」
「こころ旅」での火野さんは、若い女性にも高齢の女性にも小さな女の子にも、同じように敬意と親しみを持って接していました。また、記憶している限りでは「かわいい」とは言っても、「美人だね」などの容姿を評価する言葉は口にしませんでした。そこに火野さんの女性に対する広く深い愛を感じます。
●火野さんの教えその2「女性が大好きということを隠さない」
過去の十分な実績が広く世間に知れ渡っていたこともありますが、火野さんは「女性が大好き」という基本姿勢を隠そうとしませんでした。そのイメージで見られることを楽しんでいた節もあります。女性としては、自分を好意的に見てくれていることがわかっているだけに、安心感を抱きつつ伸び伸びと接することができたでしょう。しかも、下心をチラッと見せつつ、けっして本気ではないんだよという気配の示し方も絶妙でした。
●火野さんの教えその3「昭和なオヤジギャグで場をなごませる」
冒頭の「俺と握手すると妊娠するぞ」のほかに、写真をねだられて「俺と写真を撮ると妊娠するらしいよ」と返すバージョンもありました。妊娠9カ月の妊婦さんのお腹にさわりながら「去年、俺たちちょっとワケありでさ」と言っていたこともあります。いずれも令和の基準で言えば、眉をひそめられても仕方ない「不適切」なジョークです。
しかし、火野さんのちょっとエッチなオヤジギャグは、間違いなく相手の女性を幸せな気持ちにしていました。放送されなかったやり取りもあったでしょうが、女性が怒り出す展開は想像できません。もちろん「火野さんのお人柄があってこそ」という前提はありますが、男女のコミュニケーションの機微をコンプラで縛る無意味さをひしひしと感じます。
自叙伝に記されているノウハウと女性に対する心がけ
火野さんは2016年に自叙伝『火野正平 若くなるには、時間がかかる』(講談社)を上梓しました。そこにも「大切な教訓」が満ち満ちています。
〈俺はもともと向こうから電波を発信されてから、アンテナで捉えて受けに行くタイプなんだよ。(中略)じゃあ「飯でも食いに行くか」とか「電話番号書いとけ」とか言ってやらなきゃいけないとか。そういうのをなるべく受信してやらなきゃいけないと思ってる〉
〈昔よく使った手なんだけど「絶対にそうなるんだから、早くなった方がいいじゃないか」っていうのがあったね。(中略)俺も思ってるし、相手だったどこかで思ってるんだから。それでさ、「そうだね」って言ってくれればしめたもんだよな〉
〈(かつて付き合っていた女性と数十年ぶりに再会した話の中で)でも綺麗だったな、まだ。もちろん年は取ってるんだけど。(中略)綺麗の中には、いろんなことが含まれるじゃない。見た目が綺麗っていうこともあるし、汚れてないってことも綺麗だし。相手のいいところ探すのが上手かどうかはわからんけど、どっかいいところあるやろって探すよな〉
どれも難易度の高いノウハウですが、モテるにはこうした心がけ(自分に自信を持つ、図々しさを忘れない、相手を全面的に肯定する)が必要なんだと感じさせてくれます。
昭和のいい部分も悪い部分も知っている中高年世代としては、男女の機微やほのかに色っぽいやり取りの楽しさが、イチャモンを付けられて迫害されている事態を黙って見過ごすわけにはいきません。「昭和の色男」のスピリッツをしっかり受け継ごうではありませんか。なれるかどうかはさておき、全力で「令和の火野正平」を目指しましょう。
この話の流れで触れてたいへん恐縮ですが、昭和人間がどう生きていくか、何に気を付けるかを考える『昭和人間のトリセツ』(石原壮一郎著、日経プレミアシリーズ)という本が、つい最近出ました。男女関係も含めた昭和の価値観をどう受け止め、どう有効に生かしていくかという内容でもあります。ただ、たぶん読んでもモテるようにはなりません。