兵庫県たつの市で2006年に当時小学4年の女児を刺したとして、殺人未遂容疑で11月7日に逮捕された勝田州彦容疑者(45)。2004年に岡山県津山市で起きた女児殺害事件(以下、津山事件)で無期懲役の判決を受け、服役していた勝田容疑者は逮捕前、ノンフィクションライターの高橋ユキ氏に対し、たつの市の事件(以下、たつの事件)について「自分がやったこと」と認める手紙を送っていた。
今回、高橋氏は11月14日に弁護士を通じて勝田容疑者の最新の肉声を得た。容疑者はたつの事件について、当日の詳細な行動と犯行手口を告白したのである──。
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「たつの事件では、もちろん防犯カメラにも気を付けていましたが、逃げる際にカメラがある道を通ってしまい、カメラに映ってしまいました。事前に下見してカメラの位置は分かっていたのですが……」
これは11月14日に勝田容疑者が語った言葉だ。
彼の言葉がどこまで事実かは慎重に吟味されなければならない。
津山事件では逮捕当初は犯行を認め、のちに否認している。刑が確定した後も筆者に対して長年、「津山事件の犯人は自分ではない」と訴えていたものの、逮捕直前の手紙では、この津山事件も〈ワタクシがやったんですよ〉と突然認めてきた経緯があるからだ。
「ウミが全部とれた」
それだけに、たつの事件について語る言葉にどれだけ真に迫る詳細さがあるかがひとつのカギとなる。
かつての津山事件について勝田容疑者は当初、「ショッピングセンター駐車場に車を停め、防犯カメラがあるかもしれないと思い、非常階段で1階に降りた」「小学校へ行きターゲットを物色し、被害者を発見」したと供述していた。
防犯カメラに注意して行動したという点は今回の証言と共通しており、加えて、たつの事件でもまずは子供が集まる場所に向かったと話した。
「津山事件と同じで、公文教室の前やその東側にある住宅街などで物色をしている時は、ひとりになりそうな女の子を探していました。そして、公文教室から帰る、自転車に乗った被害者の女の子を見つけ、犯行をしたのです」(11月14日の発言。「 」内は以下同)
また、彼が白いブラウスに執着していたことは本誌・週刊ポスト前号(11月18日発売号)で述べた通りであるが、たつの事件でも、当初は白いブラウスの女児を探していたという。
「私が公文教室に張り付いていた時に、2人組の白いブラウスを着た女の子たちが公文教室に入って行くのを見たのですが、その女の子たちを待っていると、時間がかなりかかるので、諦めて私服の女の子を刺しました。あまり帰りが遅くなると親が小言を言ってくるので、早めに切り上げたんです」
容疑者は9月に筆者への手紙で、2007年に兵庫県加古川市で起きた未解決の女児殺害事件についても関与したと綴った。そのことについて、逮捕後の彼は「津山・たつの・加古川事件を全て自分でやったことだと認めて、気持ちがとてもすっきりしました。自分の中からウミが全部とれた感じになりましたよ」と胸中を明かしている。
〈家の中では常に孤独〉
幼い女の子を狙い、犯行に手を染めたことを認めている勝田容疑者は、どのような家庭で育ち、どんな学生生活を送ったのか。筆者は容疑者と2021年から手紙のやり取りを続けているが、そのなかで、過去についても明かしていた。少なくとも容疑者にとっては、家庭は心休まる場所ではなかったようだ。
〈私の父は、仕事が警察官だったこともあり、寡黙で、私が父の言うことに従わなければ度度手をあげられたりしていました〉
2021年12月14日付の手紙にはそうあった。兵庫県警の警察官だった父は〈恐怖の象徴〉であり、母は、息子を守ることはなく〈父と一緒になって私を責め立ててきていました〉という。〈家の中では常に孤独な存在〉だったと記している。
こうして家庭で不満を溜め込んでいった容疑者は、中学校ではいじめを受けていたと綴った。
〈主に女子生徒が主動し、わざとこちらに聞こえるように陰口を言って来たり、無視をされたり馬鹿にされた〉のち、男子生徒も加わり、最終的には〈私の机の上に花が飾られた花瓶を置き、それを目撃した私に謝ることもせずに笑いながら私が死亡した様にされたのです〉。
彼にとって忘れられない記憶なのか、別の手紙でも、いじめにまつわる記述が見られた。
〈運動会の際に、誰もが嫌がる種目である2000m走に無理矢理エントリーさせられ、「休むなよ」と言われたり、修学旅行の時にも、班決めはしたけれど、実際に行ってみれば1人行動を余儀無くさせられたりと、本当に散々なものでした〉(2022年2月1日付の手紙)
このようないじめにより、容疑者は〈主に女性を、全ての人間が信用出来なくなり、人間という存在自体に絶望し失望した〉のだと記す。
高校卒業と同時に海上自衛隊に入隊し、初めて両親と離れて訓練を受ける生活が始まった。ところが容疑者は、ここを数か月で辞めている。
入隊後1か月で膝と腰を痛めたことによって訓練に支障が出たことから、〈同僚や信じていた上官から「税金泥棒」とか、「勝田は役者やな」などを散々言われるなどして罵倒され続けた〉(2021年12月14日付の手紙)ためだと本人は主張する。そして、こうした出来事を経て〈私は完全な人間嫌い・人間不信・コミュ障になったのです〉(同前)と記している。
人間関係に困難を抱えていた彼は、いじめを受けていたという中学3年生の頃、初めて自分の腹を刺したという。流れ出る血を見て心が落ち着いたことから「クセになり、ずっと続けていました」(今回の逮捕後の証言)。
勝田容疑者にとって腹を刺す理由のひとつは心の平安を得るためだったのか。全容解明のため、これからも事実だけを話し続けてほしい。
【プロフィール】
高橋ユキ(たかはし・ゆき)/1974年、福岡県生まれ。ノンフィクションライター。2005年、女性4人の傍聴集団「霞っ子クラブ」を結成しブログを開設。以後、フリーライターに。主に刑事裁判を傍聴し、さまざまな媒体に記事を執筆している。『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』(小学館新書)など、事件取材や傍聴取材を元にした著作がある。
※週刊ポスト2024年12月6・13日号