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堀川惠子氏、医療ノンフィクション『透析を止めた日』インタビュー「どうすれば夫は苦しまずに穏やかな最期を迎えられたのかを私が知りたかったんです」

NEWSポストセブン 2024年11月27日 16時15分

『死刑の基準』、『裁かれた命』、『原爆供養塔』等々、ノンフィクション界の名だたる賞に輝き、常に新作が待たれる堀川惠子氏の新刊『透析を止めた日』には、2017年7月にこの世を去った元NHKプロデューサーの夫・林新氏(享年60)の闘病の日々を綴った「第一部」と、その死後に透析業界の問題点や希望をも取材した渾身の「第二部」とがある。

「メインは第二部ですから。夫にも『いつか書くからね』と伝えて録音も回していたし、個人的な闘病記で終わらせるつもりは私にも彼にも全くなかったので」

 堀川氏は書く。〈2012年にわたる透析、腎臓移植をして透析の鎖から解き放たれた9年、そして再び透析に戻った1年余〉〈私たちは確かに必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった〉〈透析医療は、入り口は間口が広い〉〈一方で、そのビジネス市場から外れる「透析を止める」という選択肢の先には、まともな出口が用意されていない〉〈なぜ、膨大に存在するはずの透析患者の終末期データが、死の臨床に生かされていないのか〉──。

 実は2022年時点で約35万の透析人口を持つ日本。にも拘らず、本書の内容の多くが私達には「見えていない景色」なのは、なぜ?

「私も知らなかったんです。透析を始めたら最後、〈やらなければ、死ぬ〉とか、〈透析十年〉とも言われる中で、尿毒症の恐怖に日々怯え、週に3日、4時間もの透析に耐えている人の苦しみや痛みを、彼の腕に埋め込まれたシャントを見せられるまでは、想像もしなかった。

 実際、患者もその家族も毎日が精一杯なんです。今日が終わると1日休んでまた透析で、食事や感染症にも気を遣うし、送り迎えもあるしで、長期的展望が持てない。そして出口まで考えが及ばないまま本人が亡くなり、家族もつらくて思い出したくないとなってしまう。そうやって経験や知見が共有されていかない側面もあるとは思います」

 堀川氏は2004年に広島テレビ放送を退社し、独立後、初めて企画を出した相手が林氏だった。以来、多くの番組を共に手がけた林氏は、32歳の時に指定難病の1つである多発性嚢胞腎を発症。38歳から血液透析を導入し、火木土の午前を透析にあて、そこから出社して月200時間の残業をこなす生活を、結婚後は堀川氏と続けた。

 そして2007年、当初はドナー登録すらしていなかった夫を〈私の腎臓、使えないかな?〉と促す形で移植を考え始め、結果的には当時79歳の母から提供を受け、手術も無事成功。その移植腎が機能した9年間の公私に亘る充実ぶりや穏やかさ、また元慶應剣道部で『椿三十郎』を敬愛する林氏とのラブラブぶりには、こちらの頬までが緩んでしまう。

「やっぱり透析中はそれがいつできなくなるかという恐怖が常にあるわけです。風邪をこじらせて透析を回せなくなって亡くなる例もあるし、傍目には普通に見えるのに、止めたら死ぬ。それが透析で最も過酷で孤独な点だと思う。

 移植後の透析のない9年はもう別世界でしたね。彼が珈琲を飲んだ瞬間、あ、もう水分も測らなくていいんだと安堵した日のことを書きましたけど、つい書いちゃうんですよ。私がどんなに彼を好きで、彼がどんなにカッコよかったかを。これでも全然書き足りないくらい(笑)。その度に書き直すんですけど、たぶん避けていたんでしょうね、再透析や辛い終末期の話に向かうのを。よかった時の話を上書きして自分を守る心理というか、当時のつらい記憶を体が拒否していた。

 ただ素材的には血液透析↑移植↑再透析とテーマが揃ったわけで、非がん患者は緩和ケア病棟にも入れず、死ぬまで透析を回し続けるしかないことも、ちゃんと書こうと思いました」

欲しかったのはとにかく選択肢

 驚くのは著作との関係だ。堀川氏は夫を亡くしたその月に『戦禍に生きた演劇人たち』を発表。さらに夫の絶筆となった犬養毅の小説『狼の義』を書斎に1年半籠って書き継ぎ、気づくと髪は真っ白になっていた。

「私も彼も病の中に仕事があるというか。むしろその状況だから、書けたんです」

 その後は第二部の準備に入りつつ、2021年に『暁の宇品』を刊行。そして膨大な論文を読み、学会に通う中、特に終末期における〈腹膜透析〉の有用性や〈鹿児島モデル〉を始めとする細やかな看取りの現場と出会う。

「どうすれば夫があれほど苦しまずに済み、穏やかな最期を迎えられたのかを、私が知りたかったんですね。

 在宅でできて設備投資も要らない腹膜PDの今や、最新の緩和ケアを学ばれた泌尿器科医の先生が高齢者施設のスタッフも含めた勉強会を開き、病ではなく“人を診る”チーム医療が実は各地に存在することも今回の取材で初めて知りました。

 とにかく選択肢なんですね、私達が欲しかったのは。医師から的確な選択肢を的確な時期に示された上で、どうするかを自分達で選び、〈納得〉したかったんです」

 本書も緩和ケア体制の整備、そして療法の選択肢の提示に目的はあり、私怨を晴らすような書き方だけはしたくなかったという。

「確かにいつどんな医療に出会えるかは大きい。だけど、医療に運があっちゃ本当はいけないはずです。それでも、なぜ、なぜと問い続け、私が行き着いた答えが納得で、こんな方法もあったのか、私達は選べなかったけどとは思いつつ、後悔はありません」

 選択肢。それはどんなに小さくとも確かな光であり、腎疾患や透析を巡る風景は本書を得たことでまた少し進んだはずだ。

【プロフィール】
堀川惠子(ほりかわ・けいこ)/1969年広島県生まれ。広島大学総合科学部卒。広島テレビ放送報道部を経て2004年に独立し、『ヒロシマ・戦禍の恋文』『死刑囚 永山則夫~獄中28年間の対話』等で数々の賞を受賞。その後執筆に軸足を移し、『死刑の基準』で講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命』で新潮ドキュメント賞、『教誨師』で城山三郎賞、『原爆供養塔』で大宅賞、『戦禍に生きた演劇人たち』でAICT演劇評論賞、『狼の義』で司馬遼太郎賞、『暁の宇品』で大佛次郎賞等。165cm、B型。

構成/橋本紀子

※週刊ポスト2024年12月6・13日号

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