総選挙で自民党が大敗を喫し、与党過半数割れに追い込まれた。にもかかわらず、石破茂・首相は続投。終わりの見えない閉塞感がこの国の政治を覆っているように見える。その光景は、この男の目にはどう映っているのか。政権交代を2度起こした立役者であり、「政界の壊し屋」の異名を持つ小沢一郎・衆院議員(82)だ。“3度目”への道筋があるのか、どう動くつもりなのか、フリージャーナリスト・城本勝氏が問うた。(文中一部敬称略)【全3回の第1回】
無効票“84”の意味
「この前の首班指名は、久しぶりに政権交代の絶好の機会だったのに、そのチャンスを逃してしまった。本当に惜しいことをしたよ。でも、また好機は必ずやってくるさ」
自身の事務所、衆院第一議員会館605号室。椅子に深く腰をかけると開口一番、小沢はそう言った。口惜しさと呆れが混じった口調だった。しかし、その表情は血色もよく、気力も充実しているようにも見えた──。
2021年の総選挙で初めて小選挙区で落選・比例復活となり、かつて「豪腕」とも呼ばれたその影響力の低下も囁かれた小沢だったが、自らが党代表に担ぎ出した野田佳彦のもと、10月27日投開票の総選挙で立憲民主は大きく議席を伸ばす。自身は総合選対本部長代行という要職にも就いた。久しぶりに表舞台に立った高揚感の一方、立憲民主が選挙で自民に勝ち切れなかった挫折感も入り混じっているのだろう。
首班指名について小沢はこう続けた。
「決選投票では無効票が84票でしょう。石破221票、野田160票だから、84票が『野田佳彦』と書いたら逆転できていた。政権を取れてもおかしくなかったのに、本当に悔やまれる。大きな原因の一つは、国民民主の玉木雄一郎代表。選挙で躍進してはしゃぐのはいいのだけれど、自民に寄り過ぎてしまった。これでは野党をまとめることは到底無理だった。
選挙で自公が過半数を割ったのは、有権者が自民・公明に対してNOを突き付けたということ。それなのに最初から自民に寄り過ぎては有権者の気持ちを蔑ろにしていることと同義。選挙で示された民意はどうなのか、よくよく考えなければいけない」
野党がまとまらないから、政権交代が起きない──その現象について、小沢はこうも語った。
「どういうわけか、野党が結集して政権を取りにいこうという発想が出てこない。気概と自信がない。解散総選挙も(野党が候補を)一本化できていたら、もっと勝っていたはずだが、それがなくても自公を過半数割れに追い込めた。それなのに選挙後、野党第1党の立憲民主が、他の党を説得してみんなで一致して政権を取りにいこうとならなかったのが大きい。
立憲民主のなかには、『無理に政権を取らなくてもいい』という旧社会党のような万年野党の雰囲気すらある。選挙で議席を伸ばしたと言っても、自民のエラーや四球で得点しただけで大谷翔平(のような活躍)じゃない。もっと本気で権力を取りにいかないとダメだ」
石破政権の逃れられない宿命
一方、辛くも首相続投を果たした石破に対しても、小沢の見方は厳しい。
「かつての自民ならこれだけ負ければ当然、退陣論が噴出していた。しかし、いまの自民党にはそんな気力もない。このままだとケジメもなくダラダラと石破政権が続くことになる。僕はいま立憲民主にいる立場だが、旧知の自民の幹部に『きちんとした連立にしないと政権は不安定になる。少数与党なんてそんなに甘いものじゃない。だからもっと各党と話し合って、時間をかけるべきだ』とアドバイスした。
だが結局、石破君も早く首相の座を確定させたいから首班指名を急ぎ、バタバタと決めてしまった。補正予算案でも法案でも、国民民主が賛成してくれなかったら、たちまち政権は行き詰まる。こんなに不安定な政権では有権者にとっても至極迷惑な話」
どの民主主義国家の歴史を見ても、与党が過半数を持たない政権は極めて不安定で、短命に終わることが多い。石破政権も、その宿命からは逃れられないだろう。一方で、野党もまとまることができなければ、まさに「宙ぶらりん」の政治状況が続くことになりかねない。
それでは打つ手はないのか──そう尋ねると小沢は少し考えて言った。
「いまは、みんな茫然とした状態で気力も何もないからね。とはいえ、石破政権も不安定な状態が続くことになる。政権交代の好機は、近々必ずやってくる」
(第2回に続く)
【プロフィール】
城本勝(しろもと・まさる)/1957年、熊本県生まれ。ジャーナリスト。一橋大学卒業後、1982年にNHK入局。福岡放送局を経て東京転勤後は、報道局政治部記者として自民党・経世会、民主党などを担当した。2018年退局後、日本国際放送代表取締役社長などを経て、2022年6月からフリージャーナリスト。著書に1993年の政権交代の舞台裏を描いた『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』(小学館)がある。
※週刊ポスト2024年12月6日・13日号