2024年8月、六代目山口組の分裂抗争は10年目に突入した。直近では神戸山口組の井上邦雄組長の側近でもあった幹部の清崎達也・大門会会長の引退も判明したが、先行きは不透明だ。抗争事件も9月を最後に起きておらず、越年することは間違いないと見られている。そもそも、分裂の原因は諸説あるとされるが、六代目山口組の高山清司若頭への反発が引き金になったと実話誌記者が語る。
「若頭は組長に次ぐNo.2で、組織運営の実務を担っています。そして、高山若頭の組織運営は非常に厳格だったと言われています。離脱して神戸山口組を立ち上げた13人の直参組長は、司忍組長への反発もあったでしょうが、高山若頭の組織運営に不満を募らせていたのが大きかったとみられている。実際、分裂は高山若頭が恐喝での懲役で、組織不在のあいだに起きています。2019年10月の出所が迫ると神戸山口組も抗争を仕掛け、六代目側も“カエシ(報復)”を行ない、一気に激化しました」
その高山若頭の素顔は謎に包まれている。司組長は『産経新聞』の取材に応じたり、山口組が傘下組織に発行する機関紙『山口組新報』に発言が掲載されているが、高山若頭はメディアの前で口を開くこともほとんどなく、『山口組新報』でも名前が挙がることは少ない。
だが、高山若頭の出所直後に発行された『山口組新報』では、その素顔が窺える記述が非常に多く、警察やメディア関係者にとって貴重な資料となっている。
〈高山若頭 社会復帰を祝う〉〈本家若頭お務めご苦労様です〉
2019年12月に発行された『山口組新報』には、至る所に高山若頭の出所を祝う文字が大きく掲載されている(以下、〈〉内は『山口組新報』より)。文字には金色や紅白の背景色がつけられていて、他の号ではみられない特別なデザインだ。白い着物、黒いスーツに身を包んだ高山若頭の2枚の写真も大きく掲載されている。
写真とともに出所を祝う言葉が並ぶが、5年4か月の懲役が科された恐喝事件についても〈山口組弱体化を意図したでっち上げ事件〉としつつ、〈不当な逮捕や判決への悔しさは本人が最も感じているところであったはずだ〉と胸中を代弁している。高山若頭は最終的に上告を取り下げているが、それについても〈たとえ不当な判決であっても、社会の一員として社会のルールは順守するという我々の一貫した姿勢を世間に示すことによって、逆に今日の国家権力の無法ぶりを明らかにする〉という狙いがあったとも説明している。
この『山口組新報』では分裂の要因についても言及されていた。分裂は高山若頭の不在の時に起きたこととし、〈修行の厳しさに音を上げた不心得者ら〉と離脱者のことを糾弾している。
「何がヤクザだ!」と高山若頭が声を荒らげた
ほかにも高山若頭の出所を祝う言葉は散見される。なかでも興味深いのは編集を担っている組員が書いたとみられる寄稿文だ。
この組員が高山若頭に初めて会ったのは2005年。五代目から六代目への継承盃を終えたころの話だという。当時、高山若頭は、総本部に詰めて雑用を行なう、いわゆる「部屋住み」と呼ばれる業務にあたっている組員を集めた。
全員に所属組織と名前を言わせると、高山若頭は〈「いつもご苦労さん、山口組の総本部で部屋住みをやっているのだから向上心を持ってしっかりやるんだぞ」〉と激励をかけたという。この組員も高山若頭は寡黙な人物だという認識が強かったようで、驚いたようだ。
また、この組員は一度、高山若頭に怒られたことがあると述べている。高山若頭のお茶を取り替えようとした際、突如、〈「おい小僧、お前、嫁と子供は大事にしているのか」〉と声をかけられた。この組員が言葉に詰まっていると、高山若頭は〈「馬鹿野郎、家に残っている嫁と子供を大事にできずに何がヤクザだ! 次の餅つきに連れて来てやれ」〉と命じたという。
当時のこの組員は家族を餅つきに呼べる立場ではなかったこともあり、このエピソードを忘れられないようだ。〈よく怒ると捉えられている様ですが〉としつつも〈その後には必ず補填し助けの手があります〉〈要は(山口組に)人一倍真面目であり人間らしさを気づかせてくれる人物なのです〉と評している。
「高山若頭は高齢で体調不良などを指摘する声も多いが、七代目候補の一人であるのは間違いない。山口組に限らず暴力団は厳しい状況に置かれていて、高齢化も深刻です。今回の分裂抗争の先行きも不透明で、法規制も厳しいので辞める組員も多い。こうしたエピソードを掲載することで意識高揚を狙っている面もあるのでしょう」(前出・実話誌記者)