「靖国神社に中国人が落書きをした」——コロナ禍を経て、外国人観光客が戻りつつある中、2024年5月に報じられたニュース。この事件で器物損壊、礼拝所不敬の疑いで逮捕、起訴された中国籍の男性・姜卓君(29)被告の初公判が11月29日、東京地裁(福家康史裁判官)で開かれた。共犯であり実行役だった2人はいまだ逮捕に至っていないなか、姜被告が語った動機は、「処理水の放出を止めるため」といういささか飛躍した主張だった──ライターの普通氏がレポートする。【前後編の前編】
口に笑みを浮かべて入廷
多数の傍聴希望者が集まり、通常よりも多くの職員・警備員が配置された今回の公判。使用された429号法廷は「警備法廷」などと呼ばれ、暴力団関係者の裁判などが行われることが多い法廷だ。
法廷の中に入ると、その“厳戒態勢”が見てとれた。傍聴席と法廷との境には、背の高いアクリル製の衝立が設置されており、その前には警備員が3~4名並んでいた。開廷中も常に5~6名の職員、警備員が配備されるなかで、姜被告はその異様な雰囲気を一瞥すると、口に笑みを浮かべながら入廷した。
中国籍の被告人のために法廷通訳人が用意されていたが、被告は「普通の会話はわかります。分からないときは言います」と冒頭に述べた。多少たどたどしさは残るものの、日本語での受け答えは可能だった。
起訴状によると、姜被告は共犯者の中国人A、Bとともに、5月31日午後9時ごろ、靖国神社の神社名が刻まれた「社号標」に赤い塗料を用いて「トイレット」と書くことで汚損し、礼拝所に対して公然と不敬な行為を行なったとされる。
起訴状が読み上げられる間、証言台の前で立ちながら腰に手を当て、体を多少横に揺らしながら聞いていた姜被告。事実関係を確認されると「間違いありません」と日本語で答えた。
検察官の冒頭陳述によると、事件の概要は以下の通りだ。
姜被告は中国で生まれ、2013年に留学のため来日し、日本の大学を卒業した。会社員だった時期もあるが、事件当時は無職だった。
共犯者Aは、「アイアンヘッド」の名前で中国版SNSで過激な投稿を行う人気配信者であり、Bはそのカメラマンだった。姜被告は昨年からAに注目するようになり、強い憧れがあるとして、Aとコンタクトを取るようになった。
その後、Aの動画配信アカウントが凍結されるが、姜被告とAが「愛国者の1人なのに弾圧するなんて。できることがあったら言って」、「会いたい。動画見れないのは悲しい」などとメッセージでやりとりするなかで、AとBが来日することを知る。当時の姜被告のスマートフォンのメモ機能には、「ホテルを予約する」「Aに『危険を伴う』とほのめかされた」などと残っていた。
来日した際、成田空港までAとBを迎えに行き、その後、海鮮居酒屋などで食事。AとBと別れた後は、現場で実際に使用された赤色スプレーを1人で購入した。
事件当日、AとBと合流した後、姜被告は両名の荷物を持って近くの駅で待機をしており、現場にはいなかった。その間、Aは犯行を行い、その様子をBが撮影した。Xに投稿された動画によると、放尿をする様子も映されていた。
汚損された箇所は、職員が高圧洗浄機により清掃を行い、やむなく若干削れてしまった。専門業者でも完全な汚損の除去は難しいと言われ、提示された見積額は約460万円だった。2023年は年間で187万人が靖国神社を訪れており、金銭的損害にとどまらぬ影響を受けたのは想像に難くない。
撮影後、3人は再び合流して羽田空港へ向かい、AとBはそのまま出国した。AとBは日本国内での逮捕等に至っていない。
「日本は1億3000万人の人。でも海が汚れたら80億人が悲しむ」
被告人質問でも、姜被告はほとんどの質問に対して日本語で受け答えを行なった。来日したA・Bと話をする過程で、Aから落書きの計画を知らされたという被告。「落書きと聞いてどう思いましたか」という弁護人の質問に対して、突然「処理水」について触れた。
姜被告「私は歴史に興味もないし、靖国神社に恨みもない。私はただ海を守りたいんです。去年から処理水を出して、日本は周辺国から非難されています」
姜被告が言う「処理水」とは、2023年8月に始まった、福島第一原子力発電所にたまっていた放射性物質を含む水を浄化したALPS処理水の海洋放出を指すとみられる。中国は一時的に日本産水産物の輸入停止措置を取る(2024年9月に輸入を段階的に再開する方針で合意)など、中国国内では批判の声が上がっていた。
急に「処理水」を話題に出し、話のペース上げた姜被告。弁護人は必死に軌道修正にかかる。
弁護人:「落書きのことを悪いこととは思いましたか」
姜被告:「悪いとは思ったけど、処理水を止められる人はいないと思った。水産物を輸入停止しても止まらない、韓国では21日間何も食べない抗議活動した人もいた。他に誰ができるのかと思った」
検察官からの質問にも、処理水について懸命に主張を続けた。
検察官:「(靖国神社に)落書きをするのは、財産的な被害より大きいとは思いませんでしたか」
姜被告:「両方大きいと思う。私は海が好き、雲の90%は海。海が汚れたら雲が汚れる、そうしたら雨が汚れる」
検察官:「靖国神社に行ったとき、お参りしている人はいませんでしたか」
姜被告:「いました」
検察官:「そういう人が悲しむとは思いませんでしたか」
姜被告:「日本は1億3000万人の人。でも海が汚れたら80億人が悲しむ」
処理水にこだわりを見せる姜被告。取り調べ調書によると、姜被告は『海洋汚染で海鮮料理を食べるのが恐くなった』と供述していたという。
検察官:「でも、AとBが来日した際、海鮮系の居酒屋で食事していますよね」
姜被告:「3~4か月、実際に食べませんでした。でも、一生食べないものだと思い、悲しみながら食べました」
その後も処理水を理由とした動機を供述した姜被告。しかし、その抗議の姿勢が、なぜ靖国神社への汚損行為なのかということについては、最後まで言及されることはなかった。
2013年に来日して以来、10年以上日本で生活していた姜被告。後編記事では、姜被告が日本人から受けたと主張する“パワハラ”の内容や、語った靖国神社への想いについて詳報する。
(後編に続く)
【プロフィール】
普通(ふつう)/1984年、東京都生まれ、大阪在住。裁判ライターとして年間約1,000件の刑事裁判を傍聴。事件規模に関わらず全国で傍聴を行い、X、YouTube、noteなどで発信している。その他、裁判への関心を高めるための傍聴の引率、大学での講義などを手掛けている。