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蛯名正義氏が振り返る若手ジョッキー時代 サラブレッドのGIレースでアラブ馬に騎乗 「サラブレッドのトップクラス相手にビリではなかった」

NEWSポストセブン 2024年12月7日 16時15分

 1987年の騎手デビューから34年間にわたり国内外で活躍した名手・蛯名正義氏は、2022年3月から調教師として活動中だ。蛯名氏の週刊ポスト連載『エビショー厩舎』から、サラブレッドとアラブ種の交雑種、アングロアラブのレースの思い出についてお届けする。

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 競馬歴の長い方はご存じでしょうが、僕が若手ジョッキーだった1980~1990年代には、まだサラブレッドとの交雑種アングロアラブのレースがありました。スピードを追求するサラブレッドはどうしても体質の弱さがあり、気性も激しくなりがちなので、丈夫で性格も素直なアラブ種と配合したわけです。

 日本でも軍馬として重用され、戦後は競走馬としてレースに出走、かつてはサラブレッドより生産頭数が多かったそうです。地方競馬の兵庫(園田・姫路)や金沢などはアラブのレースしか行なわれていないぐらいでした。中央競馬でも土曜日の第1レースなどは、「ア ア」となっているレースが多かったのです。

 僕も何回かレースで乗せてもらいました。スピードがないというのはアラブ馬同士で走っているだけではわからないけれど、走るリズムがサラブレッドとは違うなとは思いました。体が小さいのもあるけれど、ちょこちょこ走っている感じでした。

 僕のデビュー当時、アキヒロホマレという馬がめちゃくちゃ強かったことを覚えています(アラブ限定のレースでは19戦18勝)。相手がいつも同じ馬だから勝ち続けられるんですね。ハンデ重賞では70キロを背負っても勝ったし、サラブレッドと同じレースで走って3着になったこともある。この頃は賞金だってそんなに高くないのに1億7000万円も稼いだそうです。

 当時はまだ馬主さんも馬の数も少なくて「抽せん(籤)馬」というシステムがありました。これはJRAが購入した馬を、希望する馬主さんに抽せんで販売することで、定額で取引されました。なかには桜花賞やオークスを勝った馬もいたし、ウオッカのお母さんも確か抽せん馬だったはずです。そしてアラブ馬はすべてが抽せん馬でした。サラブレッドはきょうだいで能力が違うことがあるけれど、アラブは血統通りに走る確率が高いと言われていました。

 ただ、スターホースが多数登場して競馬人気が高まってくると、アラブのレースへの注目度は低下してレース数も減り、1995年暮れに中京競馬場の2500mで行なわれたアラブ大賞典が最後になりました。このレースではそれまで1000mから2000mまで6勝をしていたムーンリットガールという馬が勝ったのですが、彼女の競走人生はこれで終わりません。

 なんとその1週間後に行なわれた1200mのGIスプリンターズステークスに出走、関西の森秀行調教師から僕に騎乗依頼が来たのです。まだGIを勝っていなかったので、とてもありがたいと思いました。今考えればアラブ馬でサラブレッドのGIに出るというのは新しいことにチャレンジしてきた森先生ならではです。「出ちゃいけない」という規定はないのですから(笑)。レースに行くとやはりスピードが違いましたが、サラブレッドのトップクラス相手にビリではなかったんですよ。この後、地方でもアラブのレースが徐々に減り、2010年ぐらいには姿を消してしまいました。

 日本ではアングロアラブが主流でしたが、海外にいる純血アラブ馬は顔も高貴な印象で、すごくカッコいい。中東では今でも純血アラブのGIレースがあるそうです。

【プロフィール】
蛯名正義(えびな・まさよし)/1987年の騎手デビューから34年間でJRA重賞はGI26勝を含む129勝、通算2541勝。エルコンドルパサーとナカヤマフェスタでフランス凱旋門賞2着など海外でも活躍、2010年にはアパパネで牝馬三冠も達成した。2021年2月で騎手を引退、2022年3月に52歳の新人調教師として再スタートした。この連載をベースにした小学館新書『調教師になったトップ・ジョッキー~2500勝騎手がたどりついた「競馬の真実」』が発売中。

※週刊ポスト2024年12月20日号

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