主人公は再来月の大会に向けて7kgの減量に入った、中堅ボディビルダー〈後藤〉。彼は入社9年目で大手リース会社〈(株)レンタール〉の係長に抜擢された31歳でもあり、なかなか思うように動いてくれない体重と部下達との狭間でマジメゆえに常軌を逸していく彼の姿を、石田夏穂著『ミスター・チームリーダー』は、皮肉も交えてユーモラスに描く。
推定腹囲120cmの〈課長〉に43歳の部下〈野田〉、四六時中何かを食べている〈大島〉や事務の人〈ミエちゃん〉らを前に彼は思う。
〈十五階の住人たちは総じて太っている。後藤はデブが嫌いだった。自分の身体に対するリスペクトに欠けているから。自分の体型なんて、自分の意志で、どうにでもなることなのに〉
そして〈デブはデブ同士でデブの問題に対処すればよい〉などと心の中で暴言を吐き、ともすればそれを口にしてしまったりもする中、体重も組織も意のままにしようとした彼の身体に、ある異変が起きるのである。
自身、現在も会社帰りに週5×30分はジムに通い、その経験は2022年のデビュー作『我が友、スミス』にも反映された。
「いやいや。自分のは単に通うだけで満足みたいな、ユルい筋トレなんですけど。でも競技をやる方って0.5kgとか、体重のちょっとした増減にも凄く敏感で、その乙女心っていうんですかね。一見猛々しくてマッチョな会社員の意外な繊細さやギャップを書いてみたいと思った。
あと、自分は今もただの平社員なんですけど、最近は上司ってポジションが難しくなってると思ってて。今はオイ! とかコラ! とかって、部下に言えないですよね。パワハラって言われるから。でも人を強引に動かさなくちゃならない時も仕事には絶対あるし、後藤みたいに自分が組織を動かしてやる的な昭和の体育会系上司のリーダー的な体感を、今は優しい上司が多いからこそ、逆に書きたいと思いました」
そう。石田作品では特に身体感覚の描写が興味深く、例えば今大会で75kg以下級への階級変更に挑む、182cm、81.9kgの彼は思う。
〈後藤は強いビルダーになりたいというより、強いビルダーの身体の持ち主になりたかった〉〈自分がたまたま持っているこの身体に勝って欲しかった〉〈身体というのは、自分の意志で動かせる範囲のことだ〉〈太ると自分の身体に占める意志の割合は小さくなる〉〈たぶん、自分は筋トレの全能っぽさが好きだ。その危ういまでの正義っぽさが好きだ〉
「競技とかボディメイクをやってる方って自分の身体を物凄く客観視していて、ある意味、他人事みたいなドライさがあるんですよね。その自分のものなのに自分じゃないみたいな距離感も、面白いなあと思っていて」
が、1日の食事を6回に分け、時間厳守で摂りたい後藤の机には、ふと見ると〈ちんすこうとサーターアンダギー〉が。慌てて彼はそれを隣の大島の机に滑らせたが、午後3時になるとまたもやミエちゃんが菓子や手土産を配る〈巡礼〉を開始し、不意の接待や頼まれ事にもチームリーダーは対処しなければならない。
人間ってそんなに深いと思わない
「私も会社で時間など関係なく、お菓子を食べちゃう人なんですよ。誰も怒ってこないけど、本当はイライラしてる真面目な人もいるんだろうなって思います」
やがて彼の目には標準体型で若い〈菊池〉を除く全員が〈即物的にも、比喩的にも、体脂肪そのもの〉に見え始め、〈こいつは身体の中の、いらない部分〉とばかりにチームのスリム化を課長に進言。すると組織の体脂肪率とシンクロするように、なかなか動かなかった体重が減り始めたのだ。
「デブは理解が遅いとか、現実なら即コンプラ違反ですよね(笑)。ルッキズムに関しても、人は人を見た目でやっぱり判断しがちで、特に小説は内面重視みたいに言われますけど、私は人間ってそんなに深いと思ってなくて。それより行動とか身体のことを書きたいし、物事を即物的にしか判断できない人間の浅さが、むしろ深い気がしているんです」
なるほど。浅さが深い?
「あ、いいこと言った(笑)」
だが組織も身体も絞りに絞った矢先、後藤は取引先から急な呼び出しを受け、判断を渋る度に、腹の辺りで〈ブヨヨ〉と異音がするのを聞く。果たしてそれは仕事より大会を優先したせいなのか、今の自分は組織の贅肉なのかと彼は焦り、そうこうする間にも大会は日一日と近づくのである。
何事にもアソビは必要で、一見不要な贅肉や余白も要るのが人間社会だとはよく言われる。といって〈会社っていろいろ人がいるから〉で済まされるのも嘘臭く、その〈塩梅〉をちょうどよく分かることができないのが、人という気もしてくる。
「しばしばビルダーの方って食事のことを〈摂取〉と言いますよね。ただ誰にとっても体重って不可思議でままならないというか、あんなに食べたのに減ったとかその逆とか、理屈で割り切れないものをコントロールしようとするけど、完璧すぎてもダメみたいな。それでも何とか努力して、自分の身体を評価されたいと泥臭く頑張ってる人に、私はグッとくるんですよ。素の自分が好きとかいう人より、型に合わせようとしているほうがずっとひたむきだなって」
実は彼女自身、「真面目な文章が続いちゃうと照れ臭くなってしまって、スキあらばボケようとしてしまう、謎の芸人魂の持ち主」だと言い、シニカルでいてどこか突き抜けたその明るさは人間の浅さの彼方をも見晴るかす。
【プロフィール】
石田夏穂(いしだ・かほ)/1991年埼玉県生まれ。東京工業大学工学部在学中から断続的に小説を執筆。卒業後も会社員の傍ら幅広く新人賞に挑み、2020年「その周囲、五十八センチ」で第38回大阪女性文芸賞、2021年には『我が友、スミス』が第45回すばる文学賞佳作となり、2022年デビュー。同作は芥川賞候補ともなり、以降も『ケチる貴方』(織田作之助賞及び野間文芸新人賞候補)、『我が手の太陽』(芥川賞及び野間文芸新人賞候補)など話題作を続々発表する注目の新鋭。155cm、B型。
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2024年12月20日号