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【江夏豊が語る名選手と名監督】「王さんに打たれたら悔しいのに、ミスターには腹が立たない」「大喧嘩をした金田正一さん」…レジェンドたちとの逸話

NEWSポストセブン 2024年12月12日 10時58分

 今夏に開催された巨人・阪神のOB戦で、酸素吸入器をつけた車椅子姿でグラウンドに姿を見せ、ファンを驚かせた江夏豊。現在は「心配はご無用だ」と語る“伝説の左腕”は今、野球人生をどう振り返るのか。野球史に刻まれる名選手たちとの思い出を語り尽くす。《聞き手/松永多佳倫(ノンフィクション作家)》【全3回の第2回】

数字を追いかけたことはない

 阪神時代の俺は1年目からもう無我夢中だった。三振の数も今の時代からは考えられない。2年目に401個。三振取るのが趣味やったと思うくらい、よく取ったと思う。

 野球人生で206勝193セーブ、あと7つで200セーブだったと言われるけど、数字なんていうのは一度も追っかけたことがない。強いて言えば、やりたかったのはひとつだけ。1000試合登板。その時点で日米誰もいなかったから、それが最終目標だった(最終成績は829登板)。

 今の日本のプロ野球には対戦してみたいと思わせるバッターがひとりもいないのが寂しい。惹きつけるものが少ない。時代の流れとともに突出した「個性」が出にくくなっているのかもしれない。そう考えた時に、俺にとって人生で忘れられない対決と言えばやはり王(貞治)さんしかいない。

 もう王さんで始まって、王さんで終わったと言っても過言ではない。自分の野球人生にとって、それぐらい王さんとの対決というのは思い出深い。いち選手として、いい時代に野球ができた。それは心底認めるところだ。巨人のV9時代に鎬を削って真っ向勝負した選手たちは、誰も彼も俺にとっては好敵手だった。

巨人のことが大好きよ

 ミスター(長嶋茂雄)もそう。身に染みて感じていることだけど、同じく打たれても王さんの場合は悔しくて悔しくてたまらないのに、ミスターの場合はなぜか腹が立たない。それはミスターの人徳なのかもしれない。

 外で会えば「豊、豊」と声をかけてくれて、個人的な感情を素直に出してくれる。自分にはできないことであり、とにかく素晴らしい人だった。この人たちと野球が一緒にやれたのは、何事にも代えられない財産だ。

 我々の年代というか、野球をやってきた人間でいろんな意味合いで巨人を嫌いだという人もいるかもしれない。でも、斬るか斬られるかの問題となれば、周りに斬らすよりも自分で勝負をつけたいというぐらい巨人のことが好き、大好きよ。ONを筆頭にいい選手と勝負ができた巨人軍、好き以外な感情なんてない。俺にとっては当たり前な気持ちだと思う。

 阪神からトレードで南海に行った時、野村克也という人間がいた。彼もまた特別な人やった。当時は周りから認められない、愛されない部分もある人だったけど、俺は好きだったし「おい豊、豊」とよく声をかけてくれた。そういう意味じゃ忘れることができない。

 野村克也解任時の刀根山マンション籠城も、本当は若手が何人かいたけど「お前らは帰れ」と帰した。批判を浴びる役目は俺らが引き受けるつもりでいたから。マスコミには散々叩かれた。叩かれるのは慣れっこだったけど、周りに迷惑かけるのはやっぱり辛かった。

 同じ左腕の大先輩のカネ(金田正一)さんとは、俺の1年目に大喧嘩した。「このガキ!」「このポンコツ!」と。自分と親しくなった諸先輩方もいれば、そうでない場合もある。人間誰だってそう。でも勘違いしないでほしいのは、大喧嘩したからといって憎んでいるのとは違う。現に400勝という偉大な記録を打ち立てたカネさんに敬意を持っているんだから。

 現役生活18年の間、たくさんの監督のもとでプレーした。一癖も二癖もある人ばかりで、例えば大沢親分こと大沢啓二は、困ったおやじだった。びっくりしたのは、選手に彼女の家まで送らせるんだから(笑)。言うなれば心を許してくれたわけだけども、まだ対応するだけの余裕もなかったから戸惑うしかない。慣れてくればこうすりゃいいんだとわかってくるけど……。いち選手が監督の彼女の家まで一緒に行く。まあ馬鹿じゃないかなと思う時もあったけど、いい思い出だよ。

 阪神では、おじいちゃん(藤本定義)、クマさん(後藤次男)、ムラさん(村山実)、金田(正泰)さん、吉田(義男)さん、いろんな監督さんがいた。吉田さんが監督の時に南海へトレードされた。「トレードはない」と外部に言うなど、経緯もわからず裏切られる思いがした。でもトレードのおかげでたくさんの仲間と出会えたんだから、結果オーライというか感謝よ。

(第3回へ続く。第1回から読む)

【プロフィール】
江夏豊(えなつ・ゆたか)/1948年、兵庫県生まれ。1967年に阪神入団後、南海、広島、日本ハム、西武と渡り歩く。1984年に引退。オールスターでの9連続奪三振、日本シリーズでの「江夏の21球」など様々な伝説を持つ。

松永多佳倫(まつなが・たかりん)/1968年、岐阜県生まれ。琉球大卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。近著に『92歳、広岡達朗の正体』(扶桑社)などがある。

※週刊ポスト2024年12月20日号

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