朝の情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)の司会などで活躍したアナウンサーの小倉智昭さんが12月9日、膀胱がんのため死去した。77歳だった。2016年に膀胱がんを発症し、がんが転移しながらも闘病生活を続け、テレビに出演していた。NEWSポストセブンが関係者に取材すると、同番組でキャスターを務めた菊川怜(46)も憔悴しきっているという。更新したばかりのインスタには、心痛な思いを綴った。
《小倉さん、悲しいよ。こんな日がくるなんて。もっと一緒にいて欲しかった。もっと会ってお話したかった。いつも私の事を父親のように心配してくれました。そして話を聞いて相談にのってくれました。その優しい声が忘れられません。ありがとうございました。ご一緒できた時間は、かけがえのない時間です。》(原文ママ)
秋田県で生まれ育った小倉さんは、獨協大学卒業後の1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。競馬の実況中継で頭角を現し、大橋巨泉にスカウトされて1976年に同社を退社してフリーに転向も、厳しい下積み生活が続いたという。
「フリー転向後も10年近く仕事に恵まれず、税金や光熱費の滞納が続いて同僚から借金をすることもあったそうです。1984年に古巣のテレ東から『タミヤRCカーグランプリ』のナレーションの依頼があり、当時37歳だった小倉さんは軽快で個性的なナレーションで小中学生から人気となりました。お昼の帯番組『どうーなってるの?!』(フジテレビ系)で7年間MCを務めて、歯に衣着せぬ発言で主婦層の支持を得ました」(テレビ局関係者)
苦労を乗り越え、“司会者・小倉智昭”としての地位を確立させたのが、1999年から始まった『とくダネ!』だった。
「番組を引き受けるに当たって、小倉さんの唯一条件は『毎回、冒頭でフリートークをやりたい』ということでした。言葉を操って生きてきた職人としてのこだわりだったようです。フリートークでは、本番前にどんなテーマを取り上げるかは誰にも相談せず、時事問題について辛辣な意見を口にして抗議の電話が来ることもりましたが、自分の言葉で喜びや怒り、哀れみを訴えていました」(同前)
小倉さんが“朝の顔”として定着した番組スタートから14年目、新キャスターに抜擢されたのが、名門・桜蔭高校を経て東大工学部建築学科を卒業した当時34歳で女優の菊川だった。
「小倉さんは『怜ちゃんはこの番組1本にかけてくれて、外で食事をしても家に帰っていろいろニュースを見たり、新聞を読んだりして一生懸命がんばっている』と、努力する彼女を認めていました。プライベートでは、当時独身だった菊川さんのことを思い『独りは寂しい?』といつも心配していました」(フジテレビ関係者)
“芸能界の父”として慕った菊川との関係
2017年、菊川は実業家の穐田誉輝氏との電撃結婚を発表。『とくダネ!』は番組をあげて祝福した。菊川は“芸能界の父”でもある小倉さんには発表の1カ月前に紹介していた。
「小倉さんは穐田氏に会っていたことを番組で語り、『いい男だった。心意気も顔も。知的な方で、こっちも言葉遣いを気を付けなければならないほど』と、実の娘のように喜んでいました。過去には菊川さんの父親から『小倉さんに1つだけお願いがあるんです。怜を1度でいいから結婚させたいんです。別れてもいいんです。とにかく結婚させたい』と頼まれていたことを明かしていました」(同前)
だが、結婚して早々に穐田氏には内縁関係にあった女性らとの間に婚外子が複数いたことが発覚。小倉さんも心を痛めていた。
「番組で穐田さんに婚外子が複数いたことに触れ、『皆さんがいろいろ書くから大変なようです。でも結婚できてよかった。幸せを祈っています』と、語っていた。菊川さんは2019年4月に第1子(長男)、2020年12月に第2子(次男)、2022年10月には第3子(長女)を授かりました。しかし、今年11月に7年半の結婚生活にピリオドを打ちました」(同前)
愛娘のように可愛がった菊川の新たな人生への転機を見届けた1カ月後に天国へと旅立った小倉さん。「結婚できてよかった」という言葉には、3人の母となった菊川への想いが込められていたのかもしれない。