「大阪府も警察も恥ずかしくないんか! 野宿している人を追い出して」──2024年12月1日、大阪市西成区にある日雇い労働者の支援施設「あいりん総合センター」前で、労働者を支援する活動家が機動隊に対して声を荒らげた。
同日朝7時頃、同施設で強制執行が行なわれ、敷地内で寝泊まりしていた路上生活者らが立ち退かされたのだ。
「あいりん総合センター」は老朽化により建て替えが決まり、2019年に閉鎖。その後は路上生活者らがゴミでバリケードをつくったり、活動家がバスを駐車したりするなどして不法に敷地を占拠していたが、大阪府が立ち退きを求めた裁判では5月に路上生活者側の敗訴が確定していた。
一部の報道では「いきなり出ていけというのは冷たい」といった論調も見受けられたが、現地の人たちは今回の強制執行をどう捉えているのか。
あいりん地区に約30年住み、現在も肉体労働を続ける西岡氏(50代男性・仮名)はいたって冷静だ。
「反対しとる奴はただ何か言いたいだけやろ。綺麗になるからええやんって人もおるわけやん。ホームレスたちもあきらめとったんちゃうん。いつか来るやろ思って。一応、抵抗はするけど意味がないことは自分らでもわかっとるはずやで。だって、勝手に人の家で寝とるようなもんやろ。だから暴動になってへんやろ。5年そこらもっただけでもええんちゃうん」
地元に住む人たちに取材すると、センターの建て替えにはおおむね賛成。センター前で抗議活動を行なう反対派を冷ややかな目で見る人も多かった。
強制執行から5日後の朝、「高齢者特別清掃事業」の仕事を探しに来ていた労働者が言う。
「裁判に負けたんやからしゃーないやろ(笑)」
彼の目の前で拡声器を持ち、反対の演説を繰り広げたのは、冒頭のシーンで声を荒らげていた「釜ヶ崎地域合同労働組合」委員長の稲垣浩氏だ。施設の前に駐まっていたバスの持ち主でもあり、今回の強制執行に強く反発している人物だ。
誰がための再開発か
稲垣氏は1981年に同団体を結成。建設作業員に対する傷害、大阪市職員への暴行、道路交通法違反、威力業務妨害の疑いなど、いずれも自身の活動中に複数回の逮捕歴もある。本人に話を聞いた。
「センターの耐震性に問題があるのは本当でしょう。だからといって潰す理由はない。耐震工事したらええだけの話や。老朽化うんぬんは口実で、大阪市は労働者をバラバラにして見えないようにしたいだけなんや」
センターの竣工は1970年。高度経済成長期には施設内にある「あいりん労働公共職業安定所」に多くの日雇い労働者たちが連日職を求めて集まった。柱や壁がなく吹きさらしだった1階は、労働者たちの溜まり場になっていた。食堂、喫茶店、売店、シャワールームなど、娯楽施設も充実しており、「労働者のための場」だった。
稲垣氏はセンターの建て替え案に異を唱える。
「今と同じものが建つんやったらええよ。でも、これからつくるのはただの事務所で居場所やない。シャワー室もなければ、娯楽室もない。これは釜ヶ崎(あいりん地区)の街づくりやなくてただの再開発や。労働者が幸せになるようなまちづくりをせないかんやろ」
建て替え案はまだ計画中であり、詳細は発表されていない段階である。
そもそもセンター周辺で寝泊まりしていた路上生活者はわずか15人ほど。彼らは2019年のセンター閉鎖時から稲垣氏が「避難用」として放置したバスの車内やゴミでつくったバリケードを屋根にして暮らしていた。
とある地元住民が強制執行の際に見た光景を明かしてくれた。
「撤去の前に警察側から『必要な荷物を取り出してください』というアナウンスがあったんです。すると何人かのホームレスが大量の空き缶が入った袋を救出していた」
少なくとも、かつての「日雇い労働者の街」としての西成の性格は失われつつあるのだ。
現在も肉体労働を続ける前出の西岡氏は「労働者はあんなところ(センター)に用ないやろ」と話しつつ、こんな心境を明かしてくれた。
「個人的にはセンターはそのままでええよ。はよ潰したいのもわかんねんけど、いうたら西成のシンボルやから。あれがなくなったら西成が西成でなくなると思うで。俺からしたら勝手に崩壊するまで放っておいたらええ。それが西成やん。俺みたいなスネに傷のある人間は綺麗な場所にいると落ち着かんから西成におるんや」
「街を綺麗にすればすべて解決」と考えているのなら、住人の立場からすると乱暴すぎるだろう。
【取材・文】
國友公司(ルポライター)/1992年生まれ。筑波大学芸術専門学群在学中よりライターとして活動。著書に『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』『ルポ歌舞伎町』(ともに彩図社)など。
※週刊ポスト2024年12月27日号